ハメス・ロドリゲスの記事

『AERA』'15.8.3 No.33
 高橋陽一さんのマンガ「キャプテン翼」の初期シリーズが『週刊少年ジャンプ』で連載されていた1980年代前半、我が母校の小学校では、それに促されたサッカー・ムーヴメントのうねりが、確かにあった。
 ジャンプを買って「キャプテン翼」を読むこと。そして実際にサッカーをやることがステータス・シンボルとなって、その者達は個々のクラスでも一際輝いた少年達となった。クラス毎にサッカー・チームが作られ、“コンドル”“イーグル”“ハゲタカ”というチーム名で3クラスがそれぞれの個性を競い合った。市内のサッカー大会においても、強豪とされた3チームだった。

 さらにちょうどその頃、学区内に小さなスポーツ用品店がオープンして、いろいろなサッカー・ウェアやアクセサリーが子供達のお気に入りアイテムとなり、輪をかけてムーヴメントが加速した。その用品店で販売していた粉末状のGatoradeドリンクがバカ売れしたのを思い出す。スポーツをする子供達が、adidasのバッグに入れて持ち歩いていたGatoradeドリンクもまた、子供達の間で一つのシンボリックなアイテムとなった――。

*

 週刊誌『AERA』8.3号(No.33)のハメス・ロドリゲスのインタビュー記事を読み終えて、ふとそんな少年時代の、サッカーにまつわる記憶を思い出した。私は依然としてサッカーの門外漢だが、ハメスと「キャプテン翼」の関係はファンならよく知っているに違いない。

 ハメスは自らの実績と活躍によって、結果的にとんでもない年俸を稼ぎ出したのだが、コロンビアの貧困層の子供達を支援する活動もおこなっているという。そして基金を立ち上げ、社会貢献に力を注いでいる。ハメスは単なる普通のサッカー選手ではないことが、この記事を読んでよく分かった。

 この記事で私が最も刮目し、何度も読み返したのが、ハメスのこの言葉だ。

《自分はなぜプレーするのか。その答えは一つしかない。ハッピーになるためだ。ぼくのモチベーションは、そこにしかない》
(『AERA』8.3号より引用)

ハメスのインタビュー記事
 随分昔、グレイシー柔術のリオ出身のトップ・スターが同じようなことを言っていた。ハッピーになること。彼にとっても、それが最大のモチベーションとなり得る。
 我ら日本人がこれを“幸福”とか“幸せ”という言葉に置き換えて読み直すと、なんとなくその本意が鉛のように重くなりずれてしまうと感じる。やはり国民性があるのだと思う。サッカーや格闘技を通じて、あるいはもっと全体のスポーツを通じて、彼らの言うハッピーとは、どういったものであろうか。

 それについてはともかく、もう一度あの頃の記憶を呼び起こしてみた。

 確かにあの頃、サッカーのムーブメントに火が点いて、少年達は猛烈に輝きはじめた。それこそハッピーと思えるような様々な連鎖反応が地域や町に広がり、それぞれの活性化に繋がった。
 しかしどうだろう。あの頃のうねりはまだまだ、男性だけのものではなかったか。男たちだけが勝手に、あちこちと騒いでハッピーになっていただけではなかったか――。

 考えてみれば母校の小学校で、女の子達が活躍する何か、というものがあったかどうか。男性優位が至極当然という雰囲気が充満している中、女の子達が何か輝ける場、環境づくりというものがとても疎かになっていた、気がする。必ずしもヒーローとヒロインを作り出すのが教育ではないだろうが、女の子が大注目されるステータス・シンボルは、あの頃少なくともスポーツにはなかったと言っていい。

 実は『AERA』8.3号の特集も、「働く女性 5つの壁」というものであった。「女性管理職の孤独」という少し重いタイトルもある。そういったシリアスなテーマを並べた今号の表紙は、ハメスなのだ。彼の笑顔がある種、空気を和ませて勇気と希望を与えてくれる。

 ハメス・ロドリゲスの、記事としては僅かながらの“ハッピー論”は、私にとってとても大切なキーワードとなった。やはり繰り返し繰り返し読んでしまう。

 このとてつもなくありふれた一つのキーワードに、私は無類の軽妙洒脱を感じるようになった。
 例えば風船を手に取って、ふわふわと身体が浮かんできて空中散歩を楽しんでしまうような、そんなハッピーな気持ちというのは誰にでも思い浮かべられる。が、一汗も二汗も、あるいはそれ以上の何倍もの汗を掻いてようやく手に入れた風船…という見えない場面がそこにあることを、我々は想像しなければならない。
 そして最も重要なことは、その汗を掻いて手に入れたたった一つの風船を、小さな子供に手渡すということ。ここにこそ本当のハッピーがあるのではないか。私はそう信じて已まない。

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