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『洋酒天国』とジンの話

『洋酒天国』第26号
 毎度おなじみ『洋酒天国』の話題。

 紹介する今号は、昭和33年6月発行『洋酒天国』第26号(洋酒天国社)。老け込んではいるものの小洒落た給仕を演じる俳優・十朱久雄さんの表紙をめくれば、そこにノールウェイ俚諺《人生は短い しかしその杯を飲みほす時間は まだタップリある》の言葉があって、おもむろに酒を飲む気分に誘われる。

 実はその表紙裏の片隅には、誠に貴重ながら“高円寺トリスバー”と称するゴム印が押してある。「洋酒の壽屋チェーン 高円寺トリスバー 北口駅前」云々。これは『洋酒天国』自体の印刷ではなく、この本を実際に据え置いていた高円寺のトリスバーで押したと思われるゴム印であり、私が所有する『洋酒天国』の半分ほどは、この高円寺トリスバーのゴム印が押されていて、元々の所有者を偲ばせる形見だ。おそらく若い頃高円寺のトリスバー通いをなされた、善良なる小市民であったと、私は勝手に想像する。

 ちなみにというか、そもそも私が初めて“トリスバー”という言葉を知ったのは、野村芳太郎監督の映画『砂の器』(1974年松竹)で出てくる蒲田操車場付近の“トリスバー”だった。もちろんトリスそのものをまだ飲んだことがない学生の頃の話である。
 だからしばしトリスバーに憧れた。この壽屋の小冊子『洋酒天国』が当時、そういったトリスバーでどのような場所に据え置かれ、どのようにお客がそれを手に取って読んだか、今となってはなかなか知ることができないのだが、さぞかし明るくて多少猥雑さのある粋な空間ではなかったか。

 さて、ちょっと紹介したいのは、この小冊子の名物コラム「今月のカクテル」。
 たびたび眺めてはいるものの、私はあまりカクテルをやらないので、いつもこのコラムはあくまで眼の肥やしにしているだけなのだが、今号の「ホーセス・ネック」(Horse's Neck=馬の首)は度肝を抜かれる造作のカクテルで、これはいつか実践してみたい美味しそうなカクテルである。

 レモン1個分の皮を剥いてらせん状に巻いてグラス全体に浸す。そこに氷を入れ、ウイスキーを注ぎ、ジンジャーエールを加えるだけ。コラムではセオドア・ルーズベルト大統領が馬上で飲んだからこの名が付いたと紹介されており、確かに見た目もレモンの皮が馬の鬣のようにも見える。黄褐色の色合いもいい。

*

 向井啓雄著「飲んべえ世界航路⑥」をここで紹介しようと思ったところ、ボルティモアの港の、かなり濃厚なストリップ・ショーの話なのでこれを紹介するのは別の機会とする。――話は変わって、私がアルベール・カミュの作品に心酔したのは何と言っても『洋酒天国』がきっかけであった(当ブログ「『洋酒天国』と異邦人」参照)。第26号の犬養道子著「酒のシンボル」もまた、カミュと酒にまつわる話であった。

 聖書研究で知られる犬養氏が『洋酒天国』に登場してエッセイを連ねるのは、少々奇遇な読後感きわまるのだけれど、その矛先がワイン(犬養氏はこのエッセイでブドー酒と記す)ではなく蒸留酒ジンに向けられていることに注目したい。

犬養道子著「酒のシンボル」
 カミュの作品「転落」(La Chute 1956年ガリマール社刊行)の主人公クラマンスが、アムステルダムの酒場で見知らぬ男相手に身の上話を、まあしゃべくりまくるという物語の中で、クラマンスはジンを注文し、ことさらジンを飲み継いでいく。
 犬養氏はカミュがお膳立てしたこの「ジン」のシンボリックな場面やら箇所を、日本の批評家や解説者達が一切注意を払おうとしなかったことに言及している。「酒のシンボル」のエッセイは、当時刊行まもないカミュの新作「転落」に触れつつも、キリスト教におけるブドー酒と対比した形で、アムステルダムという土地柄、そしてその酒場でジンを飲むことの意味を説こうとした。

 私も犬養氏につられて新潮社版のカミュ全集より「転落」(佐藤朔訳)を読んでみたのだが、確かにそれがブドー酒であってはならず、フランスやロンドン、ミュンヘンであってはならないと思った。犬養氏はそれを《アムステルダムの陰気な酒場》と称しているけれども、もともと陰気な男が慇懃無礼に明るく振る舞う質を連想するものとしてのアイテム、それがジンであり、アムステルダムであった。無論カミュは書くべき主題を徹底して分かり易くするために、クラマンスという男を設定している。犬養氏のジンに対する評を引用しておく。

《ジンは明るさのない酒である。強烈な火をふくんではいるが、それは軽やかに立ちのぼる焔ではない。地を這う重い火である。ヨーロッパの人達は、歌声や会話を楽しむ場所でジンと親しむことをしない。雰囲気をつくり出す酒ではなくて、雰囲気の中に沈みこむ酒だからだ》
(『洋酒天国』第26号、犬養道子著「酒のシンボル」より引用)

 しかも犬養氏は、日本人がやみくもにヨーロッパの文化、あるいは酒を、生まれた伝統や土地の心と切り離して輸入してしまったことを嘆いている。犬養氏の酒論は意外にも熱く、かつ保守的だ。
 そうは言いながら、私もこの保守的な考え方を幾分肯定したい。大好きなウイスキーやら何やらに飛びつく前に、地元の酒をしっかり嗜んでおきたい。酒を通じてその土地の心を理解できうるかも知れぬ。美味い酒はまず目の前に、あるではないか、と。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

武満徹―暗い河の流れに

先月末の当ブログ「大阪万博と音響彫刻のこと」で記した、1970年大阪万博・鉄鋼館におけるフランソワ・バシェの「音響彫刻」に関して、あらためてここでご報告したいことがある。「音響彫刻」復元に向けてのクラウドファンディングの資金総額が先日、なんと目標金額200万円を上回ったとのこと(※現時点で300万円を超えた)。その急報を受け、復元実現への大きな一歩となることに安堵を覚え、何よりも喜びが絶えない。これも多くの方々の趣旨賛同の協力と支援による成果であり、この場を借りて心よりお礼を申し上げたいと思う。今後とも、さらにこのプロジェクトの経過を見守っていただければ幸いである。 §
 さてこうして、当時バシェの「音響彫刻」を依頼した音楽家・武満徹氏の過去の作品や活動について、個人的な興味が近頃熱を帯びてきたため、彼の諸々の作品に出合う機会が多くなってきている。
 彼の映画音楽以外で、音楽CDを初めて聴いたのは、確か12年前のことである。東京都交響楽団・外山雄三指揮の「地平線のドーリア」。私がその時、どのような理由でそれを買い求め、彼の作品をとらえようとしていたのか、今となっては判然としない。が、その前提にあったのは、これはおそらく間違いないことであろうけれども、高校の国語教科書(筑摩書房)にあった彼の随筆「暗い河の流れに」の木訥とした文章の記憶と、そこに掲載されていたアメリカ出身のジャズ歌手ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)の、まるで精彩を欠いたリリーフ画のような古いモノクロ写真の印象とが、あまりにも憂鬱な記憶の陰にあったからだろう。再び私は随筆「暗い河の流れに」を読み、武満徹氏の思想的感覚の在処を考えてみることにした。
 私が高校時代に使用していた筑摩書房の国語教科書は、今でも時折開くことがあるのだけれど、美術家イワサキ・ミツル氏の抽象画の装幀がなんとも不気味で謎めいていて、本を開く前の心が落ち着かなくなる。この一つの抽象画の存在によって、教科書に出てくる様々な作品に対するイメージが、ほとんどすべて、暗がりの木に潜む孤高な梟と化し、その印象は一つ一つ暗い。武満徹の随筆「暗い河の流れ」は最も孤高とも思え、当時私はこれを読むことを避けた。この随筆は教科書の中で「評論」の章題に属しているが、授業のテーマに挙げられることはなかったのである。
 「暗い河の流…

ファミコンの思い出―プロレス

深田洋介編『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を読んでみると、その熱い思い出を語るほとんどの方々が、1970年代生まれであるという事実に、言葉では言い尽くせない共時性の発見があって面白い。
 ファミコンすなわち任天堂の8ビットテレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」の歴史を簡単にたどってみる。  小豆色がイメージカラーの華奢な本体が1983年夏に発売開始され、徐々にヒット商品となり、85年までに650万台以上が販売されたという。ちなみに、1983年はどんな年であったかというと、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』の大ブーム、東京ディズニーランドの開園、そして田原俊彦の「さらば…夏」が第14回日本歌謡大賞のグランプリを受賞した年だ。  ファミコンの全盛期はおそらく86年頃だと思われるが、発売開始から約10年後の1994年に新作ソフトの発売が終了されるまでの期間は、まさに70年代生まれの世代が小学生から成人になるまでの成長期とほぼ合致しており、この団塊ジュニアと言われる世代の、衣食住に浸透しきったファミコン依存度は頗る夥しいと言わざるを得ず、極論すればファミコンは、70年代生まれの世代にだけ付与された電子玩具信仰だったわけである。
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 閑話休題。ファミコンのゲームで私が最も熱狂したのは、任天堂のディスクシステムで1986年に発売された、『プロレス』だった。当時の熱狂的なプロレスファンであればこのゲームにかじりつくのは自明で、これ以前に発売されていた『キン肉マン マッスルタッグマッチ』だとか『タッグチームプロレスリング』でなんとなく消化不良を感じていたプロレスファンは、この『プロレス』の発売で誰しもが溜飲を下げたことだろうと思う。
 このゲームの取扱説明書の表紙を最初に見た時、それがチャンピオンベルトを巻いたアントニオ猪木似のキャラクターであることに、まず大きな感動を覚えた。これはもしかすると、テレビゲーム史上初めてアントニオ猪木似のキャラクターが登場したゲームソフトだったのではないかと思うのだが、確かなことはよく分からない。いずれにしても、キン肉マンや長州力やストロングマシンではない、マット界の真打ちの登場には拍手喝采だった。
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 『プロレス』は、1人プレイモードと2人プレイモードが用意されていて、1人プレイモードは5分1本勝負のランキング制であった。勝ち抜けば…