われらの小山ゆうえんち

懐かしい小山ゆうえんちでの記念写真
 最近手掛けた曲「これぞ運命」の歌詞の中に“小山ゆうえんち”という遊園地の名称が出てくる。

 小山ゆうえんちとは?
 それはつまり、かつて栃木県小山市に所在した遊園地、小山ゆうえんちのことである。そこは私が幼少の頃の、電車に乗って行ってもさほど遠くない所にある憧れのアミューズメント・パークであった。観覧車やジェットコースター、メリーゴーランドにお化け屋敷、夏はお決まりのプール。地方の遊園地としては比較的規模の大きい商業施設であった。

 全国的な知名度で言えば、その昔、名称が桜金造さんのギャグにもなったことから、案外知られた遊園地であったかも知れない。
 この小山ゆうえんちは、「これぞ運命」のオリジナル・ヴァージョンが作られた2005年に閉園となり、およそ45年続いた歴史に幕を下ろしている。すっかり忘れかけていた小山ゆうえんちについて、今更ながら只々個人的な思い出を書く以外にない。

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 家の、数十年間の生活史が詰まった古い写真アルバムの中に、時折小山ゆうえんちで遊んだスナップ写真が紛れ込んでいる。その中で、ひょっとするとこれが最後の小山ゆうえんちだったかも知れないと思える写真が、あった。

 それは1984年の夏。小学6年生だった私が父に連れられて行った小山ゆうえんちでの写真。目的はプール。
 写真をじっくり刮目してみると、小山タワーが写っている。小山タワー? あんな目立つ大きなタワーがあったのかと、その存在を私は憶えていない。だがおそらくあそこの大食堂で、当然のように昼ご飯をなにか食べたのかも知れない。タワーの外では赤や黄色のダリアが咲き乱れている。黄色いヒマワリや他の花々も見られる。私は水着を入れたバッグを左手に、漠然と佇立して被写体となっている。

観覧車を背景に
 もう一つの写真は観覧車――。鬱陶しい灰色の雲。なんとなく人気の少ない感じの園内。
 はっきり言ってしまえば、もうこの頃の小山ゆうえんちは斜陽であった。何故か冴えない表情をしている私の心は、まったく間に合いそうもない夏休みの宿題のことで落ち込んでいるのか、あるいはこの園内の、密度のうすい落ち着かない空間のざわめきの、そのどうしようもない不均衡を感じたのか。

 不均衡。そもそも遊園地とは、どこか陰のある不均衡な場所である。人気が少ないことで余計にそれを感じてしまうことがある。

 そうした気持ちがたまらなくなってか、やがて小山ゆうえんちには行かなくなったのだろう。中学校時代の夏休みのプールと言えば、個人的には東京のとしまえんによく行ったし、そこではワイワイガヤガヤと友人グループで幾種ものアトラクションを楽しんだりもした。
 思い出した。遊び疲れて日の暮れる頃のカルーセルエルドラドを眺めた時には、大人になるのはいやだなという気にもなった。あの回り続けるエルドラドのメルヘンな世界に、完全に心を奪われてしまったのである。

 ――としまえんではなく小山ゆうえんちの話に戻す。
 幼少の頃は確かに憧れのアミューズメント・パークであったけれど、近所の商店でなにかと小山ゆうえんちの招待券をもらうようになってからは、憧れの価値が下がった。〈タダで行けちゃう小山ゆうえんち〉。そんなキャッチフレーズが頭に浮かんだ。当時もらっていた招待券はおそらく乗り物のフリーパス券ではなかったと思うのだが、子供の感覚では入場料タダ、というアミューズメント・パークに崇高な憧れを抱き続けるのは不可能だったのだ。

 あの時代、1983年に千葉の浦安に東京ディズニーランドが開園して、子供達の気心は小山ゆうえんちから一気に離れていった、ということを私は想像する。破壊的なまでに、小山ゆうえんちのメルヘンな幻想性は喪失した。小山ゆうえんちのレトロなティーカップでぐるぐる身体を回しながら、遠い何処のミッキーとミニーを想ってしまう子供達の欲望は残酷であり、同時に小山ゆうえんちのレトロ感覚も時代に取り残されて残酷である。親達はディズニーランドを心底呪ったに違いない。

 私にとっては決して濃密とは言えない小山ゆうえんちの思い出であれ、思い出の価値としては尊い。休日になれば楽しめる憧れの、ときめきの空間。一時の憧れではあったにせよ、素晴らしい遊園地であったとそう振り返りたい。今も尚、消えていった遊園地の懐かしい風景が、写真の中に残っている――。

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