演劇―ダンスのトポス

【『RING―千の輪の切株の物語』フライヤー】
 おそらくこの1枚のフライヤーが残されていなかったら、私はこの舞台の存在を、とうに忘れてしまっていたであろう。

 高校時代のクラスメイトで、劇団善人会議(現・扉座)を敬愛する青年がいた。何故彼は善人会議の劇団が好きなのか、はっきりと本人の口から聞いたことは一度もなかったけれども、もともと中学演劇部にいた私は、彼の真剣な“善人会議熱”に自然と共鳴し、行きたいと欲する善人会議の舞台公演に、よく付き添っていった。
 善人会議は1980年代前半、早稲田大の学生だった演出家・横内謙介さんを中心に旗揚げされた劇団で、私が高校生だった80年代後半では、岡森諦さん、六角精児さん、中原三千代さん、杉山良一さん、有馬自由さん、赤星明光さんらが熱っぽい舞台を繰り広げていた頃で、その頃の代表作を挙げれば『新羅生門』だとか『まほうつかいのでし』、『フォーティンブラス』。ラジオのパーソナリティを務めていた彼らの演劇情報を我々は聴取しつつ、当時の公演舞台に大方足を運んだのではないかと思う。

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【劇場で受け取ったテクスト第1面】
 そんな中、比較的敬遠されがちな地味な舞台にも足を運んだことがある。『竹内登志子 ダンスのトポス② RING―千の輪の切株の物語』。これは善人会議の周縁的公演だったのだが、構成・演出は横内さんで、善人会議のメンバーがアシストし、竹内登志子さん、金原祐子さん、遠藤彩子さん、山元美代子さんら4人が現代舞踊の側でコラボ出演している。

 この物語のダンスの《topos》とされたのが、屋久島の“ウイルソン株”。残念ながら私はこの26年前の舞台の中身を、ほとんど憶えていない。微かにあの時、青山円形劇場の小さな席に座して、薄暗い照明のステージを観客で丸く取り囲んだ記憶はあるのだが、それのみである。したがって内容については、フライヤーの解説を引用しておく。

《屋久島に「ウイルソン株」と呼ばれる縄文杉の巨大な切株がある。もとは天正14年(1586)に楠川の牧五郎七とその同僚7人がやぐらを組んで斧で切り倒したと語り伝えられる切り口の周囲13メートル、根株の周り32メートル、推定樹齢7200年というものである。
 それは、太古から綿々と繰り返されてきた、人の栄枯の歴史をじっと見守ってきた、「樹霊」と呼ぶべきものであり、それ自体が膨大な人類の記憶の堆積なのである。
 この「トポス」にダンサーの肉体が立つ時、眠れる切株の上に幾千の年齢として刻みつけられた、太古よりの人類の営為は豊饒なるままに甦り、ダンサーの肉体と一体となるだろう》

 精悍で歯切れのいい演技の茅野イサムさん。そして柔軟で性格派志向だった役者、有馬自由さん。この二人が、竹内さんらのダンスとどんなふうに融合したのか、あの小さな円形劇場でどんな身体表現が繰り出されたのか――。

 そう言えば、この二色刷のフライヤーの背景がややグロテスクで、もちろんそれは縄文杉の樹肌を連想させるモチーフなのだが、私にはこの荒々しいグロテスクな縞模様が、何やら秘密めいた《女陰》を思わせるものと映り、紅いトーンもそれの禍々しさを象徴しているのではないかと、これを見るたびに忘れてしまった舞台の中身を、よく想像したものである。

【劇場で受け取ったテクスト第2面】
 アメリカの植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソンが日本を訪れ、この切株を発見して“ウイルソン株”と名付けられたことはともかく、縄文杉が縄文時代を経ていたか否かの、古今東西の諸処の科学的学術的見聞からすれば、7000年云々は推定のうちの推定であって、ここではつまり、太古からの人類の栄枯盛衰と絡ませた演劇的suggestionということができる。しかもこの演目が今は無き青山円形劇場でおこなわれたことは、私にとって記憶の問題と切り離してみても、きわめて幻想的な気高い舞台を堪能したことになる。もう一度繰り返すが、この1枚のフライヤーが残されていなかったら、私はこの舞台の存在を、とうに忘れてしまっていたのだから。

 演劇性・舞台性とは一過性でそういうものだ、と理解していながら、私はこの時の、1990年2月に現出してすぐに滅した舞台――“ウイルソン株”を《topos》に見立てたダンス――を、もう一度生の舞台で観てみたいと願う。
 それは再演という意味とは違って、あの時の舞台をもう一度現出させたいという、一種の叶わない現実に対する抵抗と渇望である。願わくば、時空を超えて円形劇場の席に座し、それを目撃したい。
 叶えられないのなら、自らの想像に祈りを込めるしかない。ひたすら想像する。想像し続ける。想像する以外に、策はないのだ。想像と想像とを重ね合わせて、脳裏に彼らの踊りが印画されるまで、繰り返し繰り返し想像する…。

 たかだか26年前ではないか。2000年以上もそこに在り続け、人類を見守ってきた樹霊の生命からすれば、値しない浅い過去である。想像することが、記憶を凌駕するのだと、思いたい。ダンスのトポスが、目の前にあることを。

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