『洋酒天国』とカルメン

【『洋酒天国』第5号】
 もう私は圧倒的にウイスキー党だ。サントリー派(私はこれを燦鳥派と書きたい)。アメリカ産の銘酒。そしてスコッチとアイリッシュ。アイリッシュのまろやかさには正直参る。
 ところがどうして、ちょっと暑さを感じればビール、身体が冷えていれば日本酒、野菜不足を感じれば焼酎のトマトジュース割り、野菜ジュース割りと方向転換することもしばしばある。これがかえってウイスキー党を保守する秘訣となる。ともかく私は、基本的にはウイスキーで日々、心身の清潔さを保つのだ。

 ヤケ酒というものを好まない。酒は愉しむべきものだから。そんな酒にまつわる人生訓を学んだのは、“ヨーテン”を嗜むようになってからかも知れない。“ヨーテン”には酒を通じた知的な享楽と調和が、常に明記されているように思われる。

【長沢節イラスト「銀座の女三態」】
 『洋酒天国』(洋酒天国社)第5号は昭和31年8月発行。表紙は坂根進氏によるイラスト混じりで、テーマは南京錠。それぞれの鍵が擬人化されていたりして、裏表紙のデザインを含めると、意味深な酒と女と鍵穴の機知に富んだ表紙だ。

 第5号で目を見張るのは、何と言っても見開きによる長沢節氏の線画。「銀座の女三態」。素描を意識した流麗なイラストは長沢氏の真骨頂であり、おそらくこれは30代後半の頃の画だと思う。長沢氏の線画は、美を素描するのではなく、まさに素描が美を生む瞬間をとらえている。現在でも長沢氏のイラストは人気が高い。ひょっとするとこの「銀座の女三態」は作品としては貴重な部類に入るのではないか。

【品川工「酒と女とヒカリと」】
 別のページ、造形画家・品川工氏の「酒と女とヒカリと」。
 文章の中に“ヒカリの版画”とある。素材はカラー印画紙。この色鮮やかな抽象画がいかなる技法によって生まれたのか、まだ私は知り得ていない。しかしながら眺めていると吸い込まれるような魅惑がある。《ウィスキーの琥珀、ペパーミントの緑、チェリーブランデーの赤、ホワイトキュラソーの粘稠な透明》。《酒と女とヒカリの万華鏡》。『洋酒天国』で様々な作家を知り得るのは実に愉快なことだ。

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【横山泰三写真「マドリードの街角で」】
 さらに別のページでは、漫画家・横山泰三氏の写真がある。横山泰三と言えば、私が20代の頃、おそらく朝日新聞で眺めていたであろう一コマ漫画「社会戯評」が有名である。その作者の珍しい写真が「マドリードの街角で」。

 およそ「社会戯評」の画とはえらく寸法の違う写真であるが、酒をこよなく愛する男・横山氏を知る者からすれば、この写真は実に自然で日常的で、生前の彼を物語るようなスナップと言えるかもしれない。

 それは、マドリードの街の一間。画面の構図は、建物の影によって陰と陽の二つに引き裂かれている。白馬に牽かれた荷車の樽、それを操る青シャツの馬子、新聞紙を片手に荷車を横切る男が陽の世界。樽を転がすシルエットの男は陰の世界。陰と陽、そんなふうにとらえれば、世界は陰と陽に満ちており、なんとか横山氏の風刺画に近づく気がする。

 ちなみに「マドリードの街角で」の文章を書いたのは開高健氏と思われ、これがまたマドリードの街の臭気さえ感じさせる。《ダリが時計を溶かし、ピカソがゲルニカ爆撃に反抗し、…》という箇所で開高氏内省の独特の薫りが漂う。つまりこれは、横山氏の写真と開高氏の傑作なる酒――醸造作なのである。プロスペル・メリメのカルメン――とあるが、私は幼い頃聴いた、ビゼーの「カルメン前奏曲」を思い出さずにはいられない。その記憶が甦る。

 たちまちカルメン熱が込み上げてくる熱情たる文章、そして陰と陽のマドリードの写真。ウイスキー党にして禁じ手なり。気分の裂け目はこうしてやって来る。
 こうなると、マラガのワインを飲むしかないのである。さて、ビゼーのカルメンのレコードはどこへやったか。早急に探し出して、酒の肴として、あの樽の中身に浸りたい。『洋酒天国』はこうでなくてはならぬ。恐ろしい読み物である。

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