未来のアンデパンダン―朝井リョウ

『AREA』No.20「現代の肖像 朝井リョウ」
 “普通の人”が買って読んだ“本”。その本が何気なく置かれた寝室――という日常的な情景を、この数時間ずっと考え込んでいた。漫画本が数冊、雑誌系が数冊、小説ものが数えられる程度しまわれた、小さな書棚。そんな書棚のある“普通の人”とは、どんな人達のことだろう。その人達はどんな“本”を読むのだろう。その人達が買って読んだ“本”は、いつしかどこへいってしまうのだろう――。

 『AERA』No.20('16.5.2-9合併増大号)。「現代の肖像 朝井リョウ」(文=柏崎歓、写真=大嶋千尋)。私は『AERA』の敬虔な読者ではないが、これが読みたくて先日、この雑誌を買い求めた。

 何故それが読みたかったかの理由に繋がることだが、私は朝井リョウという作家が、この先どこへ向かっていくのか、どこへ向かおうとしているのか、ひどく心配なのである。心配に心配を重ねている次第である。日本の文学史の先端にいる彼は今26歳で、その寡少の逸材の彼が何を考え、何と向き合い、どこへ行こうとしているのかを知ることは、日本の文学がどうなっていくのかに大きな影響を与えると思い、そこがひどく心配なのだ。
 明らかに彼は日本の文学界を背負う立場にあり、その「責務」がある。“戦後最年少”というシンボルはどうでもいいとして、直木賞その他の文学賞を受賞した朝井リョウには、宿命的にその「責務」を堅持してもらわなくてはならない…。

 無論、それは言いがかりであろう。私の勝手な論法の、言いがかりに過ぎない。その重たい「責務」を堅持する必要もなければ、作家という仕事を放棄し、別の職業に就くことは彼の自由であり権利である。あくまで私の勝手な「期待」の裏返しの話である。しかし一つだけ事実として感じたことがある。

 『AERA』の「現代の肖像 朝井リョウ」で掲載された写真の隅のキャプションに、
《作家という職業は評価されすぎていると思う。僕は勘違いしたくない》
 と彼の言葉が小さく添えられていた。私はドキリとした。これだ。これなのだ。直木賞を受賞してから約3年が経過し、自身の作品のメディア・ラッシュで時代を謳歌している今、その発した言葉が実に冷静沈着で、物事を見渡していることに驚かされた。

 極端な話、もし彼がそのような“言葉”を発していなかったならば、私は「現代の肖像 朝井リョウ」をあっさり閉じ、朝井リョウの小説を今後一切読むことをやめていたかもしれない。「現代の肖像 朝井リョウ」でまとめられた彼の思いとは、すなわち自分の作品を「“普通の人”に読んでもらいたい」ということと、自分を含めた文学界=作家業がこれからどうなっていくのか不安、「今より不幸せなのではないか」ということだった。

*

 2009年に小説すばる新人賞を受賞したデビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)の“青春群像”作家のイメージが、常に彼につきまとう。そこでさらりとその世界を堪能できる“普通の人”の読者と、その清廉な印象を与える作風と作家のパーソナリティを毛嫌いして拒否反応を示す読者との溝があって、作家・朝井リョウは、おそらくその両端を意識しながら作品を書き続けてきたのだと思う。本が売れない時代に作家として何ができるかということを、真剣に考えてきた一人であると、思う。

 私が最初に読んだ彼の作品は『少女は卒業しない』(集英社文庫)であった。その解説を書いたロバート・キャンベル氏の論説と定義の中で、一つ際立っていたのが、「限りあるもの」に関わる肉付けが朝井リョウは得意、という論説だ。

 例えばそれは「時の制限」である。『少女は卒業しない』では、卒業式後に校舎が取り壊される、という「時の制限」がストーリーの根幹にあった。読者にはあらかじめその制限された時間軸がインプットされ、そこで登場人物が何をし、どう行動するのかの観察に意識が働くようになるのだ。これは、サスペンスの筋に近い書き方である。付け加えて私なりの言い方をすれば、朝井リョウの小説は、“タイム・リミット小説”であり、“バトル・ロワイヤル形式小説”である。

 「時の制限」下で人は何を考え、どう行動するか――。朝井リョウという人の人生観の基調は、ここにあると思われる。
 故に心配というか、身を案じてしまうのは、自らを「限りあるもの」の作家ととらえることである。作家としていずれ消えてしまうのではないか、消されてしまうのではないかという恐怖心。その強迫観念が思いがけず別の方向に向いてしまうことを、私は怖れる。

 端的に言えば、時代の寵児となり、メディアに踊らされ、「作家もどきのコメンテーター芸能人」という成れの果ては、私が最も見たくない姿である。
 純文学の時代など、もうやって来ないかも知れない。しかし、作家然とした振る舞いなど外見は関係なく、作家としての原石だけは、ずっと捨てずに持ち続けていて欲しいと願う。
 読者層が枯れ、本を読まない時代にこそ、朝井リョウの存在は相応しい。少なくとも私はこの世界にたった一人、“ひからびた本を所有する人”として無人島に残存し、最後まで朝井リョウを追い続けたい。かなり長い先の時代まで――。

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