牧野本を読む

『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』(平凡社)
 最近、牧野本(牧野富太郎の本)に触発されて、つい手を出してしまったことが2つある。一つは、庭にザクロの木を植えたこと(本当はアケビの木を植えたかったがホーム・センターに無かったので、ザクロかイチジクかで悩み、ザクロにした)。もう一つは植物の接写のためのマクロレンズ(100mm F2.8)を購入したこと。そもそも音楽用のジャケットで花や何かを接写して素材にしようと考えていたためであるが、それ以外、日頃現を抜かして私が“ウイスキー狂”になっているのは、その原料が植物の大麦だからといって別段、牧野本の影響を受けた、わけではないのであしからず。

 閑話休題。こちらは連関して多少の感慨を抱いた。3年前の6月、当ブログ「植物採集のこと〈二〉」で以下の文を書いたことがある。
《…そうした頃に私が恋をしていた少女の家が、今も尚、驚くべきことに、“無人の家”として近所に残っています。荒ら屋となり、蓬生となって》。

 小学4年の時、その少女は父親の転勤によって小学校を転学し、町を去った(私自身はひどくそのことにショックを受けた)。父と母、少女とその弟の4人が暮らしていた平家の社宅は3年前まで、およそ31年もの間、茫々と雑草の生えた荒ら家としてそこに残存して続けていた。ところがあの文章を書いてまもなく、その家は解体され、見る影はなくなってしまった――。
 少なくとも31年という長い月日によって、すっかり老朽化していた家を壊すのは已むを得ない事情だ。けれども私の記憶が消えかかる頃に、牧野本を読み、ふと少女を思い出し、その家の前を通りすぎて鮮明な記憶となって遡及できていた「もの」が、実存の大きな物証であった「物」の欠損という事態になり、その途端、平素あった心の中の良き通いあいすらも喪失してしまったような気がして、意外にもその自らの傷心に困惑したのである。そしてこのことはもはや、おそらく牧野本を読む瞬間にしか思い出さなくなっていくであろう(当ブログ「恋とK先生と牧野富太郎」参照)。

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 私が所有する牧野本の一つ、『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』(平凡社)は、装幀の活き活きとした色彩写生図の印象と違わず中身も実に味わい深く、植物への知的好奇心を掻き立てる材料として、また再三にわたって述べてきたような少年時代の記憶のよすがとして、私の無類の愛読書となっている。この本に折り込まれた牧野富太郎の解説を書いた梨木香歩さんの「永遠の牧野少年」を読めば、まさに彼が正真正銘、“永遠の少年”であったことが頷け、「学問的放蕩」と「植物偏愛」という言葉が間違いなく彼の生涯における代名詞であったことを受容できるはずだ。

 植物分類学者、牧野富太郎…。東京根岸に所帯、13人の子を授かる…。生涯の標本数は約40万枚…。すきなこと・すきなものは音楽、歌謡、絵画、火山、牛肉のすき焼き、トマト、コーヒー…。
 生まれは1862年、土佐である。20代で上京、東京大学理学部植物学教室に出入りし、研究を続けたという履歴が面白い。言わば「学問的放蕩」×「植物偏愛」の乗算式が「牧野主義(マキノイズム)」となったのではないか。

 この本の最初の随筆「なぜ花は匂うか」(1944年)で心をむんずと掴まされ、「植物に感謝せよ」(1956年)でこの人の植物への精神が諒解させられる。

 植物と我々は密接な関係にあって、人間は植物を征服していると言えるが反対に(同時に)植物も人間を征服している、という。そして人間は生きることに幸福を要求するが、それは動物でも植物でも同じこと。独りよがりに生きるのではなく、人間は人間同士助け合い、社会の安寧秩序を保たなければならない、とする。植物は何故生きているのか、生きられるのかというこの人の鋭い観察眼が、同じ生き物である人間社会への共通した精神を説こうとした画期的な随筆であり、このあたりの植物分類学と哲学との結びつきが、明晰な牧野節の底辺に流れていると言える。

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