魯迅の『藤野先生』

岩波『図書』6月号「藤野先生の『頓挫のある口調』について」
 先月、岩波書店PR誌『図書』6月号の、三宝政美著「藤野先生の『頓挫のある口調』について」を読んだ。私は感動のあまり涙がこぼれそうになった。『藤野先生』は魯迅の代表作であり、その魯迅でさえも、ひょっとしてもしかすると、その藤野先生の優しさの一面を知らぬままでいたのではないかと想像できたからだ。

 「藤野先生の『頓挫のある口調』について」。
 三宝氏は『藤野先生』(魯迅『朝花夕拾』所収)で、魯迅が綴った先生の“口調”にまつわる表現――頓挫のある口調――の翻訳について鋭く言及している。頓挫のある口調とは、いかなる口調であるのかと。
 さて、と思い、私は高校時代の筑摩書房の国語教科書を開いた。残念ながらその教科書には魯迅の『藤野先生』は収録されていなかった。書棚を探して皮肉にもそれを見つけたのは、同じ筑摩の『筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫)である。ここに収録されていた『藤野先生』は竹内好訳で、『世界文学大系』第62巻(筑摩書房)に拠っている。私はこの竹内氏の訳版によって、三宝氏が言及する部分を見つけることができた。

 そこでは、《ゆるい抑揚のひどい口調》となっていた。
 『藤野先生』は魯迅がまだ若い頃、清国留学生として仙台の医学学校にやってきて、解剖学の藤野厳九郎先生に出会った時のエピソードが綴られたものだ。それは明治37年の秋、他の日本人学生のいる教室などでの、痛苦に満ちた日本での生活が垣間見られる秀作である。
 読んでいくと竹内氏の訳では、藤野先生は《ゆるい抑揚のひどい口調》で自己紹介を始めた、となっている。三宝氏が指摘するに、原文にある「頓挫」や「抑揚」を例えば昭和10年に岩波から出版された佐藤春夫・増田渉共訳版においては、《いつもの抑揚のひどい口調》であるとか、《先生の抑揚頓挫の口調で》と訳されているらしい。また昭和12年の『大魯迅全集』(改造社)の松枝茂夫訳では、《ひどい抑揚のある口調》となっているようで、どれも原文の「頓挫」や「抑揚」を日本語流に訳したとは言い難く、匙を投げたとも受け取れるほどだ。その後松枝氏は改訳し、それを《トギレトギレ》とか《ポツンポツン》と置き換えたようなのだが、やがて昭和30年には《ひどく抑揚のある口調》に戻ったのだという。
 私が読んでいる竹内好訳の《ゆるい抑揚のひどい口調》とか《抑揚のひどい口調》もまったく同じであり、前後を読んでいると、さも藤野先生の言い回しがおかしく、《うしろの方で数人、どっと笑うものがあった》と学生達からの軽蔑の意が濃いことを常識的な解釈にせざるを得ない。

 留学生だった魯迅も、そのように感じていたのだろうか。
 藤野先生は彼――自分をいっこうに不勉強であったと振り返っている魯迅本人――に対して、実に丁寧に、隅々までこまやかに、ある種の執着心を持って接し、解剖学を教えている。不幸にも魯迅はそのせいで、同級生からいじめを受ける。そして信じがたいことに、《中国人の銃殺を参観する運命に巡り合った》。さらにまた、幻灯機を使った余暇の教室の、日本軍に捕らえられた中国人の銃殺の場面で、同級生達が万歳!と歓声を上げた、ともある。
 魯迅はその時、どれほど心を痛めたか。結局、仙台での生活に落胆し、学校を去る決意をする。以後、魯迅は先生を失望させまいと、藤野先生とはいっさい書簡的やりとりをしたためなかった。

 しかしながらあの藤野先生の、学生にさえ嘲笑された《抑揚のひどい口調》とは一体どんな口調だったのか。しかも何故、三宝氏はその先生の口調の解明にしつこくこだわったのか。「藤野先生の『頓挫のある口調』について」は後半、その核心に触れていく。
 三宝氏は、魯迅の同級生の薄場実氏や後輩の半沢正二郎氏の随筆記録から、先生の口調には地方の訛りがあったこと、むかしの漢学師匠の調子があったことを突き止めている。そして魯迅は当時未熟な日本語能力であり、それらを聞き分けることができなかったにしろ、標準語とは違ったイントネーションであることは少なくとも感じることができた、と推理する。
 何事にも不慣れな魯迅に対し、藤野先生は、解剖学という専門的な講義で難しい専門用語が扱われ、しかもラテン語やドイツ語が飛び交っていたような教室では、《頓挫のある口調》つまり言葉を理解しノートに取りやすくするための、充分に間合いを取った口調を意図していたのだ、と三宝氏は述べる。藤野厳九郎は少年時代に儒学を学び、中国留学生への礼節を重んじた面もあったようだ。

 この三宝氏の鋭い指摘によって、《頓挫のある口調》の謎は解けた。これによってこれまでの訳本がすべて微塵にならざる事態になりはしないかと少々心配な面はあるのだけれど、目から鱗が落ちるとはこういうことを指す。
 『藤野先生』という秀逸な作品、藤野先生の学生に対する深い愛情と思いやり、そして心に窮して学校を去った魯迅の、その後の藤野先生に対する厚い感謝の念の高揚――。読者としての私はこれぞ文学、と叫びたくなる心境であった。

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