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『洋酒天国』と温泉お風呂の話〈2〉

【前回から引き続き『洋酒天国』第57号】
 前回に引き続き、昭和38年5月発行の『洋酒天国』(洋酒天国社)第57号の紹介。今号は「温泉」&「風呂」大特集。

 この特集とは直接関係ないコラム、巻末の「東西バー通信」を読んでまず時代のノスタルジーに浸る。ここでは仙台市の会員制バーのサントリー・クラブだとか、横浜の港近くの小さなバー“H”が、ほとんどジョーク抜きで(半ば生真面目に)紹介されている。もう一つの店、新宿二幸裏の“A”というトリスバーに、私は思わず反応してしまう。バーの壁にジャズのレコードのジャケットが並べてあり、セロニアス・モンクの「Straight No Chaser」を聴きながらトリスを飲む云々…とあって、ちょうどモンクに夢中になっている私の今の脳内的情趣と合致する。

 “A”とは一体、どんなお洒落なバーだったのだろうと多少調べてみた。するとなんとなく分かった。新宿の二幸裏ということで名前が挙がったのは、ロール・キャベツで有名なレストラン「アカシア」。どうやらその隣の店がトリスバーならぬジャズ・バー「アカシア」であって、同名のレストランは親族が経営しているらしかった。レストランの方は今でも入れそうである。久しく訪れていない新宿の界隈を、独り歩いてみたくなった。

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【「ミス洋天57号」ヌード・フォト】
 第57号。あるページの、木目の扉の鍵穴の絵は、本当にわざとくり抜いてあってちょっと驚く。ページを開くと、小さく事務的な文体で、《軽犯罪法 昭和二十三年五月一日法律第三十九号…正当な理由がなくて…浴場…ひそかにのぞき見た者》というふうに日本の刑法が記してある。
 さらにページを開くと、そこは一面真っ赤っか。がらりと世界が変わる。《とは言うもののヌードはやっぱりイイね》と前ページに引っ掛けてジョークを掲げた「ミス洋天57号」のヌード・フォトの見開きである。

 モデルは不明。背景とバスタオルが同じ真紅で融合し、女性のなめらかな肌が見事に浮き上がって見える。やや俯き加減の視線は、左手の人差し指で左足の甲をさするあたりに向けられ、覆い隠しているはずのバスタオルが幾分ほどけ、右の乳房が露出している。この露わになった乳房の突起点と俯き加減の眼、そして左手人差し指の先の3つの点が三角形となり、この画の内側の調子、つまり肢体の均衡とロマンチックな曲線美の構図的関係を築き上げている。しかもこの見開きの印象としての真紅の色は、視覚的に非常に強烈かつ濃密で、まるで女体の子宮内部を連想させ、生殖の絵画的写実として卓越している。これぞ浪漫ポルノ。欲情を掻き立てられた男達はもはや、ここから視線をそらすことができなくなるのだ。

 そろそろ「温泉」&「風呂」の本題に入りたい。先ほどの子宮と言えば、この号の「温泉オンチ温泉通」(筆者は『旅』編集長の岡田喜秋)で“子宝の湯”について書かれてあった。《…よく子宝ノ湯というのも、女性の子宮の入口が一般に酸性であることから、逆にアルカリ性のつよい温泉に入れば、妊娠しやすくなるというのが原理で、伊豆の吉奈や、南紀の湯ノ峯、新潟の栃尾又などがとくに有名になったのだ》。――そもそもこれは、昭和30年代の古い記事であり、その科学的医学的根拠について素人の私には皆目判断がつかないのだが、そんな理由で本当にこういった効能があるのだろうか。興味深いと言えば興味深く、子宮をもたぬ男達は試す術がない。

 なんだかんだ言って、男はこの時代、「風呂」が大嫌いだったのではないか、そういう人が多かったのではないか、という推論がわく。写真とご本人のコメントを載せた「わが家の風呂」では、著名な4人の“わが家”の「風呂」が覗ける。当然、あの時代の「風呂」だから、少し雰囲気が昭和らしく古風である。
 作家の遠藤周作氏は「風呂」好きなので、大小の石を敷き詰めた旅館風の「風呂」。自宅風呂としてはさすがに豪奢だ。服飾デザイナーの石津謙介氏はタイル張りの「風呂」で眼を瞑り、煙草を吹かし、極楽気分。それでも裸になるのが面倒で身体を洗うのも億劫と書く。野球選手の徳武定之氏の「風呂」もタイル張り、ミニサイズにした銭湯風。彼は職業柄何度も「風呂」に入るし、生活の重要な段取りと説く。4人目は女優の倍賞千恵子さん。お「風呂」は大好き。愛犬とキャンキャン云いながら入っていそうな写真が掲載されていた。
 その後のページの作家・五味康祐氏の随筆「風呂ぎらいの弁」ではものの見事、男の反「風呂」派のエピソード。雄弁に嫌いな「風呂」について語られ、こうなると男は昔、むしろ「風呂」好きの方が少数派だったのではないかとも頷ける。
 第57号ではさらに、アメリカ人ジョン・ネイサン(ハーバード大、東大卒の日本文学研究家で知られるジョン・ネイスン)氏が初めて銭湯に入った際のドタバタ喜劇を綴った「銭湯に入った大胆な若者」が面白いし、心理学者・安田一郎著「覗きの心理」も読み応えがある。これはきわめて冷徹な内容でヨーテンらしからぬ随筆。「露出症」と「覗き」の話。

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【大傑作の斜一八著「♨とは何ぞや?」】
 一方で評論家・斜一八氏の「♨とは何ぞや?」は、ヨーテン的な内容のルポルタージュ。♨(温泉マーク)は今日、温泉のある場所を示した記号であるが、あの頃、それは連れ込み旅館を示すマークでもあった。いわゆるその♨旅館への、潜入体験ルポ。

 ここでの斜一八氏という人が、どういう経歴の評論家なのか調べられなかったのだけれど、やけに重々しい文体で、連れ込み旅館自体を未開の密林の如く“重く暗く”受け止めているのが印象的だ。だからかえって面白い。いきなり冒頭で《清潔・清純・潔癖 純粋・潔白》と熟語を書き並べている点で既に畏まってしまっている。しかもここに、“純潔”が加わっていないのがミソ。今どきでは信じられないことだが、この評論家は♨を訪れてまわることで、さも心のpurityと性的なvirginityを喪失する畏れを真剣に抱いているのであった。
 《私は今日許婚のK子を誘って》と表して、その旧自然主義文学的なルポが始まっている。千駄ヶ谷の♨、明治神宮を挟んで反対側の参宮橋付近の♨、それから新橋の♨。部屋の枕元に置いてあった“おみくじ箱のようなもの”のルポが特筆している。これって昔、ラーメン屋などで置いてあり、硬貨を入れるとおつまみのピーナッツ(南京豆)がコロリ落ちて出てくるあの小型の古めかしい自販機ではないか。無論そこではピーナッツではなく、100円硬貨を入れると“愛のセット”が出てくる。
 “愛のセット”。斜氏は“おみくじ箱のようなもの”から、マッチ箱のようなものを取り出した。箱の中に入っているのは、2個のコンドーム、ペラペラの紙に刷った荻野式避妊暦(私がいま使っている日本語入力ソフトでは“荻野式避妊暦”を“おぎのしきひにんれき”で変換できるように登録しますか?と促されたが固く却下した)、おみくじ(ここでおみくじが「大凶」と出たら、この後の愛のレッスンはどうなるのだろう?)、チューブ入りの説明書つき興奮剤。

 斜氏とK子は取材を終えて、Fというバーで会話をする。飲み物はトリスである。
 ここで斜氏は、K子にとくと談話をされる。大した話ではない。♨旅館は不潔でも不健康でもない、若い男女は住宅問題で悩まされているから、こういう場所を不倫な情事にかかわらず利用するのも手だ、というようなこと――。談話したK子は自分で感激し、斜氏もそれを聞いてしんみりする。感激としんみり。感激としんみり。斜氏の場合、しんみりというより本当は感涙(もしくは号泣)していたのではないか。
 涙ながらの談話。感激としんみり。感激としんみり。ラブホは不潔でも不健康でもないのよ。そんな話で感激してしまうK子。そして斜氏のしんみり。――そう言えば新婚旅行で泊まる旅館には、数え切れないほどのカップルが初夜を過ごす、それを不潔だと思う人はいない、♨は東京の「北ホテル」だ、いま私は悩んでいる、私とK子は♨に行くべきなのか、それとも行ってはならないのか。と、斜氏の悩ましい青少年の疑問符的結びで「♨とは何ぞや?」は閉じられている。―――おいおいおい。

 まさか、ヨーテンでpurityとvirginityについて哲学されるとは思わなかった第57号。大傑作と言っていい。
 ところで巻末の「東西バー通信」の手前で、ヨーテン登場としては貴重な大作家・瀬戸内晴美さんの「風呂」話が読める。練馬の小さな家に引っ越してきて大きな風呂場を拵えてしまってたいへん困ったという話なのだけれど、瀬戸内さん。そんな暢気な話を書いている場合ではありません。悩ましい青少年である斜氏さんをなんとかしてあげてください。と私は祈った。
 いきましょかいきましょかと瀬戸内さんが斜氏の手をつないで和やかに♨旅館に入っていく様を、思い浮かべた。顔色を青くした斜氏が、セイケツ!セイジュン!ケッペキ!ジュンスイ!ケッパク!と大声で叫んだかと思うと、千駄ヶ谷の駅の向こうに疾走して、市ヶ谷の駐屯地で泣き叫ぶのではないかと想像してしまった。そんな絵面を、漫画風にして誰か、銭湯の壁画にしてもらいたいものである。

 セロニアス・モンクの陽気で健やかな「Straight No Chaser」が、どこからか耳に届く。新宿に行くべきか、それとも行ってはならないのか――。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

武満徹―暗い河の流れに

先月末の当ブログ「大阪万博と音響彫刻のこと」で記した、1970年大阪万博・鉄鋼館におけるフランソワ・バシェの「音響彫刻」に関して、あらためてここでご報告したいことがある。「音響彫刻」復元に向けてのクラウドファンディングの資金総額が先日、なんと目標金額200万円を上回ったとのこと(※現時点で300万円を超えた)。その急報を受け、復元実現への大きな一歩となることに安堵を覚え、何よりも喜びが絶えない。これも多くの方々の趣旨賛同の協力と支援による成果であり、この場を借りて心よりお礼を申し上げたいと思う。今後とも、さらにこのプロジェクトの経過を見守っていただければ幸いである。 §
 さてこうして、当時バシェの「音響彫刻」を依頼した音楽家・武満徹氏の過去の作品や活動について、個人的な興味が近頃熱を帯びてきたため、彼の諸々の作品に出合う機会が多くなってきている。
 彼の映画音楽以外で、音楽CDを初めて聴いたのは、確か12年前のことである。東京都交響楽団・外山雄三指揮の「地平線のドーリア」。私がその時、どのような理由でそれを買い求め、彼の作品をとらえようとしていたのか、今となっては判然としない。が、その前提にあったのは、これはおそらく間違いないことであろうけれども、高校の国語教科書(筑摩書房)にあった彼の随筆「暗い河の流れに」の木訥とした文章の記憶と、そこに掲載されていたアメリカ出身のジャズ歌手ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)の、まるで精彩を欠いたリリーフ画のような古いモノクロ写真の印象とが、あまりにも憂鬱な記憶の陰にあったからだろう。再び私は随筆「暗い河の流れに」を読み、武満徹氏の思想的感覚の在処を考えてみることにした。
 私が高校時代に使用していた筑摩書房の国語教科書は、今でも時折開くことがあるのだけれど、美術家イワサキ・ミツル氏の抽象画の装幀がなんとも不気味で謎めいていて、本を開く前の心が落ち着かなくなる。この一つの抽象画の存在によって、教科書に出てくる様々な作品に対するイメージが、ほとんどすべて、暗がりの木に潜む孤高な梟と化し、その印象は一つ一つ暗い。武満徹の随筆「暗い河の流れ」は最も孤高とも思え、当時私はこれを読むことを避けた。この随筆は教科書の中で「評論」の章題に属しているが、授業のテーマに挙げられることはなかったのである。
 「暗い河の流…

ファミコンの思い出―プロレス

深田洋介編『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を読んでみると、その熱い思い出を語るほとんどの方々が、1970年代生まれであるという事実に、言葉では言い尽くせない共時性の発見があって面白い。
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