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音楽というパラダイム

【丸善PR誌『學鐙』夏号】
 もともと――という表現がこの場合好ましくないのを承知で、敢えて誤解を怖れずに書くけれども、もともと、ジェリー藤尾さんが1960年代に歌っていた永六輔作詞、中村八大作曲の「遠くへ行きたい」が、この55年もの間、変貌に変貌を遂げ、今も、日曜の朝の旅番組の主題歌としてそこで“歌われ続けている”ことを、私はたいへん幸せな心持ちで慈しむ。そういう毎週日曜の朝を迎えている。実によく、ここまで変貌を遂げたものだと感心してしまうくらい、もともとのジェリー藤尾さんの歌う「遠くへ行きたい」が、多彩なアーティストによって趣が変えられ、リアレンジされてきた。そのことを思う時、音楽は、出会う人々によって混じり合い、融合していくのが宿命なのだと、深く実感する。

 この“混じり合う”というキーワードで音楽の歴史とその融合性を説いているのが、最近読んだ丸善PR誌『學鐙』夏号に掲載された、千住明著「混じり合う音楽」である。今号の特集(のキーワード)は「混ざる 混ぜる 混在する」で、科学的文化的見地から様々な分野の著名人が、それを主題と絡ませてエッセイを綴っている。

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【千住明著「混じり合う音楽」】
 千住氏の「混じり合う音楽」では、東洋の仏教の「声明」と西洋のキリスト教の「グレゴリオ聖歌」がよく似ているという例を挙げている。どちらもモノフォニーの様式であり、見えないものに対する畏怖の念や魂の根源性が先代の音楽から感じられる。そしてごく簡単に言えば、東洋と西洋の文明文化の混じり合いが音楽にも影響を及ぼし、人類は有史以来様々な音楽的ジャンルを構築してきたという話である。
《イタリアのカンツォーネ、ポルトガルのファド、フランスのシャンソンと同じ様に、アジアにもドレミを使った歌謡曲や演歌が生まれ、アフリカの音楽はアメリカでジャズを、ブラジルのサンバはジャズと混ざりボサノヴァを生んだ。イスラムの音階は他と比べて独特で、西洋音楽と混じり合えないのではと思いがちであるが、スペインで生活の中からフラメンコが生まれた》
(『學鐙』夏号「千住明著「混じり合う音楽」より引用」)

 こういったことをひっくるめて、私なりに例にとって示したのが、冒頭の「遠くへ行きたい」のリアレンジのことなのだが、ジェリー藤尾さんの歌う「遠くへ行きたい」がどこかしんみりとする情緒的な雰囲気なのに対し、ごく最近のリアレンジでは、これが実にラテンの明るさを持ってテンポアップされた「遠くへ行きたい」に様変わりしていたりして、そこはかとなく面白い。演奏するアーティスト達が自然に身につけてきた民族性や経験、修練を積んだ巧みな演奏技術、特にその個々の音楽的感性の違いによって、一つの曲がまったく違った雰囲気と色合いに変幻すること。感性が多様に混じり合って音楽というものの形が出来上がっていくことの魅力。その混じり合うことの宿命性について、私は「混じり合う音楽」のエッセイを読み終わってから、しばし寛いだ時間の中であれこれと思考するに至った。音楽を思考することも、私にとってはふくよかな幸福感に包まれる良き鍛錬だ。

 千住氏は1967年の武満徹の作品「ノヴェンバー・ステップス」にも言及し、本来的に五線譜を用いない邦楽器の演奏と西洋のオーケストラ(琵琶と尺八とオーケストラ)との混合の実験的作業に関して、《「ノヴェンバー・ステップス」は邦楽と西洋音楽が混ざり合えないという、ギリギリの攻防をしている作品であるように思える》と述べている。

 しかし現在、21世紀は、かつての五線譜の役割から解き放たれてコンピューターの時代となった。音楽はコンピューターの中で演奏が組み合わされ、記録されるようになった。そうしたことから今日では、劇的な変化が生じている。
 例えば、ワイクリフ・ジョンというヒップホップのアーティストが、日本の三味線や琴といった音色を“サンプリングされた音源”として自身の作品に適宜用い、ヒップホップの定説や秩序だったものを幾分破壊している形跡があって興味深い。端的にそこでは、黒人社会における感性とアジア的華やかさの融合が感じられる。
 また、その三味線や琴の古来伝統的な奏法から逸脱した扱われ方(西洋人の新鮮で好奇心に満ちた扱い方)を客観的に聴くと、それはそれで音楽らしく、心地良いものとして耳が受け入れるから不思議だ。むしろ今、邦楽器が外国人に“愛されている”という観念に敢えて囚われてみれば、ますます音楽の混じり合いというものが国境を越えるどころの話ではなく、また譜面の記述の問題から生じた「ノヴェンバー・ステップス」どころの話ではない、もっと親密な、個人の自由な愛着心やモノとの共有性といった部分にまで及び、世界の中で「融合された音楽」「結合した音楽」は想像以上にどんどん増幅しているとみていいのではないだろうか。

 私は先に、音楽は混じり合い、融合していくのが宿命なのだと述べた。人々の心に触れる音楽は時代を乗り越えて残っていくだろう。反対に、混じり合い、融合していく過程で消滅していく音楽というのもあるだろう(本質的に音楽というのは、演奏の最中から既に消えていく性質のものなのだ)。今はそのどちらも飽和の時代なのだと思われる。
 無数の音楽が、この現在、地球上に溢れかえっている。人々がそこに居て、心のどよめきが祈りに傾き、喜びに傾き、悲しみに傾く瞬間、その都度音楽が生まれる。音楽は人と寄り添って存在する。混じり合って生まれる音楽は、私たちの姿そのものなのである。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『YELLOWS 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなの…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられ…

武満徹―暗い河の流れに

先月末の当ブログ「大阪万博と音響彫刻のこと」で記した、1970年大阪万博・鉄鋼館におけるフランソワ・バシェの「音響彫刻」に関して、あらためてここでご報告したいことがある。「音響彫刻」復元に向けてのクラウドファンディングの資金総額が先日、なんと目標金額200万円を上回ったとのこと(※現時点で300万円を超えた)。その急報を受け、復元実現への大きな一歩となることに安堵を覚え、何よりも喜びが絶えない。これも多くの方々の趣旨賛同の協力と支援による成果であり、この場を借りて心よりお礼を申し上げたいと思う。今後とも、さらにこのプロジェクトの経過を見守っていただければ幸いである。 §
 さてこうして、当時バシェの「音響彫刻」を依頼した音楽家・武満徹氏の過去の作品や活動について、個人的な興味が近頃熱を帯びてきたため、彼の諸々の作品に出合う機会が多くなってきている。
 彼の映画音楽以外で、音楽CDを初めて聴いたのは、確か12年前のことである。東京都交響楽団・外山雄三指揮の「地平線のドーリア」。私がその時、どのような理由でそれを買い求め、彼の作品をとらえようとしていたのか、今となっては判然としない。が、その前提にあったのは、これはおそらく間違いないことであろうけれども、高校の国語教科書(筑摩書房)にあった彼の随筆「暗い河の流れに」の木訥とした文章の記憶と、そこに掲載されていたアメリカ出身のジャズ歌手ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker)の、まるで精彩を欠いたリリーフ画のような古いモノクロ写真の印象とが、あまりにも憂鬱な記憶の陰にあったからだろう。再び私は随筆「暗い河の流れに」を読み、武満徹氏の思想的感覚の在処を考えてみることにした。
 私が高校時代に使用していた筑摩書房の国語教科書は、今でも時折開くことがあるのだけれど、美術家イワサキ・ミツル氏の抽象画の装幀がなんとも不気味で謎めいていて、本を開く前の心が落ち着かなくなる。この一つの抽象画の存在によって、教科書に出てくる様々な作品に対するイメージが、ほとんどすべて、暗がりの木に潜む孤高な梟と化し、その印象は一つ一つ暗い。武満徹の随筆「暗い河の流れ」は最も孤高とも思え、当時私はこれを読むことを避けた。この随筆は教科書の中で「評論」の章題に属しているが、授業のテーマに挙げられることはなかったのである。
 「暗い河の流…

ファミコンの思い出―プロレス

深田洋介編『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を読んでみると、その熱い思い出を語るほとんどの方々が、1970年代生まれであるという事実に、言葉では言い尽くせない共時性の発見があって面白い。
 ファミコンすなわち任天堂の8ビットテレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」の歴史を簡単にたどってみる。  小豆色がイメージカラーの華奢な本体が1983年夏に発売開始され、徐々にヒット商品となり、85年までに650万台以上が販売されたという。ちなみに、1983年はどんな年であったかというと、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』の大ブーム、東京ディズニーランドの開園、そして田原俊彦の「さらば…夏」が第14回日本歌謡大賞のグランプリを受賞した年だ。  ファミコンの全盛期はおそらく86年頃だと思われるが、発売開始から約10年後の1994年に新作ソフトの発売が終了されるまでの期間は、まさに70年代生まれの世代が小学生から成人になるまでの成長期とほぼ合致しており、この団塊ジュニアと言われる世代の、衣食住に浸透しきったファミコン依存度は頗る夥しいと言わざるを得ず、極論すればファミコンは、70年代生まれの世代にだけ付与された電子玩具信仰だったわけである。
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 閑話休題。ファミコンのゲームで私が最も熱狂したのは、任天堂のディスクシステムで1986年に発売された、『プロレス』だった。当時の熱狂的なプロレスファンであればこのゲームにかじりつくのは自明で、これ以前に発売されていた『キン肉マン マッスルタッグマッチ』だとか『タッグチームプロレスリング』でなんとなく消化不良を感じていたプロレスファンは、この『プロレス』の発売で誰しもが溜飲を下げたことだろうと思う。
 このゲームの取扱説明書の表紙を最初に見た時、それがチャンピオンベルトを巻いたアントニオ猪木似のキャラクターであることに、まず大きな感動を覚えた。これはもしかすると、テレビゲーム史上初めてアントニオ猪木似のキャラクターが登場したゲームソフトだったのではないかと思うのだが、確かなことはよく分からない。いずれにしても、キン肉マンや長州力やストロングマシンではない、マット界の真打ちの登場には拍手喝采だった。
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 『プロレス』は、1人プレイモードと2人プレイモードが用意されていて、1人プレイモードは5分1本勝負のランキング制であった。勝ち抜けば…