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8月, 2017の投稿を表示しています

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『洋酒天国』―南米の葡萄酒と罪と罰

当ブログの2014年5月27日付でヨーテンの第44号を既に紹介している。「『洋酒天国』とペルノー」である。最近、懐かしくなってその第44号を手に取って読み返してみた。その中身の内容の充実さと比較して、自分が書いたブログの本文が、随分と物足りないものに思えた。4年前の本文では、サガンとフランスのリキュール酒ペルノーの話に終始しており、粗末とまでは言わないが、ヨーテンの中身の紹介としては、ちょっと天然すぎて調味料的旨味が足りないし味気ない。悔いが残るというか、気分的にもこのままでは体に悪い。ならば――再び第44号を紹介しようではないか、ということで、異例なことながら今回は、『洋酒天国』第44号“再登板”なのである。 §
 壽屋(現サントリー)のPR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第44号は昭和35年3月発行。この年(1960年)を振り返ってみると、ちょうど安保闘争が最高潮に過熱していた頃で、4月にはサドの小説『悪徳の栄え』で猥褻表現が問題視された訳者の澁澤龍彦が起訴されている。いわゆる“サド裁判”である。さらにこの年は、西田佐知子さんの「アカシアの雨が止む時」が流行。いま聴いてもこの歌はいいし、この人の声はとてもチャーミングで男心をくすぐる。西田さんと言えば、いまでも容易に、庶民派の日本酒“菊正宗”のコマーシャル・ソングでその美声とコブシを聴くことができる(曲名は「初めての街で」)。
 昭和35年に日本公開された映画を一つ挙げる。ウィリアム・ワイラー監督のアメリカ映画、チャールトン・ヘストン主演の『ベン・ハー』。これは、ユダヤの青年を主人公にしたキリスト誕生に絡む冒険譚で、言わば泣く子も黙る大長篇映画であった。上映時間は212分。約3時間半と恐ろしく長い。  『ベン・ハー』については、中学校時代の鈍色の思い出がある。おそらく卒業式間際だったのだろうと記憶しているが、正規の授業をほとんどやらない3学期のいずれかの頃、教室で『ベン・ハー』を観る羽目になった。実はその日一日、3学年の授業は限りなくほったらかし状態となったのである。“自習”という授業の名目で、午前から午後にかけて、教室のビデオデッキに『ベン・ハー』のビデオテープがかけられた。担任の先生がレンタル・ショップから借りてきたビデオテープと思われる。  授業を長くほったらかしにするには、何かビデオを流せばいい。それも…

バシェの音響彫刻修復―その経過報告

去る8月23日、バシェの音響彫刻修復プロジェクトの経過報告について、東京藝大のファクトリーラボ(旧ファクトリーセンター)内のプロジェクト事務局より、メールでのPDF添付という形で、2通のプロジェクト・ニュースを送っていただいた。それは7月から8月分のプロジェクト進行状況の経過報告書となる。
 当ブログ「大阪万博と音響彫刻のこと」を書いたのは今年の5月末のことである。月日の経つのはめっぽう早い。1970年大阪万博の鉄鋼館に出展されていたフランソワ・バシェの「音響彫刻」十数作品を、茨城県取手市の藝大ファクトリーラボが修復・公開するプロジェクトを発足。その資金収集のためのクラウドファンディングが目標額を見事に達成したのは6月末のことであった。個人的には、その後のプロジェクトの動向がとても気にはなっていた。
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 今回届いたプロジェクト・ニュースを要約し、この場を借りてご報告したい。 クラウドファンディングで集まった金額の総額は、3,348,000円。ミーティングによりプロジェクトの年間計画が決められ、大凡具体的な今後のスケジュールが記されてあった。8月には材料部分の分析調査や不足部材の調査、9月は基本部分の組み立てと不足部分の制作などがおこなわれ、10月には本組み立て調整が開始される。12月には全体の最終調整及び調律がおこなわれ、以後、コンサートやワークショップが取手校や上野校で催される予定らしい。
 先月の7月25日には、部材の調査や仕分け、ナンバリングがおこなわれた。過去の調査資料を元に、勝原フォーン、AOKIフォーン、TOMIKOフォーン、TAKAGIフォーン、YOSHIZAKIフォーン、MIYAMOTOフォーン、SAKAMOTOフォーン、KURUMA 1&2、VILLEMINOフォーンに分類。不明な部材、紛失した部材もあったようだ。いずれにしても、これらのフォーンがこれから修復されていくわけである。
 8月の材料部分の分析調査では、携帯型蛍光X線分析(XRF)計による測定と赤外線による撮影がおこなわれた、とある。フォーンの部材の蛍光X線による簡易分析では、フォーンの金属の部分はジュラルミンやステンレス、フレーム部分は鉄、弦の部分はステンレス線という結果。最終的な分析結果は約1ヵ月後とのこと。こうした素材の分析によって得られたデータは、今後修復される部材…

市民の生き方をリノベーションする

家事に一息ついて飲むウイスキーが美味い。風呂上がりなら尚のこと。つい昨夜、この数ヵ月間ちびりちびりと嗜んでいたスコッチ・ウイスキーのラフロイグ(Laphroaig)の10年物を、ようやく空けた。空けてしまって何か寂しいと思った。この寂しさは、他の酒のそれとは違って言葉では言い表せない慈しみがある。すぐにでもまた新しいラフロイグを買えばいい、と思ったが、それもまた情緒に欠けるような気がして躊躇する。しばらく間を置こう。酒の深い味わいのためには、拙速な心持ちは禁忌である。
 そのラフロイグのことを書いた今年の3月(当ブログ「ラフロイグのスコッチ」)、ある英国の映画のことに触れた。“like a dog with a bone”。イングランドのニューカッスルが舞台の――。失業した男の、貧困と労働問題がテーマだったその映画は、(敢えてその時は伏せていたけれど)ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(I,Daniel Blake)という作品で、第69回カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞している。そして再び、忘れもしなかった“ニューカッスル”の地名を見たのは、先日の朝日新聞朝刊の1面である。その記事も、ニューカッスルのある光景について書かれてあったのだ。映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』と、新聞記事の“ニューカッスル”が結びつけているものは、administrationすなわち「行政」であった。
 新聞の1面の記事は、“平成”をテーマにしたもので、「次代へ渡し損ねたバトン」という見出しがつけられていた(編集委員・真鍋弘樹)。ある平成生まれの大学生が5年前、ニューカッスルの市内の図書館に訪れたとき、ある同年代の光景に凍り付いたのだという。そこでは地元の若者達が、議会という形で市の政策を議論していたのだ。日本ではなかなか見られない若者の光景が、向こうでは当たり前のようにみられる。若者としての意識のずれ以上に、何か深刻な差を感じた。《俺たち、まずい。日本やばいって》――。  俺たち、まずい。日本やばいって。その彼=竹下修平さんの言葉は、記事の中においてもずば抜けてリアリティがあり、おそらく読者の心にグサリときた言葉であろう。同感や共感といった意識を飛び越え、読んだ私自身、アラサー世代が何もいじろうとしなかった旧態依然の日本の政治の不具合、不条理のようなもののツケ…

組み体操ってなんじゃらほい?

私が30年前(1987年)に卒業した中学校の、“卒業アルバム”を引っ張り出してみた。アルバムの最後の見返しの部分に、前年の秋の運動会でおこなった「組み体操」のモノクロ写真がある。懐かしい写真だ。その中央――俄に信じがたい高さに、人が立っている。いわゆる人間タワーである。てっぺんの高さを単純に計算してみたのだ。タワーは4段構造となっているから、中学生の身長を165センチと考えてその4倍、660センチ。  え、6メートルを超えて7メートル近い? タワーの周囲にいる地上の先生ら5人が、確かに、遥か上を見上げている。これは凄い。トラックの外側にいる生徒や大人達がほとんど、この7メートル近い人間タワーに釘付けなのだから、運動会の演目としては花形。最大級の見せ場、ハイライトだ。だがこの後、てっぺんにいる生徒は、突如、地面に落下するのである。 §
 先週14日の朝日新聞朝刊の1面で、「組み体操中止 中学3割」の見出しの記事を読んだ。ここ数年しばらく、たびたびメディアで取り上げられている「組み体操」の事故問題に鑑みて、同新聞は全国から74市区の教委にアンケートをおこなった。  その結果。教委が「組み体操」の実施を把握していた学校は小学校が57市区、中学校が54市区で、2016年度に「組み体操」を実施した小中学校の数は、前年と比較すると小学校で2割減り、中学校で3割減ったという。この「組み体操」によるけがの報告件数も、前年と比較するとおおむね減っているようだ。
 それは言い換えれば、ここに来てようやく、何十年と続いてきた「組み体操」の改善が求められてけがが減り始めた一歩――に過ぎない。同新聞の別の記事を見たら、「組み体操」による事故の内訳がグラフ化されていて興味深かった。2015年度の事故の件数は8000件で、多い順に、挫傷・打撲が2922件、骨折が2157件、ねんざが2132件。けがをした「組み体操」の技で多いのは、タワー、倒立、ピラミッド、肩車という順。これらの統計データは日本スポーツ振興センターによるものである。  また新聞記事では、タワーとピラミッドの正しい組み方なるイラスト(日本体育大・三宅良輔監修)が掲載されていた。各学校の裁量で、「組み体操」を中止しない場合でも、タワーや人間ピラミッドといった大技をやめたり高さを制限したり、別の集団演技にしたり、といった教育現場の…

劇団鴻陵座『OH MY GOD!』を観たの巻

ついこのあいだのこと、地元の古河公方公園を訪れた際に、中世の戦乱期における古河公方の歴史について文献を読んだ。調べていくと、江戸城を築いた太田道灌なんていう人が出てくる。あまりに複雑に人物が絡んでくるので辟易としたのだけれど、室町時代の永享の乱あたりの史実では、1478年に起こった戦で、太田道灌らが築いたとされる国府台城(千葉県市川市)の名称が出てくる。これを、鴻之台城とも書く。  その国府台の文化的空気を多分に吸い込んだ鴻陵座の“彼ら”のもとへ、古河公方の町で生まれた私が、一つの演劇を目的に遭遇するというのは、何かの因果であろうか。いや、そんなものはありはしない。ありはしないが、でもひょっとして、これは神懸かった出会いであるのかも、と思い込んでみるのも面白い――。  市川市にある県立高校、国府台高校の文化祭・鴻陵祭は1948年に始まったという。まもなく70年を迎える伝統と活気ある文化祭。そうした高校で育まれた鴻陵生の卒業生ら十数名が集まって昨年結成されたのが、劇団鴻陵座。その鴻陵座の旗揚げ公演を、今月13日に観てきた。とんでもなく愉快だった演劇。熱く心のこもった舞台。これは私の、忘れられない一夏の経験となったし、おそらく“彼ら”にとっても、一生思い出に残る一夏の記憶となるだろう。
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鴻陵座の旗揚げ公演『OH MY GOD!』。劇場は、京成新三河島駅から歩いてすぐのキーノートシアター(東京都荒川区)。ちなみに、この京成線で千葉方面へ東に向かい、荒川を越え、中川を越え、寅さんの故郷の柴又付近を越え、さらに江戸川を越えると、そこが国府台なのである。脚本・演出は根太一。キャストは棚橋直人、岡田リオス拓人、金児綾香、工藤桃奈、宮島吉輝、物永穂乃香、山田将熙、山脇辰哉。オープニングとエンディングテーマは、4人組歌モノロックバンドのcram school
 大雑把に『OH MY GOD!』のあらすじを書くことにする。  5人の大学生が集う「映像制作研究会」は、動画投稿サイトで圧倒的なアクセス数を誇っていた。そこに現れたのは、「神」と名乗る男。どう見ても人間にしか見えない。だが一応、「神」の神通力はあるようだ。そんな「神」の“お告げ”にしたがい、研究会の彼らはある動画を投稿するはめになる。が、この投稿がネット・ユーザーから非難され大炎上。カリスマYouTuber、タナトス…

香り高き映画『バリー・リンドン』

貴方は明日絶命します。もし最後に観たい映画があるとしたら、今夜何を観ますか?  こんなことを訊かれて、真面目に答えるとするならば、私は『バリー・リンドン』と即答するだろう。スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』を知り、『バリー・リンドン』を知らぬ者は恥と思え――というのが、したたかなキューブリック映画ファンの一つのスローガンであろうし、その企図は決して間違っていないと思う。  されど、この世にいい映画なんていっぱいある。私がこれまで観てきた古今東西の映画の記憶は、どれもこれも素晴らしいものばかりだ。これからも観たい映画なんて山ほどあるだろうし、まして、どれがいちばんいい映画かなんてことは、決められるわけがない。  だとすればなおさら、明日私がこの世から消え去るという身なら、その最後のよすがとして、『バリー・リンドン』を観ておきたいと思う。たとえ満天の星々さえ失った、雨が降り出しそうな冬空の、身も心も凍える夜の惨めな末路であっても。できればそんな時、最後の語らいの相手に、アイリッシュの酒を選びたい――。
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 18世紀のアイルランド。青年レドモンド・バリーが従姉妹のノーラ・ブレイディとの純愛に破れるエピソードから、この映画は始まる。ウイリアム・メイクピース・サッカレーの原作を脚色・脚本化した、スタンリー・キューブリック監督の1975年の映画。  バリーは恋敵であるイングランド人の士官クイン大尉を決闘で打ち負かしたあと、逃亡して英国軍に入隊。七年戦争を経て、士官の身分を偽り、軍隊から逃亡する。ところがプロシア軍のポツドルフ大尉に身分詐称がばれ、軍の諜報活動の任を負わされる。そうして担ぎ上げるはずだった相手、賭博師シュバリエが同郷人であったためその任に背き、シュヴァリエと共に国外へ、二人は旅の最中賭博家業に明け暮れる。バリーの放浪と流転はさらに続き、チャールズ・リンドン卿の妻と出会う。程なくしてリンドン卿が亡くなるとその地位におさまるが、自身の浮気や亡きリンドン卿の息子ブリンドン卿との確執でいざこざが続き、バリーの人生はさらなる不幸と流転の一途を辿る。
 このアイルランド人青年レドモンド・バリーを演じているのが、ライアン・オニールである。ライアンの類い希な演技力は、文武両道をにじませる青年像を色濃く反映し、エピソードの各局面における実直な、重々しく辛辣な…

原野の如く―佃煮と童のあとずさり

私が子供の頃の遊び場だった古河公方公園(古河総合公園)を先日訪れた。茨城県古河市にある古河公方公園は、初代古河公方(くぼう)の足利成氏から数えて五代目となる足利義氏の墓所がある公園で、その園内の一角が「史跡 古河公方足利義氏墓所」(徳源院跡)となっている。子供にとってそこは墓所でもなんでもない、大きな木々に囲まれて日差しを遮る屋外の休憩所的存在であって、足利義氏が一体何者なのかさえ知らなかった。私がこの夏、この公園を訪れた理由を正直に言うなれば、とどのつまり「イナゴの佃煮」が食べたかったのである。「イナゴの佃煮」? さて、何の話か――。無論、そこには「イナゴの佃煮」なんてものはない。だが、昔はあった。確かに売っていたのだ。これは、そんなような詰まらぬ話である。
 梅雨空でさっぱり映えない、灰色の炎天下の午後。およそ十数年ぶりに茨城県・古河公方公園を訪れた。14年前にこの公園は、ユネスコとギリシャ主催のメリナ・メルクーリ国際賞を受賞している。メリナ・メルクーリ国際賞は、世界遺産として文化景観の優れた人工庭園や公園などに与えられる賞である。古河公方公園は毎年春先に桃まつり(ハナモモの桃林)が催され、全国から多くの観光客が訪れる。  季節によってはそうして人、人、人で溢れて賑やかになるであろうこの公園に、私は久しく、足を運んでいなかった。子供の頃、あまりにもよくここへ訪れていたせいもある。だから、その頃の公園の様子と今の公園の様子とでは、雲泥の差があり、すっかり美しく変わり映えしてしまったことにまず、驚きを覚えた。確か20年ほど前、初めて買った銀塩の一眼レフカメラを試し撮りしたく、ここに訪れて、冬の時期の殺風景な桃林を何枚も写真に収めたことがあったが、その頃からどうも、園内が少しずつ拡張され、あちらこちら整備され、私の“存じ得ない”緑と森の空間に変貌を遂げたらしく、いまこの公園を俯瞰して見返せば、やはり異国の人に感動を与えるメリナ・メルクーリの賞に相応しいのではないか、と思われるのである。
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 公園の中央には、御所沼の水辺が優雅に佇み、植物や小さな生物が豊かに生息する。耳を澄ますと、風で遠くの木々の擦れる音が聴こえ、虫たちの鳴き音も聴こえてくる。きわめて長閑である。水辺に取り囲まれた森の色彩が、とても目に優しく飽きが来ない。ここでの環境というのは、訪れる人にとって…

男に異存はない。包茎の話。

ずばり、「包茎」(ほうけい)をテーマにしたエッセイを書いていく。いきなりのテーマで驚かないで欲しい。「包茎」のことをあれこれ調べていたら、とても面白くなってブログでは書ききれない、と思った。さてどうしよう――。
 そこで、テーマを「包茎」に絞った“個人サイト”を新たに開設した。サイト名は、[男に異存はない。包茎の話。]

https://noobjection.work/


 ということで、ここでは新サイト開設のご報告にとどめる。ちなみにこのサイトは、関連グッズを買ってもらおうとか、アフィリエイトの勧誘サイトではないのでどうかご安心を。あくまで私個人が書き綴っていく、性教育に関わる純粋なエッセイ集のサイトである。男子も女子もふるってアクセスを…。

 ともかくどうして突然「包茎」のことを調べたのか、書こうと思ったのか、それが問題だ。無論、それらについてはそちらのサイトで詳らかにする。不定期で随時更新していくので、興味のある方はどうぞ。

https://noobjection.work/