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1月, 2018の投稿を表示しています

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映画『スペースキャンプ』のこと

“少年時代の心を思い起こそう”というのが、ここ最近の私の座右の銘だ。自分が何を見て感動し、何に憧れたのか――。  我がホームページ[Dodidn*]「今月のMessage」は、毎月衣替えしているコラムなのだけれど、今月7月は「『スペースキャンプ』を観た夏」を掲載した。1986年公開のアメリカ映画『スペースキャンプ』を、あの頃中学2年生だった私は、映画館で存分に観た。大いに感動した。サントラ盤のLPも買った。そのことを思い出し、今回再び『スペースキャンプ』を、二十何年ぶりかで観た。少年の心のようにときめかせて――。  すっかり忘れていた感動があった。この映画について書いておきたい。「今月のMessage」は、翌月には上書きされ、文章が変わってしまうので、「『スペースキャンプ』を観た夏」の文章を以下、全文引用しておく。
《7月。文月。子供達の嬉しい(?)夏休み到来。  先月27日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の小惑星探査機「はやぶさ2」が、小惑星“リュウグウ”に到着したというニュースを知りました。今後、「はやぶさ2」ではいろいろなミッションが始まります。大人だけではなく子供達も関心が高いのではないでしょうか。 
 私が中学2年だった1986年の7月、友達と映画館に行き、2本立ての映画を観たのを憶えています。一つはジム・ヘンソン監督の『ラビリンス/魔王の迷宮』(主演はジェニファー・コネリー、デヴィッド・ボウイ)、もう一つはハリー・ウィナー監督のSF映画『スペースキャンプ』。主演はケイト・キャプショー、リー・トンプソン、そしてリーフ・フェニックス。リーフ・フェニックスはホアキン・フェニックスであり、子役で出演していました。  この映画の音楽を手掛けたのは、“スターウォーズ”や“インディ・ジョーンズ”のテーマを作曲したジョン・ウィリアムズ。莫大な制作費をかけたのですが、当時興行収入はあまり伸びなかったようです。
 ですが、私自身はとても興奮しながら観た映画です。NASAのスペースキャンプにやってきた少年や若者達が、ひょんのことで本当にスペースシャトルで大気圏を突入してしまい、宇宙空間で無重力状態を体験します。講師の女性宇宙飛行士の手腕により、危機一髪で地球に戻ってくるのですが、子どもの夢を掻き立てるSF作品で、この夏はもう一度観てみたいなあと思っています》
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八十頁世界一周の『洋酒天国』

壽屋(現サントリー)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第52号は昭和36年10月発行。前号の第51号は古今東西の“酒を飲むシーン”に言及した名画特集だったのに対し、今号第52号はなんと、“酒飲み”世界一周旅行。編集員らが世界各国を周遊し、「飲む、食べる、遊ぶ」の夢のような企画。題して「八十頁世界一周」。《大衆証券ブームが終ると外遊ブームもさめるサと、一人さびしく物凄く、隅っこでヒガむ声もありましたが、それを押し切って今号は、東西南北、赤い国も白い国も、食べ歩き飲み歩きの奥の広道、八十頁世界一周です。ベッドのなかでオニギリ食べながら読むと、グッと味が出ます》。もちろんこれは、昭和36年の壽屋大キャンペーン“トリスを飲んでHawaiiへ行こう!”の流れに即した企画であることは間違いない。
 テーマは世界一周、しかも“トリスを飲んでHawaiiへ行こう!”に因んで第52号には、軽やかなハワイのページがある。タイトルは「Oh! Hawaii」。美人がフラを踊るカラーの標題写真を一つ見開けば、そこにはレイを首にかけた若い女性がこれでもかというくらい、はち切れんばかりの巨乳を丸出しにして、炎の光に包まれているカラー写真があって驚く。これじゃあみんな、Hawaiiに行きたがるわな…とトリス・キャンペーンの凄みに思わず合点してしまった。ところで、一般人の海外旅行が自由化になったのは1964年(昭和39年)の4月のこと。当時のトリス・キャンペーンのコマーシャルをYouTubeなどで見てみれば分かるとおり、1等で当たる賞品はあくまで「ハワイ旅行積立預金証書」であった。当選者(100名)には毎月旅行費が積み立てられ、実際のハワイへの出発はその1964年の4月であったという。
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 「Oh! Hawaii」の残像をちらつかせながら、他のページを紹介する。世界一周特集の面目躍如、「八十日間で飲みまわれば……」(筆者不明)が面白い。 《東京タワーにも上ったことのない男が、パリへ着くと、早速エッフェル塔へ登る。そんな愚かしいことはヤメにして、ひたすら世界の名物を飲み歩き、食べ漁りの空想世界一周。奇しくも八十日間あればひとまわり出来そうです。どなたか、金とヒマのあるお方、やってみませんか?》  1日目、フィンランド・ヘルシンキでの日記から80日目の羽田着(最後は都内のトリスバー?)までの全12…

50年を迎えた『人生ゲーム』

私は銀行家であると嘯く。じゃんけんでえらばれた銀行家ではない、人生の道先案内人としての銀行家。子供だった彼らの、遊びのなかに投影された真の映し鏡の人生、その目撃者――。
 タカラトミーのボードゲーム『人生ゲーム』は今年、50周年だそうである。日本で最初の『人生ゲーム』が発売されたのは、1968年(昭和43年)9月のこと。言うに及ばず、アメリカはマサチューセッツのミルトン・ブラッドレーが考案した「The Checkered Game of Life」を原形としたブラッドレー社「The Game of Life」の日本語直訳版であり、現在に至るまでシリーズ商品を含め累計1,300万個以上を販売したという。
 50年前の1968年と言えば、東京オリンピックのマラソンで活躍した円谷幸吉が自殺、キング牧師とケネディ大統領の暗殺事件、パリでは学生や労働者らによる五月革命、チェコ事件、フォーク・ソング全盛で12月には府中の三億円強奪事件が起きるといった慌ただしい世相。サイケ調が流行した頃である。個人的にサイケと言えば、前年のレナウンのコマーシャルの、ボンネルによるニット商品「イエイエ」がとても印象強い(まだ私は産まれてはいないが)。  そうした時代に一世風靡した『人生ゲーム』初代盤の存在は、まことに時世を色濃く反映させた玩具業界のエポックメイキングであったのだろう。
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《波乱にとんだ人生ゲーム――2,000ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》 《大学に進学しようかな? ビジネスコースを選ぼうかな? どの保険に入っておこうかな? どっちの道を進もうかな? 弁護士の資格がとれた! すごい給料! ハイスクールだけでもこんなときはどっさり賞金が! アッ事故をおこした! 保険に入っていてよかった!》 (『人生ゲーム』説明書きより引用)
 私が小学生になってから、その6年間のうち、最も友人達と遊んだのが、“ボードゲーム”のたぐいであり、筆頭が『人生ゲーム』であった。家で所有していたのは、初代の「青盤」(前期モデルはマス目の背景色が黒く、「黒盤」と称され、その後一部改訂された後期モデルはマス目が青いので「青盤」と呼ばれた)である。随分昔に処分してしまったが、ごく最近、あらためて「青盤」を入手し、そ…

読書三昧―『源氏物語』というパンドラの箱

今年はのっけから本が増えて増えてならないのだ。自宅の蔵書が書棚に収まりきれず溢れかえり、あちこち本の塔(まるで卒塔婆のよう)ができて居処を狭くし、煩わしい。しかし、読みたい本が目の前にあるという充足感は格別。諸刃の剣でいずれにしても読書というものは、蔵書が“増書”となり、行き過ぎると“毒書”ともなる。
 昨年は春から夏にかけて、ジョイスの『ユリシーズ』をかじった。かじっただけなので、読後の達観した気分にはならなかったが、連夜読み続けていたその頃、1巻だけでも厚みのある『ユリシーズ』が寝床の傍に3巻も並べられ、さらに隣に『フィネガンズ・ウェイク』が2巻置かれていた。そうなると、かなり手狭となって、これまたひどく分厚い柳瀬尚紀訳『ユリシーズ 1-12』(河出書房新社)を読み出したりすれば、もはやジョイスの本に囲まれた私自身の身体は、狭い窮地に追い込まれた小動物である。この点、巨人ジョイスに隷従した身と言っていい。  それほどの長編小説は懲りて、もう読まないようにしている。にもかかわらず、昨年末、保坂和志氏の些細なコラムを読んだのをきっかけに、紫式部の『源氏物語』にすっかりはまってしまった。これがまた言うまでもなく、大長編である。そうして収まりきれない本が、蔵書が、またしても増えてしまったのだ。いかんいかん…。  確かその前、秋だったと思うが、古書で『日本国語大辞典』全10巻を買い込んだ。これはなんとか書棚を整理して全巻押しくるめることに成功したのだけれど、今まさに岩波と角川とポプラ社(児童書)による『源氏物語』数冊と、絵巻関連の本と、それから瀬戸内寂聴版『源氏物語』全10巻(講談社)を揃えてしまった渦中において、私はじっくりと、この長い物語を耽読することにした。平安貴族の幽玄の世界に浸り、悦楽の気分を味わうために。
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 『源氏物語』の文体の、その美しくも儚く、時に性的で艶やかな「言葉」の秘めたる鼓動を、なんと驚きをもって表現すれば良いのか。これがいにしえの、平安朝時代に書かれた読み物ということに対する純粋な感動。そこには、まどろんだ一昼夜の風雅にたたずむ男女らの交錯と、あれやこれやの大人びた人間模様の連鎖が記録されているのであり、私はそのことの発見に何度溜め息をついたことか。  岩波書店のPR誌『図書』12月号の保坂和志著「ようやく出会えた源氏物語」を読むと、新…

「ひだまりのうた」について

2018年1月、私は「ひだまりのうた」という歌を作る。作り始める――。これについて二三、作る際のまえおきとして書き残しておきたいことがある。この曲のテーマは、“どこへ行ってしまったか分からない《昔》の友に贈るブルース=応援歌”ということになっているが、個人的に、この曲を作ろうと思ったきっかけとなった、「ある友人」について(充分考えた末に思い切って)書いておきたいのである。  実際のところは――「失踪」ではないのだろう。だが私にとって、この長い年月の果て、友人=彼が居なくなった状況を「失踪」ととらえて今日まで認識している。昔からの仲間であった周囲とのネットワークを断ち、結局ほとんど誰も彼の居場所を知らない有様なのだから、ある意味において「失踪」と言えるだろう。彼は私のかつての「友人」であったし、その昔所属していた劇団のリーダーでもあった。
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 10年前の秋に発刊された、ある演劇雑誌の取材記事には、当時の彼の飄々としたプロフィール写真が掲載されている。無論、その記事は劇団のプロモーションを目的とした内容である。母体の劇団のリーダーとして座し続けた余裕と自信に満ちた態度が、そのプロフィール写真に滲み出ていた。雑誌の取材を受け、とうとうとした語り口であったろうことが想像される彼の言葉には、劇団に対する「情熱」と「希望」と「夢」と、底知れぬユーモアのセンスが鏤められ、「ナンセンス・コメディ」を標榜する劇団の旗印としてのイメージは、すこぶる健やかなものであった。  10年前といえば、私はとうの昔に劇団を脱退した人間だったので、彼と会う機会はまったくなく、こうした業界雑誌を通じての所見ではあるものの、その頃の彼は元気そうで紛れもなく絶頂期の「演劇人」であったろうし、「信念」を変わらず貫いているという感があった。  それから数年後、彼は劇団とメンバーとのあいだで「いざこざ」を起こす。そしてまもなく「失踪」してしまった。6年ほど前のツイッターの書き込みを最後にして以降、彼はほとんどすべてのSNSの更新を断絶し、ネット上から姿を消した。だから、仲間内でも彼の居場所を知らない――と私は認識している。この認識が間違っているかどうか分からないが、少なくとも今、彼という存在が周囲からいっさい消えた「空白」の、途上の最中にあって、双方にとってとても穏やかな、波風の立たない期間が経過してい…