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3月, 2018の投稿を表示しています

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酒と女と『洋酒天国』

今年に入って時折、シェリー酒なんていうのを飲んだけれど、その他はほぼ確実に、毎夜、ウイスキー一辺倒である。スコッチとアイリッシュである。スコッチは、シングルモルトのグレンリヴェットが美味かったし、いま飲み続けている12年物のザ・バルヴェニーも、スコッチならではのコクがあって美味い。思わず唸ってしまう。  アイリッシュはオールド・ブッシュミルズのブレンデッド。こちらはつい先日、空瓶になった。酒に関しては、日本酒の地酒よりもアイリッシュのラベルの方が親近感がある。おかげでここ最近は、サントリーのトリスも角瓶も遠のいてしまっていて、ジャパニーズ・ウイスキーを忘れてしまっている。あ? そう、かれこれしばらく飲んでいない「山崎」も「白州」の味も、もうてんで憶えちゃいないんだな、これが…。とここはひとまず、肴にもならぬウイスキー談義で嘯いておこう。
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 お待ちかね壽屋PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第4号は、昭和31年7月発行。表紙はお馴染み、坂根進氏作のフォト&イラストのコラージュ。  昭和31年(1956年)は、“太陽族”や“ゲイボーイ”といった言葉が流行った年である。ちなみに“太陽族”(タイヨウゾク)とは何のことでございましょう? もはや死語に近いと思われるので、語源について書いておく。  同年、第34回芥川賞を受賞した石原慎太郎の短篇小説『太陽の季節』が新潮社から刊行された。この短篇小説は大いに物議を醸した。そこから“太陽族”という言葉が生まれたのだけれど、ここでは敢えて、Wikipediaからその意を引用してみる。
《『太陽の季節』の芥川賞受賞を受けて『週刊東京』誌で行なわれた石原慎太郎と大宅壮一の対談で、大宅が「太陽族」との言葉を用いたことから、特に夏の海辺で無秩序な行動をとる享楽的な若者(慎太郎刈りにサングラス、アロハシャツの格好をしている不良集団)のことを指す言葉として流行語化した》 (Wikipedia“太陽の季節”より引用)
 “太陽族”のみならず、社会の乱れた風紀を取り締まる、という公安的気概が、この時代にはあった。時代の要請でもあった。私は溝口健二監督の遺作映画『赤線地帯』(主演は京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子)が好きである。あれも5月に公布された“売春防止法”に絡んだ話であった。この年の7月には、横山光輝の「鉄人28号」が月刊『少年』(…

ミックステープってなんじゃらほい?

音楽の嗜好がメジャーJ-POP一辺倒、という人にはまったく訳が分からないであろう、ヒップホップ業界の“複雑怪奇”なミュージック・シーンとプロダクトにまつわる話。90年代のサブカルだとか、ブートレグに興味をそそられる人なら、いくつかキーワードを並べるだけでああその話ね…と分かってしまう、という音楽の話。なんと言っても、カセットテープとラジカセの全盛時代を知らなければ、この話はまったく理解できないだろうし、退屈かも知れない。ああ、boredom…boredom…。
 2007年、その頃私は24pのデジタル・カムコーダーでデジタル・シネマ(ショートフィルム)の自主制作をやっていた。それまでの5年ばかり、音楽制作にすっかり飽きてしまってそっちはほったらかしにしていたにもかかわらず、あれよあれよと“音楽熱”を見事に再燃復活させてくれたのが、Pro ToolsのDAWの存在とウォルター・ベル(Walter Bell)監督・脚本・編集のドキュメンタリー映画『ミックステープ』(“MIXTAPE”2005年、アメリカ作品)のDVDなのであった。ちなみに、この映画のDVDの販売元であるアップリンクは、その頃とっても(私的に)好きだった、サブカルの宝庫=ポータルである。
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 ところで実際、ウォルター・ベル監督のドキュメンタリー映画『ミックステープ』は、語弊を怖れずに言えば、映画としては見どころがほとんどない、“あまり面白くない”映画である。と、言い切ってしまっていいと思う。いくらヒップホップ界の大御所(チャック・DやDJレッド・アラートら)が次から次へと登場してくると言ったって、ただ彼らがカメラの前に立ち、ヒップホップの成り立ち話や現状をまくし立てるシーンのワンパターンとあらば、観ていて次第に飽きてきてしまう。  で、“あまり面白くない”というのを承知のうえで、彼らのまくし立てるトークやアティチュードを反芻していくと、実は喉越しにミントのキレッキレの爽やかさが感じられるが如く、爽快な気分になれる。音楽業界に興味があるならば――。要するに、『ミックステープ』は、一音楽業界の内紛事情を露わにしたドキュメンタリー映画であり、DVDパッケージ裏面の解説文を借用すれば、《音楽の利権を握る巨大企業はマーケットを操作し、楽曲のリリースを規制することで「ヒップホップ」カルチャーの定義を押し付けて…

梅と鮑照と漢詩のこと

昨年亡くなったが生前、ほっぽらざるを得なかったことの一つに、畑仕事がある。畑と言っても家庭菜園のために農家から借りていた畑で、今月になってようやく、土に埋まったままになっていたダイコンやらネギやらを農家の方に掘っていただき、借りていた畑の後片付けが一段落した。
 WWFジャパン(公益財団法人 世界自然保護基金ジャパン)の会報誌『地球のこと』春号のコラム「いきもの徒然草」の「梅という木の素晴らしさ」を読んで、もう一つ思い出した。梅だ。家の向かいにあるささやかな公園には、以前が植樹した梅の木がある。それは確か、ずいぶん前に水戸の偕楽園を訪れた際、買ってきた梅の木で、今年も見事な紅梅の花を咲かせていた。うららかな日和が続いたこの今、花はほとんど散ってしまったけれど、来年もきっと見事な花が見られるはず。ほっぽった末に処分せざるを得なかった畑とは裏腹に――というか家の小さな庭を眺めてみても、すくすくと元気に育っているのは、どうやらこの梅の木だけになってしまったようである。
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 コラムでは、六朝時代の詩人・鮑照(ほうしょう)の「梅花落」にまつわる梅の話が紹介されていたのだった。鮑照については詳しく知らなかったが、岩波の『中国名詩選』(松枝茂夫編)では、「梅花落」の詩の解説にこうある。 《「梅花落」は漢の楽府題の一つ。梅の花をもって正義の士にたとえ、雑木をもって無節操な人びとにたとえたもの。自問自答の形式をとる》 (岩波書店『中国名詩選』「梅花落」より引用)
 そういえば、今冬は例年と比べてたいへん寒さが厳しかった。関東では1月に珍しいほどの大雪も降った。どれだけ春が待ち遠しかったか、そう思わない日はなかった。されども、梅の木はまさにそういう寒い時期をわざわざ選んで耐え忍び、花を咲かせてみせる――。「梅花落」における鮑照は、庭の雑樹らに目を向け、おまえらにそれができるかと叱咤している。彼はそんな梅の気根に惚れていたのだ。  ちなみに『中国名詩選』で挙げられていた鮑照の、ほかの詩を読んでみると、なかなか含蓄があって目頭が熱くなる。彼の20歳の時の詩「擬行路難」はまだ可愛げがあるが、「詠史」の詩は、洛陽での富と権力の亡者に対する風刺がえらくきつい。
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 このような本を通じて漢詩や漢文に触れる機会があまりなかった私は、あらためて中国の名詩として括られる、時代と世俗を浮き彫…

果てとチーク演劇公演『ヤギの身代わり』

新宿は大好きな街だった――。中学生の頃は事ある毎に駅周辺を訪れていた。思い出すのは、大きな仮設テントで劇団四季の『キャッツ』を観たこと、賑やかな歌舞伎町の映画館でスピルバーグの映画に夢中になったこと。それから、初めてロックバンドのライヴを観に行ったのも新宿。気分が落ち着くところは、紀伊國屋書店の演劇コーナーと、サブナードの地下街。駅に連なるルミネと小田急も、私にとっては懐かしい光景である。そう言えばその頃、ファミコンのゲームで『探偵 神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件』の謎解きにもはまったことがある。実際に行ったこともない中央公園にやけに詳しかったり…。  そうした思春期の精神衛生上、逆に落ち着かない猥雑な新宿の街の只中にいることで、何か心の安寧を保っていたように思えるが、果たしてそれは幸か不幸だったか。新宿駅西口広場から延びた地下通路にはあまり縁がなく、ぎょっとするような「スバルの目」に触れる機会はなかったけれど、確かに誰しもがこの街を愛する理由は、分かるような気がする――。
 升味加耀と川村瑞樹による演劇ユニット「果てとチーク」。東京・北区王子の花まる学習会王子小劇場でおこなわれた第三回公演『ヤギの身代わり』を、私は3月11日の日曜日に観劇。昨年5月の第二回公演『グーグス・ダーダ なになにもなになにもない NO nothing nothing nothing』から約10ヵ月ぶりの本公演となり、より濃密かつ力強い舞台となって王子小劇場に帰ってきたことが印象に残った。脚本・演出は主宰の升味加耀。出演は川村瑞樹、伊佐敷尚子、板野正輝(テアトル・エコー放送映画部)、市川賢太郎(肉汁サイドストーリー)、稲垣廉、小畑はづき、金澤卓哉、小西耕一(Straw&Berry)、佐藤沙予、中島有希乃、宮内希奈香。
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 今回のストーリーの舞台は新宿。劇場で配られたフライヤーの「主宰挨拶」を引用させていただくと、《宗教とカニバリズムと何組かの母子をめぐる、ある三か月のお話》。『ヤギの身代わり』フライヤーを見て思わずぎょっとするビジュアルが、まさに「スバルの目」。  「スバルの目」は、新宿駅西口地下広場にあるアクリル製のオブジェで、彫刻家・宮下芳子の1969年の作品「新宿の目」(L'OEIL DE SHINJUKU)のこと。1969年にはこの場所で反戦フォークゲリラ事…

永瀬正敏の私立探偵・濱マイクのこと

カラカラに渇いた喉を潤すには、好きなサブ・カルチャーを一口ゴクリと飲めばいい。そのあとで、充分に時間をかけ、精進し、培養する。若かりし頃のそれは、同調した輩と時間を忘れつつ語り合うことが本当に愉しかった。けれど、年を取れば取るほど、仲間はいなくなり、語り合うことは激減する。それでも尚、嗜好へのひたむきさの純度だけは増してくるように思える。そんなサブ・カルチャーとは《孤独》なものなり。  「私」のサブ・カルチャー論。その本質的な定義は、人それぞれ千差万別だろう。まっとうな路上の正面から視界が外れた、いわゆる汚れた側溝の、しつこく黒ずんだコケから生えてくる《雑草》。普段は誰にも目にとまらない。そうでありながら、闇夜にこっそり立ちションをするおっさんや、泥酔して側溝に嘔吐する若者達には時折、視界に入り込む。いま私はそうした《雑草》を目撃する瞬間を体験したかのように、一冊の雑誌をのぞき込んでいる。
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 強烈なインスピレーションを感じた――。つい最近になって、とある古書店で入手した雑誌、『Weeklyぴあ』(ぴあ株式会社)の1995年3月21日号。この手の雑誌には、あまねく多くのサブ・カルチャーが詰まっている。それを見つけ出すのが面白い。そうして私の渇いた喉は、嗅覚と直感を伴い、一人の若かりし俳優を発見した。永瀬正敏である。
 たいへん恐縮してしまうことなのだけれど、私は永瀬正敏という俳優に、これまで一度も関心を持ったことがなかった。私より歳が七つ上で同じB型である。デビュー作の相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』(1983年)以降の彼の芸能活動については、メディアで時折眼に映り、広く人気がある俳優であることは百も承知だけれども、いかんせん私の関心事の中では、“一人の日本人俳優”という認識に過ぎなかった。  ところが、このあいだ、山田洋次監督の映画、寅さんシリーズの第45作目『男はつらいよ 寅次郎の青春』(1992年)を観て、はっとなって気がついたのだ。鮮烈なまでに、永瀬正敏という俳優の、稀有な存在感を――。こうした時代錯誤な遅かりし発見で、以前からの生粋のファンからはどやされそうな瑣事ではあるのだが、その雑誌『Weeklyぴあ』で、彼の当時の最新作であった、林海象監督の映画『遙かな時代の階段を』劇場公開云々の記事を目撃し、えらく私は興奮するに至ったのである。

アラビアの道―東博・表慶館にて

春の兆しを体感した2月末の穏やかな日、東京・台東区の東京国立博物館(通称・東博)におもむく。目的は、『アラビアの道―サウジアラビア王国の至宝』の観覧。東博の表慶館という趣のある場所で、人類の歴史と文明を遡り、アラビア半島における交易と巡礼に連なる至宝を見ることができ、至福のひとときを味わうことができた。いまだ、ぞくぞくとした気分の余韻が絶えない。  まず何より、東博へ訪れていつ見ても美しいのが、玄関口の左側に鎮座する表慶館である。表慶館は、明治41年竣工の片山東熊の作品。翌42年に開館したこの洋風建築の建物は、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルに学んだ片山の、最も有名な作品である国宝の迎賓館(旧赤坂離宮、旧東宮御所)にも見劣りしない、古代ギリシャ・ローマ様式。その恰幅のある姿は惚れ惚れとしてつい見とれてしまう。この館はもともと、大正天皇の御成婚を記念した奉献美術館であって、開館当時は美術工芸を主とした陳列館であったという。荘厳な趣は昔も今も変わりない。
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 そんな表慶館で今回催された、『アラビアの道―サウジアラビア王国の至宝』。主催は東京国立博物館、サウジアラビア国家遺産観光庁、NHK、朝日新聞社。  今展覧会は特別協賛としてサウジアラムコが支援している。昨年3月、サウジアラビアのサルマーン国王がアジア歴訪の折、日本を公式訪問。両国間による「日・サウジ・ビジョン2030」の合意。言わずもがな、日本とも関係が深い。その昨年のサルマーン国王来日のニュースは大いに話題を呼んだが、サウジアラビア王国、西アジアのアラビア半島と聞いても、私はその歴史や文化に疎い。ちなみに、この展覧は当初、1月23日から3月18日までであったが、会期が延び、5月13日までとなった。これにより、いっそう多くの観覧者が素晴らしい至宝を目の当たりにするに違いない。
 話の腰を折る――。昨年、岩波書店のPR誌『図書』の岩波文庫創刊90年記念の臨時増刊で『私の三冊』という小冊子を読んだ。映画史評論家の四方田犬彦氏が岩波文庫の『アブー・ヌワース アラブ飲酒詩選』(塙治夫訳)を挙げているのが目に留まり、少し興味を持った。《八、九世紀のバグダッドに生きた破壊詩人の作品集。さしずめイスラム世界のパゾリーニか?》と述べてあって気になり、思わずのけぞった。アブー・ヌワースもさることながら、この詩選は一体どん…

上野散歩―開くまで待とう奏楽堂

2月末。ずっと寒い日が続いていた折の、比較的穏やかな日和の正午。東京・台東区の上野公園を散策。ここは私にとって、学生時代から親しんできた公園である。  確か前回、この公園を訪れたのは、昨年の晩夏の頃だ。ちょうど、「パキスタン&ジャパン フレンドシップ・フェスティバル」が(酷暑にもめげずに)中央噴水池の広場にて、賑やかに催されていた頃だったのだから、間が空くというより、ずいぶんと“間が抜けて”いる。客観的には本当に馬鹿げたくらい、あれから月日が経ってしまった――。  振り返ると昨年は、母親の入院から退院までとつらなって、父親の死去という事由が相重なった。本当にいろいろな出来事が、昨年の半年のうちに折り重なり、せわしい時間を駆け巡った。学生時代から親しんできた東京・上野の一角を、こうして再びのんびりと歩くことができるようになった今、なんとも幸せなことだと実感する。ふと思えば季節は、もう早春の候である。
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 散策の道すがら、ひょいと気になって、旧東京音楽学校奏楽堂の前まで来た。しばしたたずんで、工事中の建物を眺めた。ここへ訪れたのは5年ぶりである。以前と比べて、なんとなく外装がきれいに艶やかになっている気がした。公園を訪れるたびに頭の片隅で気になり、やきもきとしたのは、この奏楽堂がずっと休館で工事中だったことである。
 思い返せば、2013年の3月。それまで何度となく夢想していた奏楽堂の見学がようやく実現(当ブログ「麗しき奏楽堂」参照)し、念願のイギリスのアボット・スミス社のパイプオルガンの音色を間近で聴くことができた喜びは忘れない。こぢんまりとした古風なホールの空間に、さりげなく柔らかなオルガンの響きが広がって、心地良い気分となった。かつての時代、ここは由緒正しい学び舎だったのだ。それを想像すると、まるで自分もその一員であったかのように感じられ、不思議にも懐かしさが込み上げてくる。奏楽堂にはそういう深々とした魅力がある。されど、私が見学した翌月、ここは休館となって門が閉じられ、今日に至っている――。
 奏楽堂の休館は、長期にわたっての改修工事のためである。道すがら我慢できずにここへ訪れたけれど、そう、あれから5年の歳月が経過したのだった。  工事現場の遮蔽壁のパネルには、改修工事についてのいくつかの情報が記されてあった。工事の名目は、重要文化財である旧東京音楽学…