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6月, 2018の投稿を表示しています

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私はデュシャンの「泉」を観た

先月23日――。JR上野駅の公園口を出ると、空はまったくの濃灰色に染まっていた。まもなくぽつぽつと雨が降り始め、私は足早に公園内を通り抜けた。そそくさとライカのカメラをバッグにしまい込みながら――。  向かうは東京国立博物館(東博)。東博の平成館にて催された、“東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展”なる冠の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観覧したのである。  率直に言って今回の目的を述べると、私はその特別展で、“便器”(urinal)が観たかったのである。皓々と光に照らされ恥ずかしげな面持ちの、urinalの姿。それを粛々と見届けたいという思い。デュシャンの、最も有名な“男性用小便器”が暗がりの中で浮かび上がっていた。
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 念願の、urinalを観る目的は達せられた――。  1917年、デュシャンの「泉」(Fontain)。フィラデルフィア美術館所蔵、1950年のレプリカ。磁器製小便器。  そもそもデュシャンの作品を知ったきっかけは、20代の半ばである。彼が「フランス生まれ」であるとか、「20世紀現代美術の巨匠」であるとか、「抽象主義」であるとか、「チェスが得意」であるとか、そういった情報は頭の中にからきし無かったあの頃、偶然にして唯々その一点のみ、つまりそのurinalの写真を、ある本の中で目撃したのだった。  その本とは、宝島社の『図説 20世紀の性表現』(編・著は伴田良輔)である。しかしあくまで私は、その本で、1900年代の性表現クロニクルの位置づけとして、デュシャンの作品すなわちあの真っ白な磁器製のurinal=「泉」の写真を見たに過ぎなかったのだった。何故これが性表現に値するのか理解せず、むしろ通り一遍の解釈を用いようとすれば釈然としない写真でもあった。その時代のクロニクルとしては、モンパルナスのモデルのキキ(Alice Prin)の存在の方が、遙かに重要に思われた。  当時の私の頭の中では、こういうことが駆け巡っていた。何故このurinalが、デュシャンの「泉」という作品なのか。また本来、小便器として実際に設置して使用する場合の向きは、その有名な「泉」の写真を見れば分かるとおり、被写体urinalの正面中央に当たる排水口の部分が底部になければならず、それをわざわざこのような向き(横向き)にして作品とした意図とはいったい何なのか…

嘘っぱちの世界の共犯者である僕たち―perrotの『雲をたぐって天まで飛ばそう。』

先週の21日、花まる学習会王子小劇場にてperrotの演劇公演『雲をたぐって天まで飛ばそう。』(作・演出はいわもとよしゆき)を観劇。perrotの公演は昨年3月の『今日は砂糖の雨が降るから』以来約1年ぶりであり、前回の公演を私は当ブログ「perrot第4回公演の過剰でとてもおいしい演劇」で書いた。それも併せて今回の稿を読んでいただけるとありがたい。
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 昨年の公演『今日は砂糖の雨が降るから』の総評を、前稿で私は「とてもおいしい演劇」と称したうえで、perrotの演劇はオープン・ワールドの虚構の世界で繰り広げられる、観客が「アクセス」する、「採集」する演劇、と述べた。ただ観客がストーリーの結末を追うだけでは済まされない、劇の空気感や皮膚感覚を「採集」する体感型の演劇であったし、人それぞれ「採集」したモノやコトによって劇評が大きく変わるおそれのある、非常に刺戟的な実験でもあった。  今回の公演『雲をたぐって天まで飛ばそう。』も、そのスタイルから逸脱することなく、観客が「採集」する演劇であったわけだけれど、幾分違うのは、『雲をたぐって天まで飛ばそう。』は「言葉」に力点を置いた歴史劇であったことである。以下、perrotホームページにあるあらすじを引用させていただく。
《世界を巻き込んだ戦争が終わった。主人公=ニニギは占領軍の司令官として自分の故郷だった日ノ国を訪れる。占領にあたって最も大きい問題は日ノ国の統治者である【鳳凰】を裁くか否かであった。ニニギは連邦諸国の意向を受けて鳳凰の戦争責任を追及することを決定した直後、幼馴染であり想い人だった皇女=チヨが戦中に鳳凰として即位していたことが明らかになり…。》
 さらに劇の内容をイメージし易くすべく、主宰で作・演出のいわもとよしゆき氏の挨拶文を借りる。 《本作は国譲り神話と昭和史を二重重ねにした虚構の歴史劇です。(中略)言葉で語れぬものにふれるため、言葉で語れることを全て語り尽くす情報過多な作品です。僕はこれを『現代“文語”演劇』と自称することに決めました》 (「劇作家より皆様へご挨拶」より引用)
 敢えて、古代なのか近未来なのか、あるいは彼方の未来なのかは定かではないとしておこう。この、演劇として語られた虚構の“ある時代”の歴史物語は、登場人物たちのまくし立てる「言葉」と「言葉」と「言葉」と、それ以外の「言葉」と「言葉」…

パリと若者の夢―ベルトルッチの『ドリーマーズ』

一つの映画を語る時、溢れんばかりに「映像」と「言語」と「音」の記憶が明滅し、際限がなく収まりがつかない、ということがしばしばある。思考から思索へ、思索はさらに別の思索へと裾野を広げ、その「映像」と「言語」と「音」の世界を駆け巡った挙げ句、グラスの底に沈殿した奇妙な液体の何たるかについて、思索への旅はとどまることを知らない。  映画とは、そういうものである。映画を観るとはすなわち、野生のフグを食らうかの如く、非常に危険な行為であって、その危険と隣り合わせの内心において、執念深く用意周到に、毒のしびれに耐えつつも、すべての部位を食らうことに深い情趣がある。体験的に、我が身の神経はすべて視覚と聴覚にそそがれる。その瞬間こそ、映画体験の醍醐味である。毒を食らうかも知れぬ苦痛の先に、無垢なる「光」が存在する。映画とは、その「光」への、盲目的な思索の旅である。  昨今、陰鬱な大人の色恋沙汰映画『ラストタンゴ・イン・パリ』(Last Tango in Paris)で“泥酔”した私は、その先の「光」を浴することになる。言わばそれは、『ラストタンゴ・イン・パリ』の大いなるオマージュであり暗唱――。同じベルナルド・ベルトルッチ監督の2003年の映画『ドリーマーズ』(The Dreamers)。今回語るのはこの映画である。
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 私が『ドリーマーズ』を久々に観たのは、先月の半ばのこと。「フランス デモ連帯に影」という朝日新聞の報道記事を読んだのが5月4日。すなわちこの二つから想起されるのは、パリの5月革命(1968年5月、パリで起きた反体制のゼネスト及び学生運動。5月危機とも称される)であり、今年はちょうど5月革命から50年に当たる。  そう、私はこの映画を思い出したのだった。『ドリーマーズ』は、パリの5月革命が背景となっているベルトルッチらしい映画狂の傑作。描き出しているのは、荒々しい騒動の只中の、ある若者達の、偏愛とセックスの情事――。
 なんと言ってもまず、この映画のトップ・シークェンスに刮目せよと言いたい。高らかなギター音で始まるジミ・ヘンドリックスの「Third Stone From The Sun」。エッフェル塔の鉄骨をバックにクレジット・ロール。そのエッフェル塔の手前に、主人公の若者――サンディエゴから来た20歳のアメリカ人留学生青年――マシュー(マイケル・ピット)が…

薩摩治郎八と藤田嗣治の『洋酒天国』

ご無沙汰いたしておりました。ヨーテンこと『洋酒天国』の話題です…。振り返ると前回は、今年の1月末の「八十頁世界一周の『洋酒天国』」。パリか、ニューヨークか――で閉じていた。あれから半年、せっせとなんとか不足分(未入手号)を何冊か入手して増やすことができたので、これからまた逐一、ヨーテンを紹介していきたいと思う。  壽屋(現サントリー)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第10号。昭和32年1月発行。この頃の世相については、第11号(昭和32年2月発行)で書いてしまったので、ここでは省かせていただく。  10号とまだ既刊数が少なく、毛が生えそろっていない“初心な”頃の編集部は、やはり中心となっていた編集者・開高健のセンスと力量に頼る面が多かったのだろうか。ヨーテンの創刊自体は、柳原良平や坂根進らのアイデアも加味され、骨格がほとんど出来上がっていたようだが、さすがに毎号の具体的な内容については、開高健の趣味嗜好に依るところが大きかったのではないかと推測される。このまだ数をこなしていない頃のヨーテンの内容は、ほとんど西欧文学に重きを置いた、知的水準の高い文化人的嗜好と潮流の《匂い》がムンムンと漂ってくる。言うなればまだこの頃は、西欧風の襟を正した《気品》があった。ここからだんだんと号を重ねるうちに、それが少しずついい意味で脱線していき、緊張感がほぐれ、格好の風俗の度合いが濃厚となっていく。
 ともあれ、第10号の表紙扉の見開きは、ボーヴォワールの詩である。 《パリで飲むマルティニとニューヨークで飲むマルティニとには、黒板に手で描いた円と理想上の円ほどの違いがある》。  ほらやっぱりね。パリでしょ、ニューヨークでしょ。ニューヨークをけなしてパリを持ち上げても、やはりどちらも捨てがたい文化の街の潮流が感じられる。この感覚は大人の世界のヨーテンには絶対欠かせないのである。
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 この頃だと『忘却の花びら』なんていう映画に出演していた東宝の女優・安西郷子さん。そのポートレート。写真は松島進氏。澄ました表情がなんとも美しい。歌劇団(彼女は大阪松竹歌劇団)出身の女優さんはみなスタイルが良く、画が映える。
 今号の冒頭の翻訳物は、ポーの「アモンティラアドの樽」。訳者は谷崎精二氏。ある男に恨みを抱えた主人公が、謝肉祭(カーニバル)の日の夜に復讐を遂げる恐ろしい話。ポーの作品の面目躍如。…

科学万博のダイエー館―13歳への未来

近頃、様々な思いに駆られる。何故か、記憶の薄い中学校時代の思い出を、必死に思い起こそうとしている。この試みの本質は、いったい何なのだろうか。ドストエフスキーの『地下室の手記』を読んでいたら、“水晶宮”という言葉がちらりと出てきた。“水晶宮”とは、1851年のロンドン万博で英国の建築家ジョセフ・パクストンが設計した鉄とガラスでできた大建造物のこと。要するに小説ではそこで、合理的な未来の社会はひどく退屈だ、《人間は馬鹿だ》、《手のつけられない阿呆だ》と罵り、万国博覧会といった人類の「科学と文化」の発展と繁栄を軽妙におちょくり、皮肉り、メタファーとしているのである。
 というところからなんとなく、万国博覧会すなわち万博というワンダーランドにすこぶる憧憬の念を抱く70年代生まれの私にとって、思春期真っ盛りの中学1年生で体験した、33年前の科学万博へのノスタルジアの凄まじさは、半端ではない。当時あの会場を訪れた者でなければ、そのノスタルジアの意味するところを理解することはできないのではないか、と思う。  つくづく隔世の感あり。それはつまり、あの80年代にほんの僅かにおいても、人類の「科学と文化」の発展と繁栄を信じていた試みが、21世紀の今日の日本を培養したとはとても思えないほど、矛盾に満ちた、どうしようもない知恵遅れの、まるで真逆の方向に突き進んでいることの賞賛と皮肉――まさにドストエフスキーの《人間は馬鹿だ》、《手のつけられない阿呆だ》に行き着いてしまったのは、いったいどういうことなのか。そういう疑問符だらけの今日の日本の有り様に、ただただ驚くばかりである。  過去を顧みない愚かさ。人間の叡智を軽んじた罪悪。今日のネットワーク社会の功罪にどっぷりと浸かり、科学の本質の変容、文化的理知の恐ろしいほどの後退を、ここまで予見した者は果たしているだろうか。それはある種、未来への「科学と文化」の夢物語を見世物にしていた時代とは、まるで体温の度合いが違う。あらゆる集合体の危機と崩壊への確信を、そして個人の自由の不条理を、いよいよもって痛感せざるを得ない。少なくとも今日の日本は、あらゆる分野と文化において、世界の感覚から乖離し、堕落と没落の一途を駆け下りている。
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 過去の万博の想い出が、頭から離れない。  33年前の科学万博(正式名称は国際科学技術博覧会。EXPO’85)―つく…