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11月, 2018の投稿を表示しています

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伴田良輔の「震える盆栽」再考

作家でありセクシュアル・アートの評論家でもある、伴田良輔氏の様々な文筆作品に目を通す機会が多かった私は、その最初に出合ったショート・ショート作品「震える盆栽」の妖しげで奇怪なる感動が今でも忘れられない。それはもう、かれこれ27年も前のことになるのだった。  この「震える盆栽」については、当ブログ「『震える盆栽』を読んだ頃」(2011年2月)で書いた。いずれにしても27年前の“異形の出合い”がなければ、その後私はセクシュアル・アートへの造詣を深めることは無理であったろう。敢えてもう一度、この作品について深く掘り下げてみたくなった。あの時の、邂逅のエピソードからあらためて綴っていくことにする。
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 「震える盆栽」を初めて知った(初めて出合った)のは、90年代初め。私はその頃上野の専門学校に通っており、まだ20歳になったばかりの時である。  ある日、授業の合間に学校を抜け出て、入谷方面へと散歩に出掛けた。交差点近くの所に来て、小さな書店を見つけたのだった。暇つぶしにこれ幸い、とその店に駆け込んだのだけれど、今となっては、その場所も、店の名前もまったく憶えていない。――ちなみに後年、鬼子母神(真源寺)のある入谷におもむいて、この書店をしらみつぶしに探したことがあったが、見つからなかった。既に閉店していた可能性もある。  私は、ありとあらゆる理由を考えた末に、結局、あの書店はもともと狐なるものが経営していて、ある日忽然と消えてしまったのだ、と信じて已まない。そういえば店主は、細い目をしていたような――。
 閑話休題。さて、その書店に入ったはいいが、真っ昼間で他のお客は誰も居なかったのだった。だから店内はしーんと静まりかえっていた。この狭い空間に、店主と私二人きり。何かUSENのBGMくらいかけておいて欲しい…。雰囲気としてはとても堪えられそうになかった。そう思ってしまったのは、なんとも若気の至りであった。
 若気の至りほど感覚的に懐かしいものはない。今の私なら、そういう小さな商店に足を踏み入れて、場の悪い空気にさらされたとしても、何ら平気。何のためらいもなく居続けるに違いない。え、客は私ひとりですが、なにかそれが問題でも?――。店主に話しかけられようが何だろうが、ずっと居座り続けるに違いない。尤も、長い時間読みたくなるくらい面白い本がそこにあれば、の話だが。  年を取…

赤いパンツの話〈一〉

思いがけずパンツの話をしたい。  今年の春から夏にかけて、「健脚ブリーフ」なんていうエレクトロ的解釈で盆踊り風? の曲を作ったのがきっかけとなり、実際にパンツを穿いてアートワークに励む、といった作業を経験する中で、あらためて下着=パンツって奥が深いなと思ったりした。  パンツとは、本当に奥が深いのだ。健康面とデザインと履き心地の研究、及びそれらの絶妙なマルチプリケーションによって、人間にとってなくてはならぬ生活上の必需品=パンツというものを、世界中のメーカーが日々努力を重ねて開発しているのだと思い知る。個人的な感覚においての“パンツへの思い”=“パンツ愛”を総ざらいすることにもつながり、パンツについて考えるとは、実に面白い試みでもあり、人類学的サブカルだとも実感した。  そうして「健脚ブリーフ」が完成し、一息ついて〈できうるなら第2弾でも後々作りたいなあ〉とコーヒーを飲みながらぼやいたのも束の間、なんだか突然、そういう機会がリアルにやって来た。まことに事の流れは急速である。
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 偶然ながら目に付いたのは、今月10日付の朝日新聞夕刊の記事であった。「過疎の町『赤パン』でエネルギー」。宮城県丸森町の町おこしの一環で、二人の若者(高野真一さんと豊田拓弥さん)が起業して男性用の赤パンツを販売しているという話。これがちょっと変わったボクサーパンツなのである。  伸縮性のある生地で、フリーサイズ。色は真っ赤。それだけではなく、穿くのに前と後ろの区別がない。これにはちょっと驚いた。ウエストのゴムもなく、体を締め付けないと、ホームページには記されている。  製作したのは、丸森町で会社を設立したザミラ株式会社(代表取締役は高野真一さん)。何やら記事を読むと、この赤パンには、股の内側に奇妙な文字のプリントが施されているのだという。ラテン語の「memento mori」。上下を反転させれば、その文字が「memento vivere」に。日本語に訳すと、“死を想う”が“生を想う”になる――? いったい何なんだ、この赤パンは――。
 私はすっかり、この赤パンの謎めいたコンセプトに惚れ込んで、一つ買ってみることにしたのだった。  本音を言うと、もう既にこの記事を読んだ直後に「健脚ブリーフ」の第2弾はこれだ! と決めていたのである。が、実物が届いてみないことには、何ともし難く、その企画制…

私はデュシャンの「泉」を観た

先月23日――。JR上野駅の公園口を出ると、空はまったくの濃灰色に染まっていた。まもなくぽつぽつと雨が降り始め、私は足早に公園内を通り抜けた。そそくさとライカのカメラをバッグにしまい込みながら――。  向かうは東京国立博物館(東博)。東博の平成館にて催された、“東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展”なる冠の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観覧したのである。
 率直に言って今回の目的を述べると、私はその特別展で、“便器”(urinal)が観たかったのである。皓々と光に照らされ恥ずかしげな面持ちの、urinalの姿。それを粛々と見届けたいという思い。デュシャンの、最も有名な“男性用小便器”が暗がりの中で浮かび上がっていた。
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 念願の、urinalを観る目的は達せられた――。  1917年、デュシャンの「泉」(Fontain)。フィラデルフィア美術館所蔵、1950年のレプリカ。磁器製小便器。  そもそもデュシャンの作品を知ったきっかけは、20代の半ばである。彼が「フランス生まれ」であるとか、「20世紀現代美術の巨匠」であるとか、「抽象主義」であるとか、「チェスが得意」であるとか、そういった情報は頭の中にからきし無かったあの頃、偶然にして唯々その一点のみ、つまりそのurinalの写真を、ある本の中で目撃したのだった。  その本とは、宝島社の『図説 20世紀の性表現』(編・著は伴田良輔)である。しかしあくまで私は、その本で、1900年代の性表現クロニクルの位置づけとして、デュシャンの作品すなわちあの真っ白な磁器製のurinal=「泉」の写真を見たに過ぎなかったのだった。何故これが性表現に値するのか理解せず、むしろ通り一遍の解釈を用いようとすれば釈然としない写真でもあった。その時代のクロニクルとしては、モンパルナスのモデルのキキ(Alice Prin)の存在の方が、遙かに重要に思われた。  当時の私の頭の中では、こういうことが駆け巡っていた。何故このurinalが、デュシャンの「泉」という作品なのか。また本来、小便器として実際に設置して使用する場合の向きは、その有名な「泉」の写真を見れば分かるとおり、被写体urinalの正面中央に当たる排水口の部分が底部になければならず、それをわざわざこのような向き(横向き)にして作品とした意図とはいったい何なのか…

お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈四〉

前回からの続き。言わずもがな、お茶とサブ・カルチャーにまつわる話。  中国茶の「武夷肉桂」(ぶいにっけい)を取り寄せたので飲んでいる。このお茶は、福建省の武夷山が産地で、山肌の岩に生育することから岩茶と言われ、青茶すなわち烏龍茶の一種である。文春新書の『中国茶図鑑』にはこのように書かれている。 《葉は長めの楕円で肉厚。茶葉は黒ずんだ緑でツヤがある。果実あるいは乳の香り》 (文春新書『中国茶図鑑』「武夷肉桂」より引用)
 武夷の岩茶は香り高く、「武夷肉桂」は口に含む際に仄かなキンモクセイの香りがすると言われる。このような香りは、日本の煎茶にはない。実際に私も「武夷肉桂」の茶葉に湯を注いでみたのだが、花の香りで一瞬心がよろめき、なんともたまらない幸福感を味わった。高貴な気品が感じられ、味もまたとても青茶らしく奥深い。  前回紹介した中国茶「平水珠茶」は、その乾いた茶葉のエロティックな装いを礼讃したのだけれど、「武夷肉桂」もその姿がエロスを連想させてくれる。肉桂とはシナモンのことで、その香りに似ているというところから名付けられたようだが、この細く丸まった茶葉の縮れ具合を見ていると、まるでそれが女陰の小陰唇のように思えてならないのだ。  女性の慎ましやかな陰門の香りを愉しむ――といった淫らな“あるまじき”心の片隅の欲望は、あながち精神性への蔑み、冒涜、離叛の対象にはならないのではないかとさえ思う(むろん女性に対しても)。老子の古典を読んでいても、イスラムのアブー・ヌワースの『飲酒詩選』を読んでいても、これは私自身の雑感としてとらえられた感覚の傍証に過ぎないけれども、微量のエロスの抱合はかえって物事を(その多くは男と女の関係を)豊かにするものである。そうでなければ中国茶の真髄も軽やかさも理解できないに違いない。
 そういったことを踏まえてみても、中国茶は私にとって休息を愉しむための飲み物であり、精神修行の嗜みの一つである。いや、精神修行と言うのはあまりにも仰々しい。言わば、サブ・カルチャーにどっぷりと浸かるための心の準備体操、そのリブートのための精神的沐浴にすぎないのだから。尤も、体内には実際、茶のエッセンスが流れ込むわけだから、身体は純然とその養分で潤う。茶を飲んで心を清廉に、落ち着かせる――。これは酒を飲むのとは違う種類の、生きる歓喜である。歓喜の種は、いくつかあった方が…

お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈三〉

いま私は中国茶の「武夷肉桂」(ぶいにっけい)を専門店から取り寄せて、そのふくよかなお茶のひとときを、束の間の休息を愉しもうとしている。岡倉天心と私淑するmas氏の話をすれば、おのずとそれはお茶の話になるという筋道が、昨年の前回の〈二〉まで。今回もこれに懲りず、お茶の精神世界を遊行してみたくなった。

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 たいへん息苦しいことに、近所に都合のいい喫茶店がない――ということに時々、悲哀を感じる。ちょっとしたファミレスはあるが、雑然とした周囲は小綺麗な街らしさも、風光明媚な風景も非ず。いわゆる殺風景というやつで、ファミレスに居てもあまり落ち着かない。  心から落ち着く喫茶店というコミュニティの装置が身近にないことは、不幸というか不運というか、心の安寧を損ねるばかりか、日常生活の機微が豊かにならず、とかく生活上のいいアイデアが浮かばないものである。喫茶と書店はずっと以前から私にとって安寧の場所の拠点であるけれど、子供の頃に憧れた駅前の純喫茶「田園」の、そのまさに純喫茶たる風情は、もはや個人趣味的郷愁感を通り越し、単なる思想的幻想に過ぎなくなってしまった。
 そういえば今年の初夏、“五浦コヒー”というのを飲んだ。これは、茨城大学とひたちなか市に本店のあるサザコーヒー(SAZA COFFEE)が2016年に共同開発したコーヒーである。サザコーヒーの店舗は茨城大の水戸キャンパス内にもある。“五浦コヒー”は、岡倉天心がボストンで飲まれていたであろう浅煎りのコーヒーを再現したもので、飲むとその浅煎りの味わいが口の中で爽やかに広がる。すっきりとしていて喉越しのいい切れ味だ。  5月2日付の朝日新聞朝刊に「多様性を体現した岡倉天心」と題されてこのコーヒーが紹介された。天心は明治36年の夏に東京を離れ、茨城の五浦(いづら)に隠遁。翌年にはアメリカ・ニューヨーク、そしてボストンへ。その後何度かボストンと日本を行き来し、明治39年5月にニューヨークのフォックス・ダフィールド社から『茶の本』(The Book of Tea)を刊行。新聞記事で“五浦コヒー”を紹介した茨城大の准教授・清水恵美子さんは、『茶の本』は茶道の教本ではなく、茶道の心得の《和敬清寂》に通ずる、と述べている。
 《和敬清寂》とは、宋代の劉元甫(りゅうげんぽ)の『茶堂清規』に由来する言葉で、主客が相互に敬い、茶室や茶器など…