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1月, 2019の投稿を表示しています

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お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈八〉

前回はmas氏のライカと新宿の話。当ブログ「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル」のシリーズは数えると今回で8回目である。これは私自身の、カメラと写真を軸とした“素行”を紐解く重要な鍵としての(「茶」の精神と絡めたりして)、過去に読み耽ったウェブサイトにまつわる“回想録抄記”となっている。  いま私は、自主制作映画というスタンスで、“ちっちゃな映画”(タイトルは『アヒルの狂想曲』)を本気で創り始めているのだけれど、その“ちっちゃな映画”的なものをかつて創ろうとしていたのが、サブカルで私淑するmas氏だったのだ。私は彼の影響を(ウェブとサブカルの側面で)多大に受けている。mas氏は90年代末頃、アメリカの写真家デュアン・マイケルズ(ドウェイン・マイケルズ、Duane Michals)に感化され、自身のカメラで撮影した散歩写真を掻き集め、一つのフォト・ストーリー作品を創ろうとしていたのだった。タイトルは、「My Last Pictures」であった。
 いま、“ちっちゃな映画”を創り始めた矢先、私はmas氏のウェブサイトをあらためて思い出す。そこにはサブカルへの深い愛着があった。彼は2000年代初め、自身のホームページ上のアーティクルにその映画創りの話を持ち込んで、読み人であった私にある種の熱量を注ぎ込んだのである。カメラとレンズと、そのアクセサリーを満遍なく揃えること。たっぷりと落ち着いた風情で世界を見わたし、その風景に己の足で大きく踏み出すこと。人生の最大の《余興》であり得るのが、映画ではないかということ――。
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 とても残念なことに、「My Last Pictures」のフォト・ストーリーのテクストも、そのウェブサイト自体も、今は現存していない(ただし、テクストは私個人がアーカイヴしてある)。それでも今年、彼の別のサイト[msbcsnb](http://www.geocities.ws/msbcsnb/index-2.html)がWWWのサーバー上に残っているのを発見して、今のところそれは、誰でも見ることができるようになっている(いずれ消えてしまう可能性がある)。更新は10年以上前を最後に途絶えてしまっているが、mas氏がそこに残した、旅行記や家族を写した写真、花などのフォト・ギャラリーとなっており、2000年代に作成したウェブサイトの一端を垣間見ることができ…

嵐の活動休止宣言―3つのカウントダウンという大翼

1月27日の夜、マスメディアに衝撃が伝わった――。スマートフォンのニュースアプリが通知音を鳴らして“速報”をポップアップ。それは、アイドルグループ「嵐」の活動休止を伝えるニュースであった。青天の霹靂(へきれき)とはまさにこのこと。嵐のメンバーはその夜、揃って会見を開いた。翌日付の朝日新聞朝刊には、《アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいでの活動休止を発表した》という文言から始まる記事が掲載され、珍しく一般紙としては、ただならぬ波及の事態を伝えていた――。
 記事の見出しは、「嵐の決断『5人じゃないと』」。小見出しは2つ、「大野さん提案 話し合い重ねる」「ファン『言葉出ない』」
 読んでみると、全体の内容は嵐の会見の要約となっており、リーダーである大野智さんが一昨年の6月に他の4人(櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤)に話を持ちかけ、嵐の活動を終えて自由な生活をしてみたい、と対話をしたこと。昨年の2月には所属事務所(ジャニーズ事務所)に報告し、その年の6月に活動休止を決断した、とあった。そうだとすると、嵐のメンバーの5人は、ずっとそのことを固く閉ざして胸に秘めたまま、年が明けた27日まで、諸処の活動の仕事をひたむきに続けていたことになる。あらためて事態の大きさを思った。

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 今これを書いている私自身が、こうしてジャニーズのタレントである嵐のメンバーの去就について書いていることを、たいへん不思議に思っている。端的に言って、私の守備範囲のトピックではないし、それをこのブログに書いている非常に奇妙な感覚に、正直、鳥肌が立ってしまっている。
 私はアイドル・タレントの追っかけをしたという経験がない。特段、嵐のファンであることを隠していた、ということでもない。さながらこの日本にいて、今回のニュースを知った時、誰しもが感じたであろう“時代の裂け目”を想像したのである。嵐が芸能界に君臨していた平成の時代――。彼らにとってそれは、いったいどういう時代であったのだろうか。そしていよいよ、その終焉を迎えるらしいことが分かり、人々の心の戸惑いも想像できる。もしかするとこれから、何か、大きな流れでモノゴトが変わっていくのではないかという、世の中の漠とした不安と心配と、幾分かの期待――。

 嵐は1999年のデビュー以来、言わば“国民的アイドル”の地位を確立し、あどけない表情が魅…

お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈七〉

2019年、ついに“ライカ・ウイルス”感染――。昨年はデジカメのLEICA X2(レンズはELMARIT 24mm F2.8)を買ってしまったけれど、症状はやや沈静化していたのだった。それが突然、今年になって猛威をふるったのは、mas氏の幻のウェブサイトのせいである。10年以上前に抹消されていたと思われていたサイトは、実はそうではなく、ネット上にひっそりと生存し、眠り続けていたことを知った。ついこのあいだ私は、それを発見してつい有頂天になった。  気がつけば、“ライカ・ウイルス”の恐るべき脅威の餌食となっていた。もう手遅れであった。私の目の前には今、ぽつねんとその主人が、座り込んでいるではないか。そう、去年とは別人様のライカ――バルナックのIIIcである。
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前回お伝えしたmas氏の幻のウェブサイト[msbcsnb]に紐付けされたリンク先から、今回は「ライカ片手の新宿」(2000年)を紹介してみよう。私はこのテクストと彼が撮影した写真4カットを、確か2004年頃に何度も眺めていたのだった。30代の頃である。あれから14年の歳月を経て、忘却の彼方に追いやられていた「ライカ片手の新宿」の随筆を、あらためて精読してみた。
《二十世紀がそろそろ終わるので感傷的に過去の思い出に浸ろうというわけではもちろんないし、これらの写真を不特定多数の人に見て貰いたいというわけでもない。ずっと新宿という街が好きだった、それなのに何故か写真を撮ったことはほとんどなかった、ただそれだけのことだ。  学生時代、この街は僕にとってジャズそのものだった。中学時代に填ったジャズだけど、高校になって、生音とかレコードを聴きにこの街に来るようになった。紀伊国屋裏のピットイン、ジェイ、ニューダグ、ナルシス。二十歳を過ぎてゴールデン街という存在を知った。シラムレン。そのころ、大陸系マフィアがどうのこうの、なんて騒がれ始めた頃で、風林会館前の横町にあるばるぼらの前で中国人が青龍刀で殺されたりした。ジャズと深くかかわり始めると、世の中全てのものが「ジャズ」か「ジャズでないもの」になってしまう。そして、新宿はまぎれもなく「ジャズ」だった。  あれから十年も経っていないのに、僕の好きな新宿はポツポツと消えていってしまっている。その消えつつある僕の好きな新宿をカメラ片手にめぐるのが今、無性に楽しい》 《left to r…

お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈六〉

サブカルで私淑するmas氏のウェブサイトが、ネット上で見つかった。奇跡の発見。過去に抹消されたと思われていた一部のページが、まだサーバーに残っていたのである。思いがけぬハプニングに、私は今、とても昂揚している――。

 ウェブサイト[msbcsnb]http://www.geocities.ws/msbcsnb/index-2.html)。mas氏がかれこれ20年ほど前に耕していたウェブサイトであり、ラスト・アップデートは2008年4月15日となっている。つまり10年ほど前に最後の更新をして以来、ずっとそこに、ネット上で眠り続けていた、ということになる。この10年間、私はまったくそのことに気がつかなかったのだ。
 mas氏のウェブサイトは他にも[mas camera classica]というのがあったが、どうやらそれはこのドメインのディレクトリには残っていないらしい。もともとドメインが別のため、そちらはおそらく、もう現存していないかも知れない。
 この度発見した[msbcsnb]トップのインデックスのページには、彼愛用のクラシック・カメラとレンズによって撮影されたと思われる、奥さんと可愛い娘さんの当時の画像がそのまま残って掲載されている。残念ながらこのサイトは、オーナーであるmas氏とコンタクトを取ることができない仕様になっているが、ともかく私個人の感覚としては、不思議な気がしてならないのである。何故なら、もうこれらはこの世に無いと思われていたのに、本当はそこに在ったのだから――。

 発見したのは、まったくの偶然であった。前回の「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈五〉」の原稿を書く直前、mas氏に関連したワードを試しに検索したところ、このサイトがヒットしたのだった。まさに瓢箪から駒である。トップのインデックス・ページから紐付けされたページはけっこう多く残っているので、どれを閲覧しても懐かしい思いがする。mas氏の撮影された写真を眺め、テクストの隅々までを私はかつて、何度もアクセスして耽読したのだった。
 実を言うと、私自身がプライヴェートで付けている日記を調べたら、mas氏のサイトに関する記述が膨大に見つかった。およそその記述は2004年から2009年にまで及び、彼のサイトに関する感想が短文で記録されていたのである。そのテクストを参考にして今回、あるワードを…

司馬遼太郎の『ニューヨーク散歩』

昨年中より、ざわざわと司馬遼太郎の本を読み返すようになった。圧倒的な熱量で彼の著書の歴史関連を漁り、幕末から明治維新以後の、近代の日本を読み解くのに夢中になっていた、私の20代半ばから後半にかけては、その中でも特に『街道をゆく』シリーズが最も望ましい賛助であった。  この街道シリーズは、単に土地土地の歴史に触れるだけでなく、その歴史を刻んだ生々しい息吹をひとたび現世に甦らせ、古代人の風雨入り交じる土着の臭気を、活字の中から嗅ぐことができる。司馬さんの民俗学的な視点が、隙間なく多分に入り込んでいるせいである。こうした稀有な読書の体験は、なかなか他では得られるものではないだろう。再び街道シリーズを乱読した昨年は、そうした司馬遼太郎の著書ならではの、読後感の醍醐味を思い出したのだった。
 あの当時、毎週通っていた馴染みの書店があった――。逐一、その書店で『街道をゆく』シリーズの好きな紀行編を買い求めるようになった。朝日文庫の書棚と岩波文庫の書棚が隣同士だったから、そのあたりに立ち止まってしばし時間を忘れ、両隣の文庫本を手に取って活字を散読する習慣ともなっていたのである。今、その書店は町に存在しない――。数年前にたたまれてしまった。  私の記憶には、まだ店内の雰囲気がありありと鮮明なカラー写真のように残っているけれど、そこで買った街道シリーズは、数えてみると全43冊のうち、16冊であった。後々、ワープロを使って街道シリーズ43冊の書名リストを作成し、読み終わった紀行編にペンでチェックを付けておいた。そのリストは今も手元にある。したがって、不足の(買っていない)紀行編がどれだかすぐに分かるのである。リストを参考にして昨年、おもむろに「ニューヨーク散歩」と「南蛮のみち」(Ⅰ、Ⅱ)、「台湾紀行」、「中国・閩のみち」を買い足した。現在のところ、所有するのは計21冊となった。
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 さて、昨年の春頃からずっと乱読していたのが、「ニューヨーク散歩」である。土着の臭気を漂わせていた街道シリーズにおいて、このニューヨーク編は少々、他と違い毛色が明るめで、羽毛のような軽量感がある。つまりアメリカとニューヨークの歴史における物事の瑣末がそれほど、深く沈殿していないのである。  しかし、1950年代以降の好きなジャズを聴いていると、盛んだったのはパリかニューヨークか、と大まかに言ってよく、…

お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈五〉

「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル」。このお題目のシリーズは、どうやら今後も続きそうな気配。不定期で綴っていきたい。
前回は、中国茶の「武夷肉桂」(ぶいにっけい)を嗜み、mas氏の曾祖父の話を書いた。煎茶を追い求める明治生まれの遠州男の話であった。大袈裟に言えば、お茶はアジアが誇る画期的な飲み物である。おお、excellent! その時の気分によって、好んでお茶を飲むのがいい。
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 例えば紅茶もお茶の種の一つである。
 ついこの前、ペットボトルの「午後の紅茶」を思いがけず飲んだ。これが妙に美味しかった。紅茶は約1年半もご無沙汰していたのだけれど、束の間の休息を心から和ませてくれた。ほんの少し、紅茶について調べてみた。辞典では以下のような記述になっている。

《チャの若葉を摘み取って、萎凋 (いちょう)・揉捻(じゅうねん)・発酵・乾燥させて作った茶。煎汁は澄んだ赤茶色になる。一七世紀に中国茶が西洋に伝わり広まった。インド・スリランカが主産地。日本には明治以降伝わった》
(三省堂『大辞林』第三版より引用)
 日頃飲み慣れているコーヒーと、ちょっとしたお気楽のための中国茶。それに紅茶。そうだ、これからも事ある毎に紅茶を飲むことにしようではないか。この発酵した茶葉の、明るく快活なる味わいは、何たるものぞ――。私は紅茶という独特な香味の、ふくよかな快楽を、すっかり忘れかけていたのである。そういえばいつだったか、若い友人に、「紅茶花伝」のロイヤルミルクティーが美味いのだということを教えられたことがあった。それを思い出したから、今度気儘に買って飲んでみよう。
 寒空が続くこの冬の午後を過ごすのには、ぽくぽくと温かな紅茶を一服するのが、いちばんいいかも知れない。それもカジュアルな雰囲気を持続したまま――。茶というものを疎かにせず、それを嗜む心を養いたいと願う。飲み物として、奥が深くて、心強いから。尤もこれは、紳士淑女の基本的心得なのだろう。肝に銘じなければならぬ。

 ところで、言葉の話。
 英米では、単にtea(ティー)と言うと、紅茶を指すのだそうだ。煎茶の場合はGreen Teaと言い、紅茶をあらたまって言うとなると、Black Teaである。“茶を入れる”は、make teaなのだが、小学館の『ランダムハウス英和大辞典』(第2版)によると、wet the teaともあった…