投稿

4月, 2019の投稿を表示しています

☞最新の投稿

アイリッシュ・ウイスキーとジョイスの話

イメージ
【世界最古の蒸留所が誇るアイリッシュ・ウイスキー「キルベガン」】  朝日新聞が毎月第1日曜日に発行する特別紙面[朝日新聞グローブ](GLOBE)のNo.245は、興味深いウイスキー特集だった。その紙面のトップページにあった写真に、思わず私は眼を奪われたのだ。それは、ウイスキー・グラスに注がれた琥珀色の液体が、揚々たる深い海と化し、そこに突き出た南極大陸の氷山を思わせる氷の塊の、なんとも美しい風景――。  この世に存在する桃源郷とは、そのようなものなのだろうか。写真の下に、それとなく村上春樹氏の言葉が添えられていた。 《あらゆる酒の中ではウィスキーのオン・ザ・ロックが視覚的にいちばん美しい》 (『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』新潮文庫)。  私はしたたかにこのウイスキー特集を読んでから、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の本を開いた。ウイスキーのオン・ザ・ロックがこの世で最も美しい酒の姿であるとするならば、ジョイスの小説は、男にとっても女にとっても、破廉恥で最も穢らわしい毛皮をはいだ自己の内面の姿を、目の前の鏡の中に見出す瞬間を与えてくれるものであり、その傍らに寄り添うウイスキーは、みすぼらしい本当の《私自身》と“親しい友”でいてくれる、最良の飲み物なのである。  ゆえに私は、心からウイスキーを愛している。 【[朝日新聞グローブ]No.245「ウイスキーの時間」】 ➤GLOBEの「ウイスキーの時間」  特別紙面のウイスキー特集のメインテーマは、「ウイスキーの時間」。コロナ禍で「家飲み」が増えたという。どの国においても、家族や友人知人と共にバーやレストランなどで酒を飲み交わす機会が減ったというわけだ。そんなご時世でも尚、ウイスキーは世界的なブームだそうである。むしろビールやワインとは違い、ウイスキーはもともと孤独を愛する人々が嗜む酒の代名詞であったから、「家飲み」の需要が底上げしたのかも知れない。  とは言いつつも、ウイスキーは近頃、ハイボールという飲み方でもたいへん愛されてきているから、女性が好んで“軽くウイスキーを飲む”という機会が増えているせいなのだろう。  紙面全体の内容を大雑把に要約すれば、スコッチの生まれ故郷以外の国でも――勿論日本も含まれる――新しいウイスキーが次々と誕生しているという。  ここでいう新しいウイスキーとは、伝

『洋酒天国』と世界の酒盛り

イメージ
【『洋酒天国』第6号】  最近、“モフモフ”という擬態語=オノマトペが流行っているようだ。某テレビ番組のタイトルにも使われたりしていた。一昔前ならフカフカと言ったもの、あるいはモコモコと言ったものをもっと可愛らしく表現したのが、“モフモフ”ということらしい。それで、あくまでこれは個人的な意見であるが、先月から(いや、もっと以前から…)私が断続的に飲んでいるアイルランドの黒スタウトのビール=ギネス(Guinness)の舌触りというのは、これまでフカフカでもモコモコでも言語表現しきれなかったのに、今まさに“モフモフ”というオノマトペに出合ったとなれば、このビールに対してこの表現が一番相応しいではないか、声を出して言いたいのである。〈モフモフ! ギネス! モフモフ! ギネス!〉。世界中で流行って欲しいのでございます。  ということでお酒の話題から、ヨーテンの話題へ推移しようと狡猾に策略したのだけれど、今回はそのアイリッシュではなく、おフランスなのである。フランスと言えばワイン、日本語で古風に言うと葡萄酒――。ワインは普段、私はあまり飲む機会をこしらえていなかった。ただし今、南仏「レゾルム ド カンブラス」のカベルネ・ソーヴィニヨンを美味しくいただいている。まあ、この話題はまた後にしよう。何はともあれヨーテンへ、いざ、出発進行――。 §  壽屋PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第6号は、昭和31年9月発行。表紙はお馴染み、坂根進氏のペーパークラフト。冊子の扉を開くと、柳原良平氏のちょっと官能的なイラストがあって、 《水は外に 酒は内に 女は床に!…》 と古代ローマ、ペトロニウスの「トリマルキオの饗宴」の箴言の引用テクスト(原文を読んでいないから詳しくは不明)。「トリマルキオの饗宴」は青柳正規氏の解説でいい本が出ているようだ。関心があるので、後でそれを買って読もうと思っている次第である。  昭和31年の世俗を一つ挙げてみる。千葉の公団稲毛住宅初入居、というのが当時のニュースになったらしい。入居者は、“関東団地族”と称されてはしゃいだらしいとか。団地(正式名は日本住宅公団地)という俗称は、昨今あまり世間で飛び交わなくなってきたが、私も幼少の頃、“団地族”の一員であった(当ブログ 「ボクの団地生活」 参照)。  昭和の団地暮らしという

映画『幻魔大戦』―愛と新宿とポカリのパースペクティヴ

イメージ
【映画『幻魔大戦』のDVD】  17歳の高校生の主人公・東丈(あずまじょう)が、新宿の街の場末でポカリスエットの缶を蹴る――。取るに足らないシーンのようでいて、どういうわけだか私は、それを見て〈これはただ事ではない映画だ〉と感じた。むろん、そこにいたる前のシークェンスも、ただ事ではない不穏な《予兆》を想起させてはいたが、自身の過去の記憶をめぐり、その理由が次第に判明していくのだった――。 §  映画『幻魔大戦』を観た。1983年公開の角川映画。キャラクター・デザインを務めた大友克洋の作画に魅了される。冒頭のシークェンスでトランシルバニア王国の第一王女プリンセス・ルナが登場する。彼女はテレパシストの16歳の少女――ということになっている。16歳の少女…。16歳というまだあどけないはずの面影は、そこからは微塵も感じられない。  さらに後々、東丈が登場する。彼もまた、どう見ても17歳の高校生男子には見えない。おでこが広い。おでこが広いということは、髪が薄いということである。実に東洋人的な面持ちであり、その無表情に押し込めた感受性の乏しい気怠さが重く感じられ、直ちに悪者を懲らしめてくれるような漲る正義感は、彼のこのおでこの広さからは想像できず、その性格のひ弱さに心が打ちのめされてしまっているようで、街から一歩も出そうにない。ちなみに彼は、高校の野球部のレギュラーから外されてしまい、只々そのことに屈伏し、世の中の沙汰に服従しようとしているだけであった。  しかしながら不思議なことに、東丈には恋人がいた。彼の恋人とされる沢川淳子は、不思議な魅力を持った女性である。その魅力の根源がいったいなんだかよく分からないという魅力である。目つきがきりりとしている。考えてみれば彼女も同じ高校生なのだ。まったくそうは見えない。あまりに大人びてしまって、将来咲き乱れるであろう可憐な花の蕾――花咲く前夜という予期する期待感はまるでなく、もはや咲いた花びらの一片は散らんばかりの、詫び寂すぎた様相である。すべてが熟れすぎてしまっているこの呈は、いったいなんだろうか、と思った。  不気味な大人達のようでもある、大友克洋の描くこの世界の有り様は、私が認識している地球物理とは違うアングルで進行しているとしか、言いようがない。1年の月日は、ここでは彼らを5歳も年を取