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『洋酒天国』の裸婦とおとぼけ回想記

壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第3号は、昭和31年6月発行。編集発行人はご存じもご存じ、作家の開高健。かの人は、謎めいた笑みを浮かべながら、あの世からでもこの日本列島を眺めて、不思議そうにして好きな酒を飲んでいるに違いない。――見た目、開高健は、豪放磊落のイメージがある。しかし、実は神経質で繊細な感性の持ち主。そのデリケートな心持ちが、“ヨーテン”の様々な面白い企画を勢いよく生んだ理由なのだろう。おっと、表紙の“機関車”のクラフトペーパーは、これまたご存じのイラストレーター、柳原良平の作である。
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 さて、数年かけて私は――これだけは自慢できるほど勤勉なことに(途中挫折しかけたが)――コツコツとこの『洋酒天国』を蒐集してきて、もうまもなく全号(第1号から第61号まで)揃いつつある(残りはあと第58号のみ)。そんな私が“ヨーテン”を読む時は、必ずいちばん後ろのページから読むよう癖がついてしまっている。そこには小さな字で、“ヨーテン”の入手方法がほぼ毎号、記されているのだった。 《「寿屋洋酒チェーン」加入のトリスバー。サントリーバーでお受取り下さい。品切れの節は、郵券20円同封の上、発行所宛お申込下さい》 (『洋酒天国』第3号より引用)
 あの頃――若武者のウイスキー党だったサラリーマンが、都市部にあったトリスバーに通い、『洋酒天国』を買い求め、それを今でも大切に保管している、あるご高齢の方――と私は、以前メールのやりとりをしたことがあった。  …たいへん恐縮でございますが、もしよろしければその“ヨーテン”を、不粋の私にお譲りいただけないでしょうか? とお願いしたところ、その人曰く、もう“ヨーテン”を読む機会など、これから先ないのだと思うけれども、手放したくないんだなあ、これが。あの頃の想い出なんですよ。私にとって。  その時ほど私は、本の大切さ、ありがたみ、本が読めることの幸せ、というものを感じたことはなかった。
 あの時代、洋酒愛好家の読者にとってこんな“美味い本”はなかったのである。戦後の復興から10年、人々にとってたいへん貧しかった頃の記憶がやや薄れ、“もはや戦後ではない”というキャッチフレーズが大流行する、そんな経済成長の途上にあった頃、働くサラリーマンの愉しみの一つは、「酒を呑む」ことであった。これがまたその酒が、…

五味彬の『Yellows MEN Tokyo 1995』

【当時は衝撃的だった“YELLOWS”の男性版】
 写真家・五味彬氏の90年代の集大成であるヌード写真集=“YELLOWS”シリーズを何度か過去に取り上げてきた当ブログにおいて、その“YELLOWS”のなんたるかを断続的に振り返っていこうという試みが、2016年9月の「写真集『nude of J.』」を境にぱったりと途絶えてしまっていたことを深く反省する。もっとこれに食い付いて継続的に追い込むべきであった。
 当ブログにおける始まりは、2012年8月の「YELLOWSという裸体」である。今回取り上げるのは、そのシリーズのうちの一つ『Yellows MEN Tokyo 1995』(風雅書房)で、これは、男性モデル26人の全裸を真っ向からとらえたメイル・ヌード写真集である。
 実を言うとこの本については、個人的に2017年の春頃に取り上げるつもりで用意していた。実際、本をスチル撮りしたこれらの画像は、その頃撮られたものだ。ところが、まったく別の事由が重なってしまい、取り上げることを忘れて、この本のこともすっかり失念してしまっていた。尚、“YELLOWS”シリーズに関する考察も不完全なままであった。なので、ようやく今、再び狼煙を上げる。90年代に大流行したあの“YELLOWS”シリーズの気炎を。こうして今、邂逅の機会を得た次第である。
 本は、私の手元にある。手に取ったのは、およそ3年ぶりである。これを最初に見開いたのは、もう20年近く前のことだ。あらためてこの本を開いてみると、とても懐かしい気がする。私にとっては、少し大袈裟になるが、90年代のlegacyである。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズの中で、最も入手が難しい稀少本と称されている『Yellows MEN Tokyo 1995』について、私なりの意趣で紐解いていきたい。

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 1995年に出版された五味氏のヌード写真集『Yellows MEN Tokyo 1995』のシューティング・データをつまみ取る。撮影スタジオは都内のバナナプランテーション(現・権之助坂スタジオ)。撮影日は1994年3月23日~25日。カメラはMamiya 645。
 Mamiya 645は中判の一眼レフカメラで、おそらく使用したフィルムは、コダック(日本ではブローニーフィルムと呼んでいたりする)かと思われる。他の“YELLOWS”シリーズでは、当時最先端だったデジカメ(Kodak DCS3)が撮影で使用され、フィルムのような現像工程を施さずにダイレクトに撮像を抽出できる点で大いに画期的であったが、いかんせんまだ、画質が粗すぎ、写真集の品質をかなり損なっていた面があった。それに対してこの『Yellows MEN Tokyo 1995』は、従来のフィルムカメラを使用したため、写真の品質がたいへん良い。フィルムの優れた特性が画面に顕れている。
 以下、本の帯のテクスト広告を引用する。

《YELLOWS MEN
撮影・五味彬
男だって脱ぎたい
女だって見たい
フツーのオトコたちのカラダ。
会社員からダンサーまで、男性26人のヌード》
(五味彬『Yellows MEN Tokyo 1995』帯より引用)

 本の最初のページは、“INDEX”となっていて、男性26人の顔写真(モノクロ)、身長、体重、座高、バスト、ウエスト、ヒップの寸法、足のサイズ、血液型、職業、出身地が記されている。ある意味において彼らは、五味氏の“YELLOWS”の評判を聞いて集まった“collaborators”という言い方はできよう。出身地や職業は千差万別であり、その顔の個性に関しても、ベースとなるアウトラインは人それぞれである。こうした顔写真と経歴を眺めているだけで、多方いろいろと想起させられるものがあった。

 例えば、「日本人の顔」というものをこのように並べて参照したうえで、その造形の民族的な特徴とはいったい何であろうかという第一の想起。
 古代より地球上のあちこちに派生した無数のそれぞれの民族。顔の造形の同根または差異といった見地で、「日本人の顔」とはいったい――といった思考の入口に行き着くと、それに対する知識が、まるで基礎すら持ち得ていないことに気づかされるのだった。私はこれまで、ほとんどそういった観点で、“日本人とは何ぞや”という民俗学以前の民族学というところに、関心が及ばなかったのである。何の脈略もなく、浮ついた想像だけに頼って、つい「民族」とか「遺伝」といった言葉を口走り、そのロマンティシズムに駆られていただけかも知れないと悟った。

 人がある生活環境下で、日々、必然的に周回しながら暮らし、その時々の心理や身体的感覚の影響を受けながら、無意識に顔の神経だとか筋肉だとか皮膚、すなわちその人の「表情」というものが現出されていると仮定すれば、その環境下における心理的作用というのは、とても重要な脳内のプロセスだということになる。顔の造形の基礎には、やはり民族的遺伝とか家系的遺伝といった要素があるに違いないが、頭髪スタイル(かなり個人の嗜好要素が強い?)といった箇所にまで想像が及ぶと、果たして本来の民族的遺伝における顔の造形の差異などといったことが、客観的に判断できる程度まで表出しているのかどうか、疑わしいではないかとも思うのだ。
 ここに載せられた26人の男性らは、「日本人らしい日本人」と言っても差し支えないはずだが、何が日本人らしい顔なのかという根拠については、少なくとも私はよく理解できていない。しかし一見するだけで、彼らは日本人であるとおおまかに認識できる私の脳内は、いったいその顔をどう判断して見きわめているのか、ということなのである。ここがよく分からない。
 ともかく、彼ら26人の男性は、たいへん鋭くカメラのレンズを見つめ、こうして眺めている私の顔を、逆に眺められているようにさえ感じる。何か言いたそうなのだ。だが、私には、まだその答えを見つけることができないのであった。

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 もう少し顔の話を続けよう。
 写真は、シャッターを押したその「一瞬」を切り取るものである。だから、写真が現存する限りにおいては、その「一瞬」の時間に静止したまま、鑑賞者は被写体を眺め続けることになる。ここにおける彼ら26人は、ずっとその表情を変えたりしないし、年も取らない。これは動画であってもほぼ同じ解釈になり、動画の場合はその切り出す「一瞬」が写真よりも少し長くなるだけのことであって、記録された間の時間を超えて、顔や形状が変わったりはしない。これは記録物に与えられた真理であり、宿命であり、人間的には因果である。

 もし仮に、彼らの「24年後」の顔を、同様に撮影し、写真として切り取ったとしよう。「24年後」つまり2019年の今だ。言わずもがな、想像すれば分かるように、26人の表情の「24年後」の変化は劇的であり、その写真集にある表情とは、まったく別人の様相となるに違いない。
 記録と記録のあいだに実相として立ち振る舞う現実的な「24年」という時間の進行。細胞の成長がピークに達し、その後は退行すなわち「老化」していく生物学的現象が人体に加味される。誰しも多かれ少なかれ「老化」による肉体の変化は避けられるものではない。故に人は、そのことにいくばくかの憂いの念を覚える。顔は「老化」に対する憂いを刻み込んで、それを顕著に浮き彫りにしてしまうものなのである。

 しかしながら、顔というものは、逆に歳を追うごとに着飾っていく性質があるだろう。若い頃はなんとなく無表情に近かった表情が、社会的な経験に揉まれて、意識的に「表情コミュニケーション」を学習して着飾るようになるのではないか。人の意識は徐々に「老化」を見せまいとしていくだろうから、歳を追うごとに表情で着飾るのである。それは生物学的な「老化」とは逆行する形で、意識によって「老化」を妨げようとする働きかと思われる。したがって、「24年後」の彼ら26人の表情は、もっと豊かな笑みを含んだ柔らかな表情になっていると、私は勝手に想像するのである。

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【秀和円奴さんの顔と全身】
 人は視覚において顔を第一に認識するであろう。相手の顔の表情を読み取り、コミュニケーションを図る。誤解を恐れずに言うと、顔で物事を判断するのである。つまり人は、言語と顔の表情を手段とするコミュニケーション媒体であり、言わば「情報交換をする生き物」なのだ。このことは、人類生存のための持続可能性の肉体的限界として、当然の帰結と言える。
 コミュニケーションに必要な身体的機能が顔と上半身につかさどり、運動と生理と生殖のために必要な下半身は、コミュニケーション手段としてはあくまで小さく、補助的な役割に過ぎないのだから、視覚においてはそれを認識しなくてもよいとされる。
 原初の人類は工夫を凝らしたのだった。下半身は黒子として覆い隠し、認識を削ぎ落とす。「着衣」というルールである。人類はずっとこれまで、この厳格なルールを採用し続けてきた。自己の生殖活動を一旦は疎外しておくことができ、かつ社会活動に集中するための「着衣」というルールは、人類が発明した最初の文明開化だったに違いない。

 そうした私の拙い知識による想像では、顔と下半身(生殖器)の分離こそが、人類の社会活動を飛躍的に進歩させた大きな要因であったという、言わば生物進化のロマンティシズムに浸ることになるのだが、その結果、人類の進化において、セックスの対象である女性の裸が、視覚として途方もないほど、情動の刺激材料となる機能的副産物を生み出したように思えるのだ。
 五味氏の“YELLOWS”シリーズにおける作品スタンス、すなわち「人の顔とヌードの標本化」は、近代の芸術的指向に脅かされない形で実に謙虚に、剥き出しになった人の身体に対する視覚と認識の問題を、じゅうぶん想起させてくれていることを忘れてはならない。

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【秀和円奴さんの全裸正面と背面】
 翻って、男性のヌードも、同じ定義である。1995年の『Yellows MEN Tokyo 1995』は、あの頃の日本において、確かに女性のヌード写真集を見るのとは違う反応――ぎょぎょっとした嫌悪感――で迎えられた面があった。一般に、ヌード写真集本の多くの購買者である男性からは、あの『Yellows MEN Tokyo 1995』について、〈男の裸など見たくない〉という表向きの反応が多かった。
 むろん、客観的に世界を見わたせば、紆余曲折はあれど、欧米ではとっくの昔に、男性ヌードは市民権を得ている。絵画に登場する老若男女のヌードを例に出すまでもなく、写真の分野で老若男女のヌードはしごく当たり前のように存在する(ヌードは森羅万象の自然の一部でもあるからだ)。
 女性のピュービック・ヘア露出のヌードで一世を風靡した、80年年代から90年代初頭にかけての日本人の反応こそが、そもそもまだ性を破廉恥とみる偏見の塊の渦中にあり、芸術性の高いヌード・フォトグラフィーの視野への了見の狭さを物語る事象なのであった。しかも、依然として、90年代の日本ではまだまだ、男性ヌードは色物として扱われていた。
 ちなみに、それ以前の日本では、ピュービック・ヘアも男性ヌードもアングラ、すなわち地下の暗渠領域のカテゴリーであった。90年代になり、芸能人のスターやアイドルが服を脱ぎ、陰毛を晒し、ようやくそれらのヌード・フォトグラフィーが、森羅万象の自然の一部として認知され、「可視化の肯定」が広まった。さもこれは、ヌードの有り様が暗渠ではない青空の見える世間の縁側で語られるようになっただけの話である。

 1991年に篠山紀信の写真集『water fruit 篠山紀信+樋口可南子 accidents 1』でいわゆる“ヘアヌード”が解禁(写真でモデルが陰毛を晒しても事実上、わいせつ罪ではおとがめなしになった)された後、わんさかとその手の写真集が発売されて圧倒的なブームとなり、すぐに篠山氏は本木雅弘のヌードを撮って男性ヌードの裾野を一般に広めた。あれは確かに画期的な写真集であった。
 そして国内におけるヌード・フォトグラフィーの主流は間違いなく“ヘアヌード”と称された陰毛のチラ見せ一辺倒となり、芸術性が高くないものも含めて、メディアはそれを大々的に取り上げ、ブームを誇張した。あの頃は、ビジネス・チャンスとして“ヘア”の見せ合い競争を熾烈にしていたのだった。

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【秀和円奴さんの全裸左側面と右側面】
 ヘアを含めた見せ方の芸術的水準は、この頃、まだ過渡期であったと言わざるを得ない。以前までは「見せてはいけない」ものを、今度は「見せてもいい」ことになったのだから、その場合の撮り方として、作画の術はおのずと変わる。『Yellows MEN Tokyo 1995』はシリーズの方向性に倣い、「人の顔とヌードの標本化」のスタンスのままであった。つまり、男性モデルが全裸で佇立しているだけの写真である。
 この本の“INDEX”の次に、京都大学理学部助教授・理学博士であった片山一道氏の論説「裸のメッセージ―男性ヌード写真によせて」がある。個人的な見解を述べた一文をまず引用する。

《私の目の前に並ぶのは、ほとんどポーズらしきポーズをとらない壮年前期の年頃の男性の全裸写真であるが、実のところ、心ときめくようなプラスの情動は何ひとつ起こらない。むしろ、おどろおどろしきものをチラリ見るときの気後れが先立つ。どうも男性ヌードというもの、尋常ではないようだ。ようやく最近になって市民権を獲得しつつある女性ヘアーヌードと比べて、どこか趣が違う、いわば隠花植物と顕花植物の違いであろうか》
(『Yellows MEN Tokyo 1995』片山一道「裸のメッセージ―男性ヌード写真によせて」より引用)

 片山氏の個人的な見解を代弁すると、女性ヌードには華があり、男性ヌードには華がないということ、男性ヌードは情動の対象にならない、ということであるが、佇立しているだけの不気味さというのがどうしてもそこにあって、「標本化」という趣旨に沿った裸体の表層が、まるで情欲の引き金にならないという点では、“YELLOWS”シリーズ全般に言えることではないかと思われる。また、片山氏は、「男女の陰毛」と「男性のペニス」についての見解も述べていて興味深い。

《平均的には密度も太さも男性のそれには及ばないが、女性の陰毛も相当なものである。おそらくは、両性の“遺伝的なつながり”ということで説明できるだろう。人間の体毛は、どちらかの性に特有な遺伝形質、つまり限性遺伝形質ではない。だから、男性の陰毛が濃くなるように進化すれば、その程度に差はあれ、女性でも濃くなる方に向かったはずだ。その点、クジャクの尾羽やライオンのたてがみとは異なる。
 それでは男性は、いったい誰に向かってペニスを誇示する必要があっただろうか。おそらく性交の相手たる女性に対してではなく、異性や社会的な地位をめぐる競争相手の同性に対してであろう。つまり人間の歴史において、大きなペニス、正確には大きく立派に見えるペニスは、他の男性を威嚇し、地位を誇示するのに何らかの役割を果してきたのであろう。この点では、人間の男性のペニスはクジャクの尾羽やライオンのたてがみと変わらない》
(『Yellows MEN Tokyo 1995』片山一道「裸のメッセージ―男性ヌード写真によせて」より引用)

【秀和円奴さんの全裸背面と正面】
 この本の男性ヌードには、性器にモザイクがかかってしまっている。したがって、片山氏の一説を実際に目視してみて体現することができない――。
 1995年の本という時代を考えると、ヌードに対する規制がまだすべて解かれていない点でやむを得ない面はある。しかし、これは大きなマイナス要因ではないか。この点で既に他のシリーズと(他の女性ヌードと)同等に比較できない齟齬が生じてしまったとも言える。モザイク(=表現規制)がかかったのは、この本の趣旨が、決して芸術点が低いわけではないにせよ、「性器は露骨である」とみられた証である。そもそも身体表現として人の顔を写真に記録する行為自体が、露骨な表現であるのにもかかわらず――だ。

 “YELLOWS”シリーズの女性ヌードの「標本化」は、ほぼ完璧であった(無毛に対するモザイクがまったくなかったわけではない)。が、対照的に男性ヌードの方は、一律モザイク加工という不可抗力によって、完全無欠な「標本化」には至らなかった。
 五味氏は編纂においてベストを尽くしたと思われる。が、たいへん残念である。今からでも遅くはない。この作品を、無修正版としてリイシューする努力をすべきなのだ。作品は完遂してこそ真の作品である。私なりに総合的に判断して、それだけの価値が、この本にはあると思った。

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YELLOWSという裸体

ざっくりと大まかに言ってしまえば、まだ1990年代初頭の頃は、テレビのワイドショーでも“ヌード”が“語られる”大らかな時代であった。五味彬氏の“YELLOWS”シリーズがテレビで話題になると、私自身も単純な興味本位から、風雅書房出版のそれらの写真集をなんとか入手しようと躍起になった。しかし、都内の紀伊國屋であるとか丸善であるとか、あるいは神保町界隈の美術書専門書肆で、あの大判の写真集を直に買い求めることは、私には到底できなかったのである。

 “YELLOWS”とは一体どんなシリーズであったか。

 いわゆるシロウト、プロのモデルではない一般の若い女性達を100名募り、一人ずつスタジオの中で蝋人形のように無機質に直立させて、その全裸姿を、正面、背面、側面のアングルから写真に収めるといった国内では前代未聞の画期的な企画であり、若い日本人女性を美術解剖学的に標本化しようとした大真面目なプロジェクトであった。
 ただし、ワイドショーその他のメディアでは、全裸しかも女性のピュービック・ヘアを露出させた「衝撃の」写真集としてのみ話題になって、それが黄色人種の日本人であろうとなかろうと、身体を写真として標本化し、それぞれの女性の体型を比較対照するといった科学的な見地と関心は、まったく度外視されてしまったのだ。

 後年、私はこのシリーズのうちの『Yellows 2.0 Tokyo 1993』を入手することができた。が、実際に本を開いて写真を見たところ、想像していた写真とはだいぶ違ってリアリティがなく、100名の女性の全裸に圧倒されることはなかった。それは何故か。

 この写真集の冒頭には、11人もの錚錚たる著名人が解説を寄稿している。飯沢耕太郎氏の解説の中に、そのヒントが隠されていた。

《どこにでもある撮影現場の雰囲気なのだが、やや変わっているのは三脚に据えられたカメラからコードが伸びて、ビデオ・モニターやパソコンと接続していること。電子スチルカメラのシステムを使っているため、シャッターを切るとその瞬間の映像がモニターの画面に出てくる。わずらわしいポラロイド撮影などする必要がなくて便利である。デジタル化して記録された情報は、あとでプリント・アウトすることもできる》

 写真集の巻末ページに記されていたシューティング・データに、“Kodak DCS3 Camera”とあった。そうなのだ…

拝啓心霊写真様

私がまだ小学校へ上がらない頃のことだから、1970年代後半の古い話なのだが、幼少だった私はある心霊写真というものを見て、その怖さのあまり、夜な夜な一人で居られなくなるような思いをしたことがあった。それは2つの有名な心霊写真だ。  そもそも、そんな心霊写真をどこで見たのかというと、ある雑誌の付録の、小冊子だったと記憶する。その付録の小冊子はまさしく心霊写真特集となっていて、その中にこの2つの心霊写真が掲載されてあった。  その頃の心霊や超能力ブームは凄まじいもので、その雑誌は“明星”だったか“平凡”だったか、その手のアイドル雑誌だったと思うのだが、そういうスマートな雑誌でも当たり前のように心霊写真を掲載して煽っていた。
 3年前の当ブログ「左卜全と心霊写真」で紹介した本、中岡俊哉編著『続 恐怖の心霊写真集』(二見書房・サラブレッド・ブックス)に再び登場してもらう。  そこにその2つの心霊写真が掲載してあった。当時のこうした心霊・超能力ブームを煽った火付け役が、この本の著者である中岡俊哉先生だったのである。
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 幼少だった私が初めて心霊写真というものに出会った写真が、この「鬼のお面」の写真だ。
 そこは東京・葛飾区の幼稚園。昭和50年に撮られた写真。私とあまり変わらない年頃の子供達が節分の日であろうか、画用紙に鬼の画を描いて切り取って、自慢げに整列した「鬼のお面」の記念写真。
 右側の背景の下駄箱の上の窓ガラスに、中岡俊哉先生が指摘する“霊体”が写っている。中岡先生の説明では、この霊体は園児に関係のある女性、なのだそうだが、私の眼には髭を生やした近所のおじさんにしか見えなかった。
 不気味といえば不気味なのだけれども、さほどではなかった。  むしろ私が震え上がったのは、この近所のおじさんではなく、21人の園児の持つお面の方であった。これはどう見ても霊体の顔より怖い。何故これほどまでにリアリスティックな鬼なのだろうか。  鬼の顔がどの子もほとんど皆同じ作りで、目がつり上がり、口が大きく裂けている。角と角の間には、毛糸のような繊維状のもので見事に鬼の髪の毛を模しているから相乗効果がある。当然、この髪の毛は書き加えたのではなく、繊維をくっつけて立体的にリアルにしたものだ。鬼の顔の大きさも園児の顔より遥かに大きく、21の鬼の顔はこちらを見つめて笑っているかのようである。 …

樋口可南子と篠山紀信

お櫃でかき混ぜたご飯を召し上がるその瞬間に、ふわりと漂うヒノキの香りが鼻孔の奥を通り過ぎて、不思議なくらいに《野趣》に富む贅沢な気持ちを味わった。女優・樋口可南子の写真集『water fruit』を眺めていると、そういう体験を想起させてくれる。若い頃では絶対にそんなことを感じ得なかったであろう性愛への惑溺した趣が、今はとても心地良い風となってある種のユートピアの在処をひけらかすのであった。
 先月の16日、朝日新聞朝刊のコラムで、写真家・篠山紀信氏の『water fruit』にまつわる回想録が掲載された。私はそれを読んだ。「猫もしゃくしも『ヘア』 今も嫌」――。  振り返れば1991年、篠山紀信が樋口可南子をモチーフにして撮影した写真集『water fruit 篠山紀信+樋口可南子 accidents 1』が発売された時、“ヘアヌード写真集”が出たということで大変話題になったのを思い出す。当時32歳だった樋口可南子が、篠山氏のカメラの前で“脱いだ”という話題性よりももっと猥雑で露骨な剣幕として、彼女がヘア(pubic hair)までもさらけ出したという、女優としての度胸の意外性に大衆が刮目し、そのことに皆、惚れ惚れとしたのである。  ただし私はまだその頃、19歳であったから、世間の風俗の喧噪に疎く、そこに近づいて興味を持とうという気にはならなかった。あれから28年の歳月を経て、いま私の手元には『water fruit』がある。あの喧噪はいったい何であったのか、『water fruit』とは何ぞや――という長年心に覆われていた靄をいま、取り払ってみたくなったのである。  ちなみに、私が所有しているのは、“1991年3月15日第3刷”で、当時、帯に記され一般に浸透していたタイトルらしき“不測の事態”の文字は、この本の中の刊行データには記されていない。だからここでは、“不測の事態”という言葉を敢えて扱わないことにする。
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 作者と表現者の思いとは裏腹に、この写真集は徹頭徹尾、“ヘアヌード写真集”と流布されて知れ渡った。“ヘアヌード”とは造語であり、「陰毛が映っているヌード」という意である。  日本では戦後、民主主義憲法の下、「表現の自由」(憲法第21条)を謳いながらも性表現・性描写に関しては規制が厳しく(刑法175条)、欧米の基準とは異なって、露骨な性表現・性描写…

人生ゲームと約束手形

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年3月1日付「人生ゲームと約束手形」より)。

 学生時代までに所有していた無数の古いボードゲームは、以前オークションなどでほとんど売却したものの、前に紹介した「シークレットポリス」や「人生ゲーム」の各種(ヴァージョン違い)はなかなか手放すことができず、今でも眠った状態になっています。  ミルトン・ブラッドレー社の「GAME OF LIFE」(=人生ゲーム)の初代盤が私にとって生涯初めてプレイしたボードゲームで、アート・リンクレター氏の肖像写真がとても印象に残っています。彼の肖像は備品のドル札の顔写真にも登場しています。
《2,500ドルをもって人生のコースをスタートし、さまざまな成功、失敗、仕返しを繰りひろげながら早く億万長者になったひとが勝つゲームです》
 子供から大人まで楽しめるボードゲームとは言うけれど、いま考えてみれば、「人生ゲーム」はかなり大人びた内容になっていて、小学生が「楽しむ」には、それなりの金銭感覚や経済、その他の知識が必要であったように思われます。
 実際、当時小学生であった我々が「人生ゲーム」で遊ぶとき、いちばんわからなかった、わかりづらかったのが、“約束手形”の切り方。  少なくとも我々がプレイしたときは、〈金が無いなら無いでいいじゃん〉という暗黙の方式をとりました。つまりどこかのマスに止まって、請求が生じた際、金が無いなら払わなくてもいい、という独自の子供らしい(ある意味安直な)ルールでした。  確かに、プレイ中に他人のドル札が次第に“赤く”染まっていくのを見ればゲームとしては盛り上がる反面、どこか悲壮感が漂うのも事実です。子供時代に「手形を切る」ルールを採用しなくて正解だった――とも思います。
 ちなみに、1980年の2代目「人生ゲーム」のルールでは、「借金」について以下のようになっていました。
《●銀行からの借金 必要に応じて20,000ドル単位として借りることができます。ただし次の場合は例外として借り出せません。
a 賭けをするとき、b 誰かから仕返しをされて100,000ドル払えないとき。
銀行家は20,000ドルごとに赤い約束手形と一緒にドルを貸しだします。借金を返済するときは20,000ドルのおさつに約束手形をつけて銀行に返します。500ドルの利息をとられないように…