投稿

8月, 2019の投稿を表示しています

☞最新の投稿

ライオンミルクさんのフォンドボー

イメージ
【Lionmilkのアルバム『Depths Of Madness』】  2度目の緊急事態宣言下の定点観測――。ウイルス感染拡大防止の重大局面として、切迫したただならぬ様相とは言えども、既に政治は愚鈍化(政治家が愚鈍化)し、地球全体が愚鈍と化してしまっている。おおよそ、人間の知的な感覚(=知性)の後退期とも思えなくもない。社会は度重なる抵抗と服従による災厄の、右往左往の日々が続いている。言うまでもなく、コロナ禍である。人々の先々の展望は、10メートル先の針穴を見るようにとらえづらい。  ところで私が最近、聴き始めてから意識的に“定着”してしまっている海外の音楽がある。モキチ・カワグチさんのLionmilk(ライオンミルク)名義のアルバム『Depths Of Madness』(ringsレーベル/Paxico Records/2018年)である。モキチ・カワグチさんは、アメリカ・ロサンゼルス出身の日系アメリカ人ビートメイカーで、アルバム自体は、自由気ままな、少々ゆったりとした、エレクトロ系の人工的な解釈によるジャズとフュージョンの、言わば“fond de veau”(フォンドボー)のようなサウンドである。これを私は毎夜聴くことにより、多少なりとも、不穏な日々の精神安定剤となり得ている。 §  彼と彼の音楽について、ringsレーベルのプロデューサーの原雅明氏による短い解説にはこうある。 《ロサンゼルス生まれの日本人キーボード奏者モキチ・カワグチは、ニューヨークの名門ニュースクール大学でジャズ・ピアノを学び、Lionmilk名義ではシンガーソングライターでありビートメイカーでありマルチ奏者でもある多彩な顔を見せる。この才能豊かな24歳の音楽、本当に要注目です》 (『Depths Of Madness』ライナーノーツより引用) 【月刊誌『Sound & Recording Magazine』2019年12月号より】  月刊誌『Sound & Recording Magazine』(リットーミュージック)2019年12月号には、ロスのウェストレイク・ヴィレッジにある彼のプライベート・スタジオでのインタビュー記事が掲載されていた。  私はそれを読んで知ったのだけれど、彼の所有するエキセントリックなローファイ機材(ヴィンテージのエレピ、チープなリズムマシン、宅録用

『洋酒天国』のロックは飲まぬワインとマルゴの話

イメージ
【『洋酒天国』第8号の表紙はお馴染み柳原良平】  1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が公布。4年後の1956年(昭和31年)の経済白書には、「もはや戦後ではない」という文言が明記され、その年の流行語となった。そういう頃の昭和の時代の話――。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)のヒット曲が日本にも上陸し、ロカビリー・ブームを巻き起こした年。海の向こうでチャック・ベリーやリトル・リチャードといったロック・スターが華やいだ活躍を見せていたその渦中、同じように若者達を魅了したのがエルヴィス。エルヴィス・プレスリーの(当時のご年配の人達の感覚では)“破廉恥”な歌。そのエルヴィスに心酔した若き日本人こそ、他でもない小坂一也氏。曲は「ハートブレイク・ホテル」。 §  壽屋(現サントリーホールディングス)のPR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第8号は、昭和31年11月発行。表紙のペーパークラフトの“セスナ機”は、お馴染みイラストレーターの柳原良平。カントリー&ウエスタンを白と喩えれば、リズム&ブルースは黒。その白と黒の音楽を融合させ、エルヴィスの甘ったるいウィスパー・ヴォイスで大ヒットした「ハートブレイク・ホテル」。この年、この曲の日本上陸によって、一大旋風を巻き起こし、戦後派の若者達の頽廃主義的なライフスタイルを大いに刺激。太陽族の風潮に喘いだ“草食系”の若者達が一気にライブハウスへとなだれ込み、片やステージのエレキ、片やTribeの立場でロックン・ロールのパワー感でもみくちゃになっていた、あの時代である。  しかし、ヨーテンでは、どこか飄々としていて、そうしたロカビリー・ブームの熱風に肖ろうというスタンスが感じられない。ヨーテンを片手に暢気にトリスバーで酒を飲んでいるのは、ネクタイを締めた“オジサマ族”だったからか。“オジサマ族”からすれば、街の界隈のあんなアプレゲールなど、クソ食らえ! ってなもので、そんなものに染まったら、酒が不味くなる、と思っていたのかも知れない。  確かに戦後の闇市では、めっぽう悪評を買った“バクダン”や“カストリ”といったまがい物の酒が横行したそうだ。酒は古来より人々の文化の礎であるという箴言があるとすれば、まがい物ではなく、より上質なものへ、より上品なものへと酒造りの付加価

ウイスキーとアイリッシュと村上春樹

イメージ
【アイリッシュのタラモア・デューと向き合い束の間の休息】  私がウイスキーの酒を好んでいるのを、このブログで何度も書き綴ってきている。枚挙に暇がないくらい。そうして過去に記録してきた箇所を拾い読みし、掻い摘まむと、なんと8年前まではまだ、アイリッシュ・ウイスキーとやらを私は嗜んでいなかったらしい(当ブログ 「愛蘭土紀行」 参照)。その何気ない客観的な事実に、私は震えた。何故なら、《永遠》に近い時間の中で、アイリッシュとずっと戯れていたかのように錯覚していたからだ。愚かなる自分がそこに佇んでいる。 §  この夏、村上春樹の『アフターダーク』(講談社文庫)を読み始めようかと悩んだ。が、諦めることにした。贅沢を言えば、もう少しゆったりとした時間が欲しい。それが今は叶わぬから、いずれ機会をみて、じっくりと読むことにしよう。  ところがしかし、読みかけの、冒頭での小説のやりとりが色濃く印象に残ってしまい、それがとても謎めいていて、“有り余る好奇心”の捌け口にほとほと困ってしまった。頭の半分が『アフターダーク』に浸かりきってしまっているのである。  結論としては、ここぞとばかりにアイリッシュを飲んで、気分を変えるしかなかった。タラモア・デュー(Tullamore Dew)の救護である。  アイリッシュ・ウイスキーのタラモア・デュー。この酒が誕生した歴史とその寓話なるものをごく微量に簡単に述べるとこうなる。  アイルランドの首都ダブリンから西、オファリー州のタラモアの町の大きな運河の近くに、1829年、ウイスキーの蒸留所が建てられた。その68年後の1897年に、銘柄タラモア・デューが生まれる。酒の開発者ダニエル・エドモンド・ウイリアムス(Daniel Edmond Williams)の名と、タラモアの“露”(=Dew)の意をどうやらもじったらしい。現在そこは、ヘリテージ・センターとなっていて、歴史資料館としての役割を果たしている。  かつてアイリッシュ・ウイスキーは苦境の時代があり、タラモア・デューの生産は1960年頃、アイルランド南部の町コーク(Cork)に程近い、ミドルトン蒸留所に移った。その旧蒸留所の建物も、やはり今はミュージアムとなっていて、最盛期の堅牢な趣を感じさせる。――タラモア・デューの琥珀の液体を口に含めば、実に