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8月, 2019の投稿を表示しています

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ティーンエイジャーはなぜ問題行動を起こすのか

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私は10年ほど前にその数年間、余程の理由もなく気晴らしに――それもかなり熱っぽく『ナショナル ジオグラフィック』(NATIONAL GEOGRAPHIC)の日本語版(日経ナショナル ジオグラフィック社)を定期購読していた。通称“ナショジオ”は知っての通り、ネイチャー&サイエンス系の月刊誌である。子どもから大人まで、購読者の年齢層は幅広い。何と言っても“ナショジオ”は、表紙から中身から、視覚中枢を圧倒するかのようなフォトグラフィックの雨嵐で、構図的な美や色彩の艶やかさに魅了され、私はその頃、この月刊誌のファンだったのだ。  そうしたふくよかな書物の残滓は、私の手の中でかろうじてあった。購読していた当時の本は今や、“2011年10月号”の1冊しか残っていなかった。その号の表紙のイラストはサム・ハンドレー氏で、水彩絵の具を丸一日撒き散らした、らしい。眼に焼き付いてしまうくらい、印象的な表紙である。
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 この号の特集記事「ティーンズの脳の驚異」が、斬新なサイエンス・フラッグとしてたいへん読み応えがあったのだった。内容は、「思春期の若者は、なぜ厄介な問題行動を起こすのか」がテーマである。ちなみに表紙の見出しは、「解明されるティーンズの脳」となっていた。“ナショジオ”日本語版の、本の中身における各種標題は、このように厳密な標題にこだわっていない。したがって、どの標題がどの記事を指しているのか、少々分かりづらいことがある。  ともかく、まずは本当のことを言おう――。  私は当時(2011年9月)、これをまったく読んでいなかったのである。この雑誌が書棚の片隅に未開封の“ポリ袋状態”で差し込まれたまま、およそ8年間――いっさい手を触れることなく眠っていたわけである。本を開いたのはごく最近のことだ。そうして記事の「ティーンズの脳の驚異」を読んだら、思いがけずこのテーマへの関心の度合いが高まったのだった。
 この特集記事のフォトグラフ――撮影場所はほぼすべてテキサス州のオースティン――だけを見ていっても、そのあざやかさに思わず引き込まれてしまう。フォトグラファーは1987年生まれのアメリカ・フロリダ州出身、ビジュアル・デザイナーであるキトラ・カハナ(Kitra Cahana)氏。彼女のサイトに掲載してあったアートワークで、“Still Man”が私は好きだ(おそらくその被写体の男…

『洋酒天国』のロックは飲まぬワインとマルゴの話

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1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が公布。4年後の1956年(昭和31年)の経済白書には、「もはや戦後ではない」という文言が明記され、その年の流行語となった。そういう頃の昭和の時代の話――。エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)のヒット曲が日本にも上陸し、ロカビリー・ブームを巻き起こした年。海の向こうでチャック・ベリーやリトル・リチャードといったロック・スターが華やいだ活躍を見せていたその渦中、同じように若者達を魅了したのがエルヴィス。エルヴィス・プレスリーの(当時のご年配の人達の感覚では)“破廉恥”な歌。そのエルヴィスに心酔した若き日本人こそ、他でもない小坂一也氏。曲は「ハートブレイク・ホテル」。
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 壽屋(現サントリーホールディングス)のPR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第8号は、昭和31年11月発行。表紙のペーパークラフトの“セスナ機”は、お馴染みイラストレーターの柳原良平。カントリー&ウエスタンを白と喩えれば、リズム&ブルースは黒。その白と黒の音楽を融合させ、エルヴィスの甘ったるいウィスパー・ヴォイスで大ヒットした「ハートブレイク・ホテル」。この年、この曲の日本上陸によって、一大旋風を巻き起こし、戦後派の若者達の頽廃主義的なライフスタイルを大いに刺激。太陽族の風潮に喘いだ“草食系”の若者達が一気にライブハウスへとなだれ込み、片やステージのエレキ、片やTribeの立場でロックン・ロールのパワー感でもみくちゃになっていた、あの時代である。
 しかし、ヨーテンでは、どこか飄々としていて、そうしたロカビリー・ブームの熱風に肖ろうというスタンスが感じられない。ヨーテンを片手に暢気にトリスバーで酒を飲んでいるのは、ネクタイを締めた“オジサマ族”だったからか。“オジサマ族”からすれば、街の界隈のあんなアプレゲールなど、クソ食らえ! ってなもので、そんなものに染まったら、酒が不味くなる、と思っていたのかも知れない。  確かに戦後の闇市では、めっぽう悪評を買った“バクダン”や“カストリ”といったまがい物の酒が横行したそうだ。酒は古来より人々の文化の礎であるという箴言があるとすれば、まがい物ではなく、より上質なものへ、より上品なものへと酒造りの付加価値にこだわるのは当たり前。言うなればそれは、壽屋の創業以来のポリシーでもあった。  …

ウイスキーとアイリッシュと村上春樹

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私がウイスキーの酒を好んでいるのを、このブログで何度も書き綴ってきている。枚挙に暇がないくらい。そうして過去に記録してきた箇所を拾い読みし、掻い摘まむと、なんと8年前まではまだ、アイリッシュ・ウイスキーとやらを私は嗜んでいなかったらしい(当ブログ「愛蘭土紀行」参照)。その何気ない客観的な事実に、私は震えた。何故なら、《永遠》に近い時間の中で、アイリッシュとずっと戯れていたかのように錯覚していたからだ。愚かなる自分がそこに佇んでいる。
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 この夏、村上春樹の『アフターダーク』(講談社文庫)を読み始めようかと悩んだ。が、諦めることにした。贅沢を言えば、もう少しゆったりとした時間が欲しい。それが今は叶わぬから、いずれ機会をみて、じっくりと読むことにしよう。  ところがしかし、読みかけの、冒頭での小説のやりとりが色濃く印象に残ってしまい、それがとても謎めいていて、“有り余る好奇心”の捌け口にほとほと困ってしまった。頭の半分が『アフターダーク』に浸かりきってしまっているのである。  結論としては、ここぞとばかりにアイリッシュを飲んで、気分を変えるしかなかった。タラモア・デュー(Tullamore Dew)の救護である。
 アイリッシュ・ウイスキーのタラモア・デュー。この酒が誕生した歴史とその寓話なるものをごく微量に簡単に述べるとこうなる。  アイルランドの首都ダブリンから西、オファリー州のタラモアの町の大きな運河の近くに、1829年、ウイスキーの蒸留所が建てられた。その68年後の1897年に、銘柄タラモア・デューが生まれる。酒の開発者ダニエル・エドモンド・ウイリアムス(Daniel Edmond Williams)の名と、タラモアの“露”(=Dew)の意をどうやらもじったらしい。現在そこは、ヘリテージ・センターとなっていて、歴史資料館としての役割を果たしている。  かつてアイリッシュ・ウイスキーは苦境の時代があり、タラモア・デューの生産は1960年頃、アイルランド南部の町コーク(Cork)に程近い、ミドルトン蒸留所に移った。その旧蒸留所の建物も、やはり今はミュージアムとなっていて、最盛期の堅牢な趣を感じさせる。――タラモア・デューの琥珀の液体を口に含めば、実にアイリッシュらしいブレンデッドのまろやかさが口の中に広がり、いにしえの伝統の風雅と気品を想わせる。私の場合、ア…