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11月, 2019の投稿を表示しています

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消えゆく写真

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【FUJIFILM X-T3で試し撮り。被写体はLEICA IIIc】  元日の午後、手持ちのカメラ(FUJIFILM X-T3、レンズはFUJINON XF18-55mm F2.8-4.0 R LM OIS)でアンティークと化したLEICA IIIc(レンズはCanon SERENAR 50mm F1.9)を被写体に試し撮りをおこなった。ここ数日間続いた日本海側の寒波の煽りで、関東地方は異常なほど冷え込み、ただただ日光が神々しく、温かく、優しさをも醸し出しているかのようで、直接光と間接光に包まれたアンティークの被写体は何か、その機械的な佇まいの中に、微睡んでいるようにも見えた。  しかし一方で、いずれ消えゆくかも知れないアンティークの宿命の儚さもまた、写真という風雅の物悲しさを表している。《所有》とは、実に悲しげな行為なのである。ともあれ、個人的なクラシック・カメラの思い出は尽きることがない。私の記憶は、およそ20年前のウェブへといざなわれる――。 ➤写真とカメラを教示したmas氏  20年前のインターネットがきわめて遠い事象となりつつある、コロナ禍を経た時代の流れ。世相流行の移ろいはともかく、社会生活全般の隔世を感じるのは、私だけであろうか。今こうしてブログに文章を書いていることも、自身のウェブサイトをいくつか構築し、音楽や映像や写真などのポートフォリオを細々と展開しているのも、およそ20年前より私淑していた、mas氏のウェブサイトをお手本にしたものなのである。インターネットとのかかわり方、その作法や流儀について、詫び寂の何たるかまでも教示されたように思える。  20年前、彼に倣ってクラシック・カメラ遍歴(別の鋭い言い方では「クラシック・カメラ・ウイルス」とも言う)にどっぷりと浸かり、写真とカメラによる悦楽の日々を送っていたあの頃が、ひどく懐かしい。  mas氏に関しては、昨年の 「思い出のmas氏―池袋のお馬さん」 やそれ以前に多くテクストを書き連ねているので、ここでは詳しく書かない。  今はネット上に現存していない、彼の旧ウェブサイト[mas camera classica]では、洒脱な文章でカメラや写真についてとくと語られていて、その内容に私も感心したのだった。一部をコピーしてテクストファイルとして記録していたのもとうに忘れ、それをPCのハードディスク内か

ティーンエイジャーはなぜ問題行動を起こすのか

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【ナショジオより。蛍光塗料を塗ったくって踊る若者達】  私は10年ほど前にその数年間、余程の理由もなく気晴らしに――それもかなり熱っぽく『ナショナル ジオグラフィック』(NATIONAL GEOGRAPHIC)の日本語版( 日経ナショナル ジオグラフィック社 )を定期購読していた。通称“ナショジオ”は知っての通り、ネイチャー&サイエンス系の月刊誌である。子どもから大人まで、購読者の年齢層は幅広い。何と言っても“ナショジオ”は、表紙から中身から、視覚中枢を圧倒するかのようなフォトグラフィックの雨嵐で、構図的な美や色彩の艶やかさに魅了され、私はその頃、この月刊誌のファンだったのだ。  そうしたふくよかな書物の残滓は、私の手の中でかろうじてあった。購読していた当時の本は今や、“2011年10月号”の1冊しか残っていなかった。その号の表紙のイラストはサム・ハンドレー氏で、水彩絵の具を丸一日撒き散らした、らしい。眼に焼き付いてしまうくらい、印象的な表紙である。 § 【『ナショナル ジオグラフィック日本語版』2011年10月号】  この号の特集記事「ティーンズの脳の驚異」が、斬新なサイエンス・フラッグとしてたいへん読み応えがあったのだった。内容は、「思春期の若者は、なぜ厄介な問題行動を起こすのか」がテーマである。ちなみに表紙の見出しは、「解明されるティーンズの脳」となっていた。“ナショジオ”日本語版の、本の中身における各種標題は、このように厳密な標題にこだわっていない。したがって、どの標題がどの記事を指しているのか、少々分かりづらいことがある。  ともかく、まずは本当のことを言おう――。  私は当時(2011年9月)、これをまったく読んでいなかったのである。この雑誌が書棚の片隅に未開封の“ポリ袋状態”で差し込まれたまま、およそ8年間――いっさい手を触れることなく眠っていたわけである。本を開いたのはごく最近のことだ。そうして記事の「ティーンズの脳の驚異」を読んだら、思いがけずこのテーマへの関心の度合いが高まったのだった。  この特集記事のフォトグラフ――撮影場所はほぼすべてテキサス州のオースティン――だけを見ていっても、そのあざやかさに思わず引き込まれてしまう。フォトグラファーは1987年生まれのアメリカ・フロリ

お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈九〉

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【中国茶「白芽奇蘭」の茶葉】  約半年ぶりになる当ブログの不定期シリーズ「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル」。 前回 は今年の5月。mas氏が2001年に訪れた上高地への旅行記であった。今回はmas氏の「中国茶のオルタナティブ」から。それも恐縮ながら、 「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈五〉」 の“復習編”なるもの。初心に戻って中国茶を飲み、茶の精神論について雑学的に語っていきたい。  ちなみにmas氏に関しては、当ブログ 「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル〈一〉」 をご参照いただき、「中国茶のオルタナティブ」は彼が2000年から2001年にかけて、ネットのホームページで更新していたコラムのことであり、私が当時、そのコラムを読んで中国茶についての深い造詣をつまみ取り、なおかつmas氏の“クラシック・カメラ愛”を初めとする数々のサブカルに私淑したことを敢えて冒頭で述べておく。残念なことに、mas氏の「中国茶のオルタナティブ」のホームページは、とうの昔に削除されてしまっており、現在、ネット上にそれにあたるミラーサイトは存在しないものと思われる。 § 【mas氏の「中国茶のオルタナティブ」その六】   〈五〉 で紹介した、「中国茶のオルタナティブ」のその六。「『茶』をどのように発音するか。誤読の歴史。」。その復習のため、もう一度ここに全文を掲載しておく。 《中国では、チャー、インドではチャイ、日本では、チャ/サ、イギリスでは、ティーTea、フランスではテThe、ブラジルではシャーcha。  もちろん、いずれも語源は同じ、中国人が「茶」を発音した音。  しかし、発音した中国人はどこの地方で、何世紀だったのか? その音をアルファベット表記した者の母国語は? そして、そのアルファベット表記をさらに違う母国語を持つ者が読み、その音をアルファベット表記したらどうなったのか? そんな誤読の歴史の中で似てるけど違う表記/発音が生まれた。  そして、飲み方についてもしかり。ミルクを入れてみたり、バターを入れてみたり、石臼で挽いてみたり、焙煎してみたり、そんな誤読の歴史の中で茶であることは変わりのないのに様々なスタイルが生まれた。  初めてミルクティーを作った人なんかはかなり変人だったと思う。それとも、す

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