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2月, 2020の投稿を表示しています

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消えゆく写真

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【FUJIFILM X-T3で試し撮り。被写体はLEICA IIIc】  元日の午後、手持ちのカメラ(FUJIFILM X-T3、レンズはFUJINON XF18-55mm F2.8-4.0 R LM OIS)でアンティークと化したLEICA IIIc(レンズはCanon SERENAR 50mm F1.9)を被写体に試し撮りをおこなった。ここ数日間続いた日本海側の寒波の煽りで、関東地方は異常なほど冷え込み、ただただ日光が神々しく、温かく、優しさをも醸し出しているかのようで、直接光と間接光に包まれたアンティークの被写体は何か、その機械的な佇まいの中に、微睡んでいるようにも見えた。  しかし一方で、いずれ消えゆくかも知れないアンティークの宿命の儚さもまた、写真という風雅の物悲しさを表している。《所有》とは、実に悲しげな行為なのである。ともあれ、個人的なクラシック・カメラの思い出は尽きることがない。私の記憶は、およそ20年前のウェブへといざなわれる――。 ➤写真とカメラを教示したmas氏  20年前のインターネットがきわめて遠い事象となりつつある、コロナ禍を経た時代の流れ。世相流行の移ろいはともかく、社会生活全般の隔世を感じるのは、私だけであろうか。今こうしてブログに文章を書いていることも、自身のウェブサイトをいくつか構築し、音楽や映像や写真などのポートフォリオを細々と展開しているのも、およそ20年前より私淑していた、mas氏のウェブサイトをお手本にしたものなのである。インターネットとのかかわり方、その作法や流儀について、詫び寂の何たるかまでも教示されたように思える。  20年前、彼に倣ってクラシック・カメラ遍歴(別の鋭い言い方では「クラシック・カメラ・ウイルス」とも言う)にどっぷりと浸かり、写真とカメラによる悦楽の日々を送っていたあの頃が、ひどく懐かしい。  mas氏に関しては、昨年の 「思い出のmas氏―池袋のお馬さん」 やそれ以前に多くテクストを書き連ねているので、ここでは詳しく書かない。  今はネット上に現存していない、彼の旧ウェブサイト[mas camera classica]では、洒脱な文章でカメラや写真についてとくと語られていて、その内容に私も感心したのだった。一部をコピーしてテクストファイルとして記録していたのもとうに忘れ、それをPCのハードディスク内か

チャップリン映画の麗しき追憶―『モダン・タイムス』考

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【チャップリン映画の傑作中の傑作『モダン・タイムス』】  39年前の1981年7月29日の夏――。映画評論家の水野晴郎氏が名口調で映画を解説するテレビ番組『水曜ロードショー』を、その日、まだ小学生だった私が、夏休みの最中で“観ていたかも知れない”という仮説をもとに、当時放映されたチャールズ・チャップリン監督の映画『モダン・タイムス』(“Modern Times”)をもう一度追体験するべく、ごく最近、それを観たのだった――。番組のテーマ曲である高らかなニニ・ロッソのトランペットを聴きながら、少年時代の映画三昧の日々が思い起こされる(当ブログ 「水曜ロードショー―少年は夜の映画に花開く」 参照)。  チャップリンの映画を観たのは、本当に久しぶりで、いったい何年ぶりとなるのだろうか。在りし日の『水曜ロードショー』の懐かしみと、溺愛するまでにチャップリン映画に傾倒していた少年時代への追憶とが相まって、それは実に感慨深いものであった。  あの頃、各局が放映する年間の一定量の映画コンテンツの中で、チャップリン映画“連作”というのは、いわゆる、大衆が好む“プログラム・ピクチャー”だった。そのことが反映して、私が幼少期から少年時代にかけて、どれだけチャップリンの“活劇”を観る機会があったか――。思い起こせば、何と贅沢な、貴重な映画三昧の日々であったか、ということである。むろん、チャップリン映画のそれぞれの作品の、それぞれのシーンが生々しく甦ってくるのだけれど、それだけではなく、彼のマイムのリズムとテンションというものが映像を通じて、私の身体にも宿って連動し、その体内記憶を保有したまま、今も尚そのアクションの発動が、身体から立ち起こることがあるのである。それくらいあの頃、チャップリン映画にこだわってよく観ていたのだった。 §  アメリカ・カリフォルニアのミューチュアル社で製作された頃の作品、すなわち1916年以降のチャップリン作品群に登場する、愛すべき“紳士”=放浪者チャーリーは、まさしくスラップスティックな存在でありながら、演じたチャップリンが若かったせいか、まだどこか未成熟な品格ゆえの、利己主義的なえげつなさを醸し出すアクションが垣間見られた。ハリウッドのファースト・ナショナル社における1918年以降の作品から『偽牧師』(“The Pilg

水曜ロードショー―少年は夜の映画に花開く

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【“ダルマ”。父がよく飲んでいたサントリーのオールド】  イタリアのトランペッター、ニニ・ロッソの奏でる「水曜日の夜」(“Wednesday Night”)は、知る人ぞ知る、かつて日本テレビの水曜夜9時に放送していた『水曜ロードショー』の“オープニング・テーマ”であり、その曲が流れると、〈おお、これから映画が始まる!〉と、子供心にもしみじみとその情趣を味わったものである。  これほど、映画というものにそこはかとない親しみと愛着を覚えさせるメロディはない。ニニ・ロッソのトランペットの、そのやさしく柔らかな音色が、夜のしじまに浸透し、これから始まる映画――フィルムの明滅の淡い痕跡――を網膜に刻み込もうとする心に、酒に似た一滴の快楽がそそぎ込まれるのであった。 § 『水曜ロードショー』の解説者は、口髭を生やした水野晴郎氏である。その口調は軽妙でそぞろ流暢であった。この番組は1972年の4月にスタートし、1985年の9月まで約13年続いた。途中、他の解説者と交代した時期もあったようだ。ちょうど中学1年生の時、番組が終了した時のことは憶えている。なんてことはない、その翌月から、金曜日の夜9時に移行し、番組名が『金曜ロードショー』に代わったまでの話である。水野氏の「いやあ、映画って、ほんとうにいいもんですね」の締めくくりの言葉は、かつて日本人のほとんどが耳にした、名調子であった。  私の父も、『水曜ロードショー』のファンであった。父は洋画好きで、あの頃、ほとんど欠かさず毎週『水曜ロードショー』を観ていたのではなかったか。風呂から上がると、テレビの前のテーブルの傍らには、サントリーのオールドと酒の肴が盆の上に置かれてあって、それをちびりちびりと口に含みながら、吹き替えの映画を愉しんでいたのだった。  そんなことを思い出した――わけである。最近私は、ニニ・ロッソの「水曜日の夜」をCDで何度も聴く機会があって、あの頃の茶の間の風景がよみがえってくるのだった。『水曜ロードショー』が始まった初期の時代(70年代)のことはあまりよく憶えていないが、確かに小学生の頃(80年代以降)は、父と同様にして、私も毎週よく観ていたのである。ただし、同じテレビで観ていたわけではなかった。  その頃の水曜日というのは、夜に、少年団の剣道の稽古があったので、そ

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