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3月, 2020の投稿を表示しています

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クウネルと花さかにいさんのこと

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馥郁たる天然の要請に耳を傾ける人。たとえ木訥であっても、草花の芳しき日々を感じ取りながら、精一杯に生きるということ――。そんな人柄を思わせる花人・杉謙太郎氏のことを知ったのは、雑誌『ku:nel』(クウネル)であった。15年前に読んだ誌面での印象があまりにも強烈で、私にとっては、今でも忘れられない“出合い”となっている。
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 マガジンハウスの雑誌『ku:nel』2005.3.1号に、杉謙太郎さんが登場する。誌面の見出しは、「福岡県・吉井町の花さかにいさん。野の花は、羽根にふれるように」。以下、見出し横の付記を引用しておく。 《杉謙太郎さん、29歳。バラ農家の長男として生まれ、でも農薬と肥料で作られたバラにはどうしても惹かれず、華道教室の門を叩き、師を求めてヨーロッパに渡った。迷いながら悩みながら、自分だけの花を探し続ける杉さんが帰る日、気づく日を、裏山の花たちは静かにじっと待っていた》 (『ku:nel』2005.3.1号より引用)
 誌面の中では、家業のバラ栽培での農薬云々の話が、まず強烈に心に残った。――両親はバラ栽培で生計を立てている。杉さんは、高校卒業後に家業を手伝った。40度を超えるビニールハウスでの“農薬散布”が、最も辛かったと語る。大きなハウスの中で半日かけて、毒性の高い農薬を噴射して何度も往復するという。その真意について、杉さんはこう述べていた。 《肥料と農薬で大量生産されたうちのバラはぶくぶくして、“モノ”みたいでした。どっかの酔っぱらいのおじさんが、どっかのスナックのおネエさんに、かすみ草で水増ししてプレゼントするんだろうなあ、と思うとやりきれなかったですね。このバラに食わせてもらっておいて、バチ当たりモンなのですが……》 (『ku:nel』2005.3.1号より引用)
 その後、花のデザインコンペで数々の賞をとり、仕事が殺到。花の教室を開けば、生徒が100人以上に増えたという。そうした矢継ぎ早の仕事で稼いだものの、杉さんは、心身を消耗して自律神経失調症になってしまったのだった。  それからヨーロッパに行き、造園について学ぶ。とある伯爵の、邸宅の庭に咲いていた野バラに、胸が震えた。ビニールハウスのバラとは違う、生命力に溢れたバラだったからだ。そうして地元の吉井町に戻った後、自然に咲いている花たちの、ありのままの姿の美しさに気づく。竹細工職人の…

グローフェの『大峡谷』を聴く

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一言で言い切ってしまえば、今、世界はコロナ禍で冷静さを失い、狂ってしまっている。半錯乱状態である。人心も、政治も、経済も、教育も、文化も、スポーツも。すべて狂ってしまって困窮し、人の死に嘆き悲しみ、先々の展望が見いだせていない。いつかは終息するであろう、日が必ずやって来る。しかし、戦争以外では、例えば米ソの核戦争勃発の危機に瀕した1962年のキューバ危機の時でさえも、これだけ世界中の多くの人々が七転八倒した月日はなかったのではないかと思うのである。  ただひたすら今は、未来の扉へと導く小さな光を探し求め、静謐に堪えるしかない――。ならば、私は大好きな音楽の世界に逃げ込むのであった。  ふと、手に取ったのは、母校の中学校で扱っていた、音楽の教科書である。何故か今、不思議とこの古びた教科書が、輝いて見えるのだ。新型コロナウイルスのパンデミックによって生じた、不条理な心持ちを落ち着かせるためには、私にとって音楽が必要であったし、その基礎や原風景に立ち戻るのが最も良い効果だと信じたのだった。
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 その音楽の教科書は、中学1年の時(1985年=昭和60年)に使用していたのとほぼ同じもので、教育出版株式会社、昭和61年3月31日文部省検定済、平成元年3月31日改訂検定済、平成3年発行の「改訂 中学音楽1」である。これはだいぶ前に入手していた古本であり、この件に関しては、6年前の当ブログで既に書いた(「私たちのレコード・コンサート」参照)。ただし、実際に私の母校の中学校で使用したのは、この改訂版より前の教科書ということになる。が、表紙の絵柄もそっくりそのままで、中身もほとんど変わらないであろうと思われる。したがって、そこに記されている内容は、当時の音楽の授業で扱われた内容だったはずだ。  その頃の中学1年時の音楽の授業を思い返してみても、はっきりと憶えているのは、やはり、東龍男作詞・平吉毅州作曲の「気球にのってどこまでも」を班ごとに合唱したことと、ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi、教科書ではビバルディと表記)の「春」(ヴィヴァルディが1725年に出版した12曲のヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』の「四季」のうちの一つ)のレコードを鑑賞したことのみで、もはやそれ以外の記憶を私の脳内から引き出すことは、難しいようである。
 こうして再び懐かし…

写真小説『サーカスの少年』のこと

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中学を卒業してからの高校の3年間は、あっという間に過ぎようとしていた。かろうじてその時、まだ17歳だった。私と友人は、あと数ヶ月で卒業という只中に、こんな会話をしたのである。「俺たちって、もうすぐ18歳になるけど、18歳ってさ、もうオッサンだよな」――。
 部屋の中で一瞬、会話が途切れたのを憶えている。17歳と18歳はやはり根本から違うのだということを、友人は溜息を漏らしながら暗い口調でリアルに告げるのだった。  17歳までは子供として扱ってくれる…。が、さすがに18歳ともなると、既にボクたちは、心も体もすり切れて《少年》ではなくなる。虚栄心が強かった《少年》としての今までとは違い、18歳の“オッサン”になるとは、いったいどういうことなのだろうか。  それは漠然とした不安であった。そうした最後の高校生活をやり過ごそうとしていた頃、ミュージシャンで作詞家の松本隆氏がストーリーを創作した、写真小説『サーカスの少年』刊行の“噂”を、どこからともなく耳にしたのだった。やがて、私と友人は、同じ時期に誕生日を迎え、実体としてとうとう18歳という“オッサン”になっていった。そうなると自ら観念し、その事実に屈伏せざるを得なかったのである。
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 まさに私が、《少年》と訣別を果たした直前の、1990年春。リアリスティックに刊行された『サーカスの少年』(東京書籍)という写真小説の“噂”は、おそらくラジオかなにかで知り得た、些細な話題の一片だったのだろう。  『サーカスの少年』――。モデルから転身し、写真家デビューを果たした安珠氏の純真なるフォトグラフが濃密に収録された写真小説本。松本隆氏が綴った軽いタッチの小説の内容は、そうした風の“噂”で耳にしていたのかも知れなかった。
 ――都会の沿線のとある町。両親を交通事故で失い、ひとりぼっちになった少女“そよぎ”が、学校にも行かず、この町にひっそりと暮らしている。電車の操車場に面した家には、父親がかつて集めていた骨董の古時計があちらこちらにちらばってある。
 ある日、湯船に浸かっていた“そよぎ”は、線路の上の電線が見える天窓から、浴室にいる自分の顔を覗き込む不思議な“少年”と出会う。“少年”は、この町にやって来たサーカス団の一員で、綱渡りの芸の練習のために電線の上を歩いていたのだ。駅の近くの空き地には、サーカス団の巨大なテントが張られ、…

『洋酒天国』―美しい食と酒の世界

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いつだったか知り合いからいただいた、オードブルならぬ「つきだし」のお裾分け――ちくわの穴っぽこに柴漬けの茄子を詰めた――はたいへん美味かった。当然、酒の肴にしたかったのだけれど、あいにく酒を飲む場ではなく、また宴の夜でもなく、甘口の日本酒の旨味をめいっぱい想像しながら、気分でそれを味わう以外になかった――のがとても残念に思われた。  若い頃にはそういった深々とした趣に思い至ることはなかったにせよ、酒を飲みつつ食の贅にありつけることは、なんと悦楽で至福なことか。これぞまさしく文化。決して高級な酒など必要ない。そこにひとつまみの幸福が佇んでいるということ。こうした美しい食と酒の文化について、今回紹介する『洋酒天国』の号では、随分とロマンティックな気分にさせられた、次第である。
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 毎度おなじみ、壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第54号は、昭和37年8月発行。  昭和37年(1962年)の世相を思い出すのに好都合な社会・文化史をいくつか独断で抜粋すると、こうなる。――4月に日本アートシアターギルド(ATG)が第1回作品『尼僧ヨアンナ』(監督はイエジー・カヴァレロヴィッチ)を封切り。8月、海洋冒険家の堀江謙一氏が小型ヨット「マーメイド号」で92日間の太平洋横断に成功し、サンフランシスコに到着。11月、唐十郎氏が状況劇場を結成。いわゆる“アングラ演劇”。その一派の台頭は、時代の物々しさを物語っていた。その頃の流行歌を大雑把に挙げると、飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」、ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」、フランク永井の「君恋し」。この年の10月、国際政治の史実としては、キューバ危機があった。
 従来のヨーテンの本のサイズは、てのひらサイズのB6判。ところが、第51号(昭和36年6月)からはひとまわり大きいサイズのA5判に刷新されていたのだった。やはり、本のサイズが変わるということは、自ずと中身の印象も変わってくるわけで、文章の量がそれなりに増え、例えば酒に関する形容や修辞なども、冗長かつ饒舌に、しかもねばっこく執拗なくらいになっている。  A5判のヨーテンは、とどのつまり、軽いエロティックなユーモアを抑え、格調を高くしようと努力した形跡がある。《季刊の特集方式に切り替え》た――と、かつてヨーテンの編集を担当していた小玉武氏は、著書『「洋酒…