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5月, 2020の投稿を表示しています

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ライオンミルクさんのフォンドボー

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【Lionmilkのアルバム『Depths Of Madness』】  2度目の緊急事態宣言下の定点観測――。ウイルス感染拡大防止の重大局面として、切迫したただならぬ様相とは言えども、既に政治は愚鈍化(政治家が愚鈍化)し、地球全体が愚鈍と化してしまっている。おおよそ、人間の知的な感覚(=知性)の後退期とも思えなくもない。社会は度重なる抵抗と服従による災厄の、右往左往の日々が続いている。言うまでもなく、コロナ禍である。人々の先々の展望は、10メートル先の針穴を見るようにとらえづらい。  ところで私が最近、聴き始めてから意識的に“定着”してしまっている海外の音楽がある。モキチ・カワグチさんのLionmilk(ライオンミルク)名義のアルバム『Depths Of Madness』(ringsレーベル/Paxico Records/2018年)である。モキチ・カワグチさんは、アメリカ・ロサンゼルス出身の日系アメリカ人ビートメイカーで、アルバム自体は、自由気ままな、少々ゆったりとした、エレクトロ系の人工的な解釈によるジャズとフュージョンの、言わば“fond de veau”(フォンドボー)のようなサウンドである。これを私は毎夜聴くことにより、多少なりとも、不穏な日々の精神安定剤となり得ている。 §  彼と彼の音楽について、ringsレーベルのプロデューサーの原雅明氏による短い解説にはこうある。 《ロサンゼルス生まれの日本人キーボード奏者モキチ・カワグチは、ニューヨークの名門ニュースクール大学でジャズ・ピアノを学び、Lionmilk名義ではシンガーソングライターでありビートメイカーでありマルチ奏者でもある多彩な顔を見せる。この才能豊かな24歳の音楽、本当に要注目です》 (『Depths Of Madness』ライナーノーツより引用) 【月刊誌『Sound & Recording Magazine』2019年12月号より】  月刊誌『Sound & Recording Magazine』(リットーミュージック)2019年12月号には、ロスのウェストレイク・ヴィレッジにある彼のプライベート・スタジオでのインタビュー記事が掲載されていた。  私はそれを読んで知ったのだけれど、彼の所有するエキセントリックなローファイ機材(ヴィンテージのエレピ、チープなリズムマシン、宅録用

クウネルと花さかにいさんのこと

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【雑誌“クウネル”に杉謙太郎さん登場】  馥郁たる天然の要請に耳を傾ける人。たとえ木訥であっても、草花の芳しき日々を感じ取りながら、精一杯に生きるということ――。そんな人柄を思わせる花人・杉謙太郎氏のことを知ったのは、雑誌『ku:nel』(クウネル)であった。15年前に読んだ誌面での印象があまりにも強烈で、私にとっては、今でも忘れられない“出合い”となっている。 §  マガジンハウスの雑誌『ku:nel』2005.3.1号に、杉謙太郎さんが登場する。誌面の見出しは、「福岡県・吉井町の花さかにいさん。野の花は、羽根にふれるように」。以下、見出し横の付記を引用しておく。 《杉謙太郎さん、29歳。バラ農家の長男として生まれ、でも農薬と肥料で作られたバラにはどうしても惹かれず、華道教室の門を叩き、師を求めてヨーロッパに渡った。迷いながら悩みながら、自分だけの花を探し続ける杉さんが帰る日、気づく日を、裏山の花たちは静かにじっと待っていた》 (『ku:nel』2005.3.1号より引用) 【マガジンハウスの雑誌『ku:nel』2005.3.1号】  誌面の中では、家業のバラ栽培での農薬云々の話が、まず強烈に心に残った。――両親はバラ栽培で生計を立てている。杉さんは、高校卒業後に家業を手伝った。40度を超えるビニールハウスでの“農薬散布”が、最も辛かったと語る。大きなハウスの中で半日かけて、毒性の高い農薬を噴射して何度も往復するという。その真意について、杉さんはこう述べていた。 《肥料と農薬で大量生産されたうちのバラはぶくぶくして、“モノ”みたいでした。どっかの酔っぱらいのおじさんが、どっかのスナックのおネエさんに、かすみ草で水増ししてプレゼントするんだろうなあ、と思うとやりきれなかったですね。このバラに食わせてもらっておいて、バチ当たりモンなのですが……》 (『ku:nel』2005.3.1号より引用)  その後、花のデザインコンペで数々の賞をとり、仕事が殺到。花の教室を開けば、生徒が100人以上に増えたという。そうした矢継ぎ早の仕事で稼いだものの、杉さんは、心身を消耗して自律神経失調症になってしまったのだった。  それからヨーロッパに行き、造園について学ぶ。とある伯爵の、邸宅の庭に咲いていた野バラに、胸が

イエトミのおばちゃんのお好み焼き

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【かつてそこは駄菓子屋であった。そこにおばちゃんが立っていた】  17年前の2003年に書き記した当ブログの 「駄菓子屋」 という文章。個人的にあまりにも懐かしい事柄として、読み返してみたのだった。  それは昔、母校の市立小学校(私は1985年に卒業)の裏門のちょうど反対側に、“イエトミ”(家富)というこぢんまりとした駄菓子屋があって、少々の生活用品などの雑貨も売られていながら、 《白髪交じりのしわだらけの、べっこう飴をやや煮詰めすぎたような顔色》 のおばさんが、駄菓子を買いに来る子どもらを相手に、ほとんど“儲け無し”の切り盛りをしていて、私が小学生の時分には、よくその店に出入りし、お菓子を買ったり、お好み焼きを焼いて食べたり――という話。  忘れかけていた記憶が、何かの拍子にふと思い出されるものである。その 「駄菓子屋」 の文章では、“駄菓子屋のおばさん”と、少々畏まって書いていた。しかしながら、腑に落ちない。不思議なもので、今となっては、主人であったあの人を“おばさん”と呼ぶ気がしないのであった。そういう畏まった感覚が、自分の中から薄らいでいき、今や、完全に消えて無くなって、あの人を“イエトミのおばちゃん”と呼ぶほかは、ないのである。“おばさん”から“おばちゃん”へ。そうした感覚の心情的変遷等々――。紛れもなく、自分の加齢のせいなのだが、随分と昔の話になってしまった。 §  あれを書いた時、私はまだ、30代になったばかりの頃であった。小学校時代の記憶など、たかだか20年も遡る必要がなかったのだ。まだその頃の皮膚感覚では、小学校時代の同級生とたまに会っていた――ということが、たかだか5年前に遡る程度だったこともあって、いわゆる少年時代から引き摺る多少の「リアル感」は、まだ健在だったのである。  よもや、あろうことか、あれからあっけなく長い歳月が流れた――。今となっては、小学校時代の同級生と会う機会など、まったく無いわけで、記憶自体もめっぽう摩滅してしまっている。少年時代から引き摺る「リアル感」などというものは、とうに空っぽになり、何もかもそのディテールを喪失してしまっているのだった。  冷静に考えてみれば、私が小学校を卒業したのは、もう35年も前のことになるのだ。今の生活の中に、あの頃の人的物理的やらを引き摺っている

茶目っ気たっぷり午後の紅茶の安息日

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【「イングリッシュブレックファースト」のなんとも言えない美しい紅色】  休日に温かいアフタヌーン・ティーが飲みたくなって、買っておいたアーマッドティーの「イングリッシュブレックファースト」(AHMAD TEA English Breakfast)を、手持ちのミルク・ボウルに注いで飲んだわけである(前稿の 「紅茶と雑貨の微妙な関係」 参照)。ミルク・ボウルのそこには、高貴で淑やかな茶葉が、煌めくことなく沈殿して佇んでいた。それはまるで、夕刻のステーションにて時間になってもやって来ない彼氏を待ち焦がれている、ぢりぢりとした心持ちの貴婦人のごとく、沈みきった様子に似た風情で――。  なんと、麗しき液体の底に茶葉が沈殿しているとは、何事であるか。本来ならば、程よく温められた茶をポットから注ぐ際、ティー・ストレーナー(茶漉し)を当てるべきであり、注がれたカップでは麗しき液体のみを満喫すべきである。でなければ、客人に対して無礼であり無作法である。そうしたことは心得ておくことが必要であるが、これはあくまで自分だけが愉しむアフタヌーン・ティーの、言わば無作法によるエロティックな雑味に過ぎない。  しかしながら一方、インドのチャイ(Chai)は、ホーロー鍋などを使って紅茶の茶葉をじかに牛乳で煮出しし、シナモンを添えたりする。雑然とした製法ではある。それであっても、ティー・ストレーナーで茶葉を漉すのが望ましいわけで、茶葉が器の底に多く沈殿して残る様相というのは、もてなす側の所作として無頼の《外道》であり、招いた客に出せる代物ではない。何故これがエロティックかというと、まるでその様相が、湯船の中でゆらゆらと佇むピュービック・ヘア(性毛)に似ているからで、やはりそう考えても客人にもてなす茶ではないのである(「イングリッシュブレックファースト」の茶葉ではなかなかそうならないが)。むろん、これは、人文学に寛容なる開高健氏や大江健三郎氏、サルトルなら理解していただけるであろう、実存主義的萌芽の余話なのであった。 § 【これがアーマッドティー「イングリッシュブレックファースト」の美装箱】  さらにそのアフタヌーン・ティーが賢明なる清楚なティーカップに注がれたのではなく、ミルク・ボウルに注がれたとなっては、呆れてものが言えない、いったい何事であるか――