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プディング妄想そしてプリン三昧

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芸能人の不倫ほど、食えないものはない。見苦しく、おぞましく、その非難の惨状を取り繕うのに必死な当事者は、家庭人としての体裁と社会への扉があっけなく閉じられようとする瞬間に、己の貧相と終始向き合わざるを得なくなる。  そうした人間の醜さゆえに不倫という。またそれが、仰々しくも侘びの沙汰――出会ってしまったが為の逃れられぬ恋慕――の身の上に生じた不倫であれば、どこか文学的で暗がりの野良猫の徘徊にも似た悲哀が感じられ、人間は所詮善人ではなく、そうした愚かな過誤を一生のうちにふと一度か二度、犯しかねないものである――という諸説入り乱れる含蓄と啓蒙に富んだ、近世の西洋人の警句のたぐいを思い返したりして、例えばまた、そういう調子の映画(堀川弘通監督の映画『黒い画集 あるサラリーマンの証言』)を観たりして、人生の破滅的な断罪やら教訓を反面教師的に心に打ち付けることができるのだけれど、その不倫の現場が――とあるビルディングの地下駐車場の“多目的トイレ”となると――あまりに異様な、とても文学的と称するわけにはいかなくなるのである。
 ここでいう文学とは、純文学のことである。つまり、“多目的”=multi-purposeの意味を履き違えた異形の不倫というよりは、単にお互いが、“もよおして遊ぶ”キュートなフェティシズムの乱遊に興じていたに過ぎなかったのではなかったか。この性癖には、近世のインテリジェンスな西洋人も、言葉を失って頭を抱えてしまうであろう。
 不倫。あちらこちらの小学生がついつい、学校でこんな不謹慎な話題を持ち出しかねなかった。「あのさ、多目的トイレでフリンって、結局、トイレで何すんの?」――。彼らは思春期の余りある好奇心をたえずくすぐられている。性欲の快楽に関する疑問に、半ば騒然とする心持ちを抑えつつも、おもむろに図書室へ行って、厳かに古びた国語辞書を手に取るに違いないのであった。また知性ある女子は、そんな男子の興味本位な話題にはつゆほども関心を示さないふりをしつつ、家に帰ってから、その漠然としたモヤモヤ感を払拭しなければならなかった。その最適な所作として、自身の勉強机の隅に置かれた国語辞書(誕生日に買ってもらったりしたことを思い出しつつ)を、開くであろう。――フリン。そこにははっきりとこう記されているのだ。 《既婚者が、別の相手と性的関係を結ぶこと。【類】密通・姦通・…

『洋酒天国』―ジャズと日劇〈2〉

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壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第58号は、昭和38年7月発行。熱っぽくルイ・アームストロングのジャズの話で盛り上がった前回からの続き。今回は日劇――。昭和の時代に一世を風靡した日劇ミュージックホールの話題に入るのだけれど、その前に、第58号に掲載された山本周五郎のエッセイ「ブドー酒・哲学・アイスクリーム」について少し触れておきたい。
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 昭和35年頃より壽屋(寿屋)の宣伝部は、本業があまりにも多忙となっていた。“ヨーテン”自体は低迷していたため、ある種のテコ入れをおこなったのである。第51号からは少し大きいサイズのA5判とし、読み物のページを増やした。しかしこれも結局、営業部の要望で「バーで人気のあった」という“元のサイズ”=B6判に戻したり、この間、作家の山川方夫を編集顧問に招いたり、昭和36年には東京の宣伝部で新卒採用を決行し、若い新人を入れて人員を確保――といった具合に積極的な戦略に打って出ていたのだ。  昭和38年には、新規のビール事業も展開。社名を「サントリー株式会社」と変更。そうした大々的で慌ただしい社内において、“ヨーテン”編集部では、さらに気勢を上げる策として、当時売れっ子の作家であった山本周五郎にエッセイを書いてもらおうと企図する。見事にそれが具現化したのが、第58号の「ブドー酒・哲学・アイスクリーム」だったわけである。この経緯については、小玉武著『「洋酒天国」とその時代』(ちくま文庫)が詳しい。
 山本周五郎の時代小説で代表的な作品と言えば、まあ、それこそいろいろあってなかなか絞るのが難しい。敢えて挙げるならば、『五瓣の椿』とか『さぶ』であろうか。『さぶ』は、この年昭和38年に雑誌『週刊朝日』に連載され、すぐに新刊本となった小説である。山本周五郎と聞くと、個人的には、黒澤明監督の2つの映画の原作である『赤ひげ診療譚』と『季節のない街』の小説の方が、すぐに思い当たる。
 エッセイ「ブドー酒・哲学・アイスクリーム」の全体的な文脈は、当時(昭和30年代後半)、国内ではまだワインを飲むという習慣が一般大衆には広まっていなかった(喩えて言うなれば、壽屋の「赤玉ポートワイン」は甘口で愛嬌があるが、本場のワインはそれに比べなんとも辛口で毛嫌いする人が多かった)ことが背景にあり、そもそも舶来の酒は輸入がまだ困難な時代…

『洋酒天国』―ジャズと日劇〈1〉

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この頃はスコッチのブレンデッドの「CLAYMORE」(クレイモア)をちびちび飲んでいたりするのだが、これがなかなか濃くて美味い。雑然とした日常の煩悩を一気に忘れさせてくれるような親身なスコッチである。決してこの「CLAYMORE」は、八木教広氏の漫画ではないことは述べておく。とは言え、そろそろ角瓶がまた飲みたくなってきた。オールドもいいだろう。国産のサントリーが恋しい夏がやって来た。
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 ムンムンとした真夏をむかえる時期に相応しい表紙である。壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第58号は、昭和38年7月発行。おそらく海の水面であろう其処に、黒色の海苔? ではない水着が、ぽつりと浮かんでいる。実は裏表紙も同じ水面で、其処には女性用の黄色い水着と、トリス(エクストラ)の瓶がぷかぷかと浮いているのだった。この表紙の“水面の写真”は、薄久夫氏の作である。サントリーの宣伝部における広告写真の仕事で知られた名カメラマンである。
 昭和38年(1963年)の世相は、なかなか戦後史の一幕として重たい。米ソの冷戦下、中国とソ連の対立が激化したのはこの頃で、ソ連では、世界初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんをボストーク宇宙船のロケットに乗せて打ち上げたことで話題になった。アメリカでは、8月にワシントンで、人種差別撤廃の大規模なデモがあり、11月にケネディ大統領が暗殺されて世界中が騒然となり、12月には韓国で朴正煕氏が大統領に就任した。国内では、NHKのテレビ番組『夢であいましょう』で梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(永六輔作詞・中村八大作曲)が大ヒットブレイク。たいへん優雅で伸びやかな楽曲であるけれど、どこかしら暗い世相に反映されているせいか、家庭での月並みな幸せや営みを人々が切なく望む――そんな歌のようにも感じられる。
 この号は、いいだ・もも氏の「モンタージュ世相史(1)文明開化」という少々古風で含蓄ある随筆で始まっている。しかしながら、表紙見開きにある“サッチモ”(ルイ・アームストロング、Louis Armstrong)と記された短い詩のインパクトがあまりにも強烈で、いいだ・もも氏の随筆が割を食ってしまっているのだった。その詩は、《冷い空っぽのベッド 鉛のように固い寝床 おれの罪はただひとつ 皮膚の黒いこと ブラック・アンド・ブルー…

美と褪色の豊饒―トニ・メネグッツォの写真

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その写真集の最後のページにある出版社データを見ると、発行元はトレヴィルで、発売元はリブロポートとなっている。初版は1991年2月14日で、第2刷発行は1993年6月20日。トレヴィル、リブロポートと聞くと、輸入海外写真集の総元締めのように思われ、個人的には身構えて条件反射してしまうのだった。かつての若気の至りである。  若気の至りであっても、決して手にすることができなかった写真集の数々が、トレヴィルでありリブロポートであった。いま私は、イタリアの写真家トニ・メネグッツォ(Toni Meneguzzo)の写真集『セデュツィオーネ』(“SEDUZIONE”)を眺めている。これはたいへん美しい、浮世離れしたファイン・アートである。それぞれのカットがどこのスタジオで撮られたかは明記されていないが、『VOGUE』などのファッション雑誌関連で撮影された作品を掻き集めて構成したものと思われ、企画・監修者は高橋周平氏であり、国内の写真集である。ちなみに、“セデュツィオーネ”とは、イタリア語において「誘惑」とか「魅力」の意に当たるらしい。
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 既に2016年の9月、当ブログ「写真集『nude of J.』」でトニ・メネグッツォについて触れている。《『nude of J.』は、1991年朝日出版社から出版された、五味彬氏とイタリアの写真家トニ・メネグッツォによる共同写真集であり、監修は高橋周平氏という体裁をとっている。五味氏はここでYELLOWSシリーズと同様のスタイルを貫いた。トニ・メネグッツォはポラロイドカメラを使って日本人女性のイメージを独自に演出した写真を撮っており、その対比の妙が実に素晴らしく、国内のヌード写真集史に残る傑作だと思われる》。  今回私は初めて、トニ・メネグッツォの単独の写真集を眺めることができた。本の結びのページには、高橋周平氏が書き下ろした解説(「永遠のセデュツィオーネ」)が添えられていて、トニ・メネグッツォの写真は《古典的な絵画作品》のように見えること、彼は1949年にイタリアのヴェネチアに生まれ、経済学を専攻、卒業して独学で建築写真を撮り始め、26歳くらいからファッション写真に取り組み始めたことなどを挙げ、彼の写真のイメージは《中世のフレスコ画を想わせる伝統的な色彩を用いているという指摘》があることにも言及している。トニ・メネグッツォが使用してい…

世界の縁側―WWWの茫々たる世界

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語りませう――。あの頃、ミッチェル・フルームとエンジニアのチャド・ブレイクが縁故深いスザンヌ・ヴェガの新作アルバム『欲望の9つの対象』(“Nine Objects Of Desire”)を手掛けたというので猛烈に聴きたかったし、少年ナイフっていったいどんなの? とか、ごく有り体に槇原敬之に関心を持っていたりとか、TASCAMのDA-88がレコーディング業界を席巻していたこと、重さ約10kgの筐体のAKAIのサンプラーCD3000XLに憧れていたり、ジョージ・マイケルのプロダクト・チームがOTARIのRadarを使っているのに随分と関心を持ったり、さらに述べれば、808ステイトのグラハム・マッセイが、自身で所有していたCASIO FZ-1を以前手放してしまっていたからもう一度所有したい、誰か売ってくれえ――というすべてがマンガ的な世界観で満ち溢れていた20代半ばのその《夢》と真逆の《現実》とを往来していた生活が、ラヴロマンスのように儚く、無性に懐かしい。  つまり、金は無いのであった。だから、スザンヌ・ヴェガが新作の中でどのようなふるまいをしていたかはまったくもって想像するしかなかったし、OTARIのRadarで作り上げたジョージ・マイケルの『オールダー』(“Older”)を聴くことができたのは、もっと先の後年になってからであった。ちなみに、808ステイトを脱退したマーティン・プライスの悲喜劇あたりのことは、脳内のどこをつついても思い出すことはできないけれど、もしかすると20歳になるかならないかの時に、実は小耳に挟んでいたことだった――のかも知れなかった。
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 リットーミュージックの月刊誌『Sound & Recording Magazine』の1996年9月号では、音楽プロデューサーの尾島由郎氏が連載していたコラム「世界の縁側」の第7回目にあたり(当ブログ「世界の縁側―幻のNetsound」参照)、WWW上のあるサイトを、ゆるゆると紹介していたわけである。第7回のタイトルは「Music for World-Wide-Web」。そのサイトで当時入手できたとされるアプリに、今頃になってようやく、私の関心が鋭敏に及んだ――。  ちなみにこの時、尾島氏がWWWの“回遊”に使用したのは、ネットスケープコミュニケーションズのブラウザNetscape Naviga…