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6月, 2020の投稿を表示しています

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消えゆく写真

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【FUJIFILM X-T3で試し撮り。被写体はLEICA IIIc】  元日の午後、手持ちのカメラ(FUJIFILM X-T3、レンズはFUJINON XF18-55mm F2.8-4.0 R LM OIS)でアンティークと化したLEICA IIIc(レンズはCanon SERENAR 50mm F1.9)を被写体に試し撮りをおこなった。ここ数日間続いた日本海側の寒波の煽りで、関東地方は異常なほど冷え込み、ただただ日光が神々しく、温かく、優しさをも醸し出しているかのようで、直接光と間接光に包まれたアンティークの被写体は何か、その機械的な佇まいの中に、微睡んでいるようにも見えた。  しかし一方で、いずれ消えゆくかも知れないアンティークの宿命の儚さもまた、写真という風雅の物悲しさを表している。《所有》とは、実に悲しげな行為なのである。ともあれ、個人的なクラシック・カメラの思い出は尽きることがない。私の記憶は、およそ20年前のウェブへといざなわれる――。 ➤写真とカメラを教示したmas氏  20年前のインターネットがきわめて遠い事象となりつつある、コロナ禍を経た時代の流れ。世相流行の移ろいはともかく、社会生活全般の隔世を感じるのは、私だけであろうか。今こうしてブログに文章を書いていることも、自身のウェブサイトをいくつか構築し、音楽や映像や写真などのポートフォリオを細々と展開しているのも、およそ20年前より私淑していた、mas氏のウェブサイトをお手本にしたものなのである。インターネットとのかかわり方、その作法や流儀について、詫び寂の何たるかまでも教示されたように思える。  20年前、彼に倣ってクラシック・カメラ遍歴(別の鋭い言い方では「クラシック・カメラ・ウイルス」とも言う)にどっぷりと浸かり、写真とカメラによる悦楽の日々を送っていたあの頃が、ひどく懐かしい。  mas氏に関しては、昨年の 「思い出のmas氏―池袋のお馬さん」 やそれ以前に多くテクストを書き連ねているので、ここでは詳しく書かない。  今はネット上に現存していない、彼の旧ウェブサイト[mas camera classica]では、洒脱な文章でカメラや写真についてとくと語られていて、その内容に私も感心したのだった。一部をコピーしてテクストファイルとして記録していたのもとうに忘れ、それをPCのハードディスク内か

『洋酒天国』―ジャズと日劇〈2〉

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【在りし日の日劇の姿。『洋酒天国』第58号より】  壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第58号は、昭和38年7月発行。熱っぽくルイ・アームストロングのジャズの話で盛り上がった 前回 からの続き。今回は日劇――。昭和の時代に一世を風靡した日劇ミュージックホールの話題に入るのだけれど、その前に、第58号に掲載された山本周五郎のエッセイ「ブドー酒・哲学・アイスクリーム」について少し触れておきたい。 §  昭和35年頃より壽屋(寿屋)の宣伝部は、本業があまりにも多忙となっていた。“ヨーテン”自体は低迷していたため、ある種のテコ入れをおこなったのである。 第51号 からは少し大きいサイズのA5判とし、読み物のページを増やした。しかしこれも結局、営業部の要望で「バーで人気のあった」という“元のサイズ”=B6判に戻したり、この間、作家の山川方夫を編集顧問に招いたり、昭和36年には東京の宣伝部で新卒採用を決行し、若い新人を入れて人員を確保――といった具合に積極的な戦略に打って出ていたのだ。  昭和38年には、新規のビール事業も展開。社名を「サントリー株式会社」と変更。そうした大々的で慌ただしい社内において、“ヨーテン”編集部では、さらに気勢を上げる策として、当時売れっ子の作家であった山本周五郎にエッセイを書いてもらおうと企図する。見事にそれが具現化したのが、第58号の「ブドー酒・哲学・アイスクリーム」だったわけである。この経緯については、小玉武著『「洋酒天国」とその時代』(ちくま文庫)が詳しい。  山本周五郎の時代小説で代表的な作品と言えば、まあ、それこそいろいろあってなかなか絞るのが難しい。敢えて挙げるならば、『五瓣の椿』とか『さぶ』であろうか。『さぶ』は、この年昭和38年に雑誌『週刊朝日』に連載され、すぐに新刊本となった小説である。山本周五郎と聞くと、個人的には、黒澤明監督の2つの映画の原作である『赤ひげ診療譚』と『季節のない街』の小説の方が、すぐに思い当たる。 【「ミス洋天58号」モデルはあおい・みよさん】  エッセイ「ブドー酒・哲学・アイスクリーム」の全体的な文脈は、当時(昭和30年代後半)、国内ではまだワインを飲むという習慣が一般大衆には広まっていなかった(喩えて言うなれば、壽屋の「

『洋酒天国』―ジャズと日劇〈1〉

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【まったく入手するのに困難を極めた『洋酒天国』第58号】  この頃はスコッチのブレンデッドの「CLAYMORE」(クレイモア)をちびちび飲んでいたりするのだが、これがなかなか濃くて美味い。雑然とした日常の煩悩を一気に忘れさせてくれるような親身なスコッチである。決してこの「CLAYMORE」は、八木教広氏の漫画ではないことは述べておく。とは言え、そろそろ角瓶がまた飲みたくなってきた。オールドもいいだろう。国産のサントリーが恋しい夏がやって来た。 §  ムンムンとした真夏をむかえる時期に相応しい表紙である。壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第58号は、昭和38年7月発行。おそらく海の水面であろう其処に、黒色の海苔? ではない水着が、ぽつりと浮かんでいる。実は裏表紙も同じ水面で、其処には女性用の黄色い水着と、トリス(エクストラ)の瓶がぷかぷかと浮いているのだった。この表紙の“水面の写真”は、薄久夫氏の作である。サントリーの宣伝部における広告写真の仕事で知られた名カメラマンである。  昭和38年(1963年)の世相は、なかなか戦後史の一幕として重たい。米ソの冷戦下、中国とソ連の対立が激化したのはこの頃で、ソ連では、世界初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんをボストーク宇宙船のロケットに乗せて打ち上げたことで話題になった。アメリカでは、8月にワシントンで、人種差別撤廃の大規模なデモがあり、11月にケネディ大統領が暗殺されて世界中が騒然となり、12月には韓国で朴正煕氏が大統領に就任した。国内では、NHKのテレビ番組『夢であいましょう』で梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(永六輔作詞・中村八大作曲)が大ヒットブレイク。たいへん優雅で伸びやかな楽曲であるけれど、どこかしら暗い世相に反映されているせいか、家庭での月並みな幸せや営みを人々が切なく望む――そんな歌のようにも感じられる。  この号は、いいだもも氏の「モンタージュ世相史(1)文明開化」という少々古風で含蓄ある随筆で始まっている。しかしながら、表紙見開きにある“サッチモ”(ルイ・アームストロング、Louis Armstrong)と記された短い詩のインパクトがあまりにも強烈で、いいだ・もも氏の随筆が割を食ってしまっているのだった。その詩は、 《冷い

美と褪色の豊饒―トニ・メネグッツォの写真

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【トニ・メネグッツォの写真集『セデュツィオーネ』】  その写真集の最後のページにある出版社データを見ると、発行元はトレヴィルで、発売元はリブロポートとなっている。初版は1991年2月14日で、第2刷発行は1993年6月20日。トレヴィル、リブロポートと聞くと、輸入海外写真集の総元締めのように思われ、個人的には身構えて条件反射してしまうのだった。かつての若気の至りである。  若気の至りであっても、決して手にすることができなかった写真集の数々が、トレヴィルでありリブロポートであった。いま私は、イタリアの写真家トニ・メネグッツォ(Toni Meneguzzo)の写真集『セデュツィオーネ』(“SEDUZIONE”)を眺めている。これはたいへん美しい、浮世離れしたファイン・アートである。それぞれのカットがどこのスタジオで撮られたかは明記されていないが、『VOGUE』などのファッション雑誌関連で撮影された作品を掻き集めて構成したものと思われ、企画・監修者は高橋周平氏であり、国内の写真集である。ちなみに、“セデュツィオーネ”とは、イタリア語において「誘惑」とか「魅力」の意に当たるらしい。 § 【褪色による効果で身体が映えて見える】  既に2016年の9月、当ブログ 「写真集『nude of J.』」 でトニ・メネグッツォについて触れている。 《『nude of J.』は、1991年朝日出版社から出版された、五味彬氏とイタリアの写真家トニ・メネグッツォによる共同写真集であり、監修は高橋周平氏という体裁をとっている。五味氏はここでYELLOWSシリーズと同様のスタイルを貫いた。トニ・メネグッツォはポラロイドカメラを使って日本人女性のイメージを独自に演出した写真を撮っており、その対比の妙が実に素晴らしく、国内のヌード写真集史に残る傑作だと思われる》 。  今回私は初めて、トニ・メネグッツォの単独の写真集を眺めることができた。本の結びのページには、高橋周平氏が書き下ろした解説(「永遠のセデュツィオーネ」)が添えられていて、トニ・メネグッツォの写真は 《古典的な絵画作品》 のように見えること、彼は1949年にイタリアのヴェネチアに生まれ、経済学を専攻、卒業して独学で建築写真を撮り始め、26歳くらいからファッション写真に取り組み始めたことなどを挙げ

世界の縁側―WWWの茫々たる世界

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【尾島由郎氏の連載コラム「世界の縁側」】  語りませう――。あの頃、ミッチェル・フルームとエンジニアのチャド・ブレイクが縁故深いスザンヌ・ヴェガの新作アルバム『欲望の9つの対象』(“Nine Objects Of Desire”)を手掛けたというので猛烈に聴きたかったし、少年ナイフっていったいどんなの? とか、ごく有り体に槇原敬之に関心を持っていたりとか、TASCAMのDA-88がレコーディング業界を席巻していたこと、重さ約10kgの筐体のAKAIのサンプラーCD3000XLに憧れていたり、ジョージ・マイケルのプロダクト・チームがOTARIのRadarを使っているのに随分と関心を持ったり、さらに述べれば、808ステイトのグラハム・マッセイが、自身で所有していたCASIO FZ-1を以前手放してしまっていたからもう一度所有したい、誰か売ってくれえ――というすべてがマンガ的な世界観で満ち溢れていた20代半ばのその《夢》と真逆の《現実》とを往来していた生活が、ラヴロマンスのように儚く、無性に懐かしい。  つまり、金は無いのであった。だから、スザンヌ・ヴェガが新作の中でどのようなふるまいをしていたかはまったくもって想像するしかなかったし、OTARIのRadarで作り上げたジョージ・マイケルの『オールダー』(“Older”)を聴くことができたのは、もっと先の後年になってからであった。ちなみに、808ステイトを脱退したマーティン・プライスの悲喜劇あたりのことは、脳内のどこをつついても思い出すことはできないけれど、もしかすると20歳になるかならないかの時に、実は小耳に挟んでいたことだった――のかも知れなかった。 §  リットーミュージックの月刊誌『Sound & Recording Magazine』の1996年9月号では、音楽プロデューサーの尾島由郎氏が連載していたコラム「世界の縁側」の第7回目にあたり(当ブログ 「世界の縁側―幻のNetsound」 参照)、WWW上のあるサイトを、ゆるゆると紹介していたわけである。第7回のタイトルは「Music for World-Wide-Web」。そのサイトで当時入手できたとされるアプリに、今頃になってようやく、私の関心が鋭敏に及んだ――。  ちなみにこの時、尾島氏がWWWの“回遊”に使用したの

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