投稿

9月, 2020の投稿を表示しています

☞最新の投稿

アイリッシュ・ウイスキーとジョイスの話

イメージ
【世界最古の蒸留所が誇るアイリッシュ・ウイスキー「キルベガン」】  朝日新聞が毎月第1日曜日に発行する特別紙面[朝日新聞グローブ](GLOBE)のNo.245は、興味深いウイスキー特集だった。その紙面のトップページにあった写真に、思わず私は眼を奪われたのだ。それは、ウイスキー・グラスに注がれた琥珀色の液体が、揚々たる深い海と化し、そこに突き出た南極大陸の氷山を思わせる氷の塊の、なんとも美しい風景――。  この世に存在する桃源郷とは、そのようなものなのだろうか。写真の下に、それとなく村上春樹氏の言葉が添えられていた。 《あらゆる酒の中ではウィスキーのオン・ザ・ロックが視覚的にいちばん美しい》 (『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』新潮文庫)。  私はしたたかにこのウイスキー特集を読んでから、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の本を開いた。ウイスキーのオン・ザ・ロックがこの世で最も美しい酒の姿であるとするならば、ジョイスの小説は、男にとっても女にとっても、破廉恥で最も穢らわしい毛皮をはいだ自己の内面の姿を、目の前の鏡の中に見出す瞬間を与えてくれるものであり、その傍らに寄り添うウイスキーは、みすぼらしい本当の《私自身》と“親しい友”でいてくれる、最良の飲み物なのである。  ゆえに私は、心からウイスキーを愛している。 【[朝日新聞グローブ]No.245「ウイスキーの時間」】 ➤GLOBEの「ウイスキーの時間」  特別紙面のウイスキー特集のメインテーマは、「ウイスキーの時間」。コロナ禍で「家飲み」が増えたという。どの国においても、家族や友人知人と共にバーやレストランなどで酒を飲み交わす機会が減ったというわけだ。そんなご時世でも尚、ウイスキーは世界的なブームだそうである。むしろビールやワインとは違い、ウイスキーはもともと孤独を愛する人々が嗜む酒の代名詞であったから、「家飲み」の需要が底上げしたのかも知れない。  とは言いつつも、ウイスキーは近頃、ハイボールという飲み方でもたいへん愛されてきているから、女性が好んで“軽くウイスキーを飲む”という機会が増えているせいなのだろう。  紙面全体の内容を大雑把に要約すれば、スコッチの生まれ故郷以外の国でも――勿論日本も含まれる――新しいウイスキーが次々と誕生しているという。  ここでいう新しいウイスキーとは、伝

『洋酒天国』―全号踏破とサイエンス・フィクション

イメージ
【『洋酒天国』第61号】   前号 に引き続き、今回は第61号。振り返れば、当ブログの2011年7月に初めて『洋酒天国』を紹介した( 「開高健と『洋酒天国』」 )のを思い出す。それより数年前から個人的にこの雑誌を蒐集していて、当時は25冊ほど手元にあったかと思われる。まさかそれから、9年の歳月を経て全号( 第1号 から第61号まで、 合併号 が1冊あるので全60冊)を入手し、ブログですべて紹介しきるとは、まったく想像していなかった。まことに珍奇なことである。  途中、何度も蒐集をあきらめ、全てを掻き集めることは到底不可能――とも思われた。昭和の古い時代の稀覯本であるがゆえ、入手は困難を極めた。その度に、温厚な個人蒐集家の方々の協力に救われた。  こんなこともあった。それは数年前のことだが、「全号を所有している」というご高齢の男性の方とメールでやりとりをしたのである。何部かお譲りいただけないだろうか、と私は図々しく懇願してしまったのだけれど、その方からこういう返信があった。いや、本当に申し訳ないのだが、私にとってこの雑誌には若い頃の懐かしい想い出が詰まっています。どうかお察し下さい――。  『洋酒天国』は昭和を生き、今も生き続けている“珍本・豆本”に違いないのである。本日は、昭和31年4月の 第1号 から39年2月の第61号まで、およそ8年間駆け抜けた伝説の雑誌の、フィナーレである。 §  壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第61号は昭和39年2月発行。昭和39年(1964年)と言えば、何と言っても東京オリンピックである。この年の上半期は、オリンピックに向けて準備に追われた各業界のせわしさが印象的だ。  開会式は10月10日。それに合わせ、この年は様々な形で新しいものが誕生した。関連した事柄をおおまかに列挙してみる。  国鉄の列車指定席の予約システムがコンピュータ化(マルス101)。国産の半導体式電卓(早川電機工業のCS-10A)が世界で初めて発売。日本人の海外への観光渡航が自由化。山梨県で富士スバルライン(富士山有料道路)開通。東京・羽田に羽田東急ホテル開業。営団地下鉄日比谷線開業。ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル開業。気象庁の富士山レーダー完成。東京モノレール開業。神奈川県川崎市によみうりランド開園。大阪市営地下鉄御堂筋線

酒とギャンブルと『洋酒天国』

イメージ
【『洋酒天国』第60号】  酒とギャンブルと…というのはタイトルとしてちとよろしくない。なにか卑俗的で真面目さに欠け、紳士的でないと受け取られる。酒に溺れギャンブルに溺れ、放蕩三昧の挙げ句、一家離散、空しい人生――常に人は想像を暗い方へ、極端な方へ持っていく。  壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第60号は昭和38年12月発行。写真は薄久夫、カットは河野俊二、深堀哲夫、桝仲律、松永謙一。表紙のコラージュ・カットにある力強い“両目”が、どことなく俳優・柳楽優弥さんの目に似ているのは気のせいか。いや、気のせいに決まっている。それはそうと今号は、酒の話を少し控えめに、“ギャンブル特集号”なのである。ああ、なるほど、それで――。  ギャンブルなんて、昭和時代のいかがわしさの象徴――と思うのは、ちと短絡。“ヨーテン”はそんな単純な雑誌ではない。言うなれば、放蕩ではなく高等な書物なのである。正面からギャンブルを思考し、対峙し、今号はきわめて真面目なのだ。いや、お色気ありだから、そうでもないか――。とにかくギャンブル礼讃という視点から鵜の目鷹の目で見つめてみようという魂胆で、何かしら人生訓の参謀書となるかも知れないから、そのおつもりで。 §  昭和38年(1963年)の世相については、 前号(第59号) と同様、その前の 第58号「『洋酒天国』―ジャズと日劇〈1〉」 に記してあるので、そちらを参照していただきたい。今号の表紙を開くと、そこには以下のような鮮やかな警句が付されており、一気に“ヨーテン”らしさを満喫することができる。 《男と生まれてギャンブルをしないひとがいます。偶然を軽蔑するのです。すべて必然の鉄の鐶の中でしか考えない奴です。人生は無限に長いと信じているひとです。理解し難い存在です。無味乾燥氏です。アホーです。そういうひとのために、この『洋酒天国』をつくりました!》 (『洋酒天国』第60号より引用) 【いいだもも氏の「モンタージュ世相史(3)」】   第58号 から連載が始まった“少々古風で含蓄ある随筆”、作家で評論家のいいだもも氏の「モンタージュ世相史(3)」は、ギャンブラーとは無縁の境地なりといった感じで、こちらも違う意味で鮮烈。連載の 初回 では文明開化の世相で大いに辛口な皮肉が充満していたが、数えて3回目となる今回は、大正デ

サドと女と『洋酒天国』

イメージ
【『洋酒天国』第59号】  2ヵ月ぶりにご無沙汰いたしておりました、“ヨーテン”の登場です♡。この本の全号入手がめでたく叶い、およそ9年かけて、このシリーズを不定期で紹介してまいりましたが、紹介するのは残すところ、もうあと3冊(59号、60号、最終号の61号)となりました♡。今回は59号。それから残る2冊も不定期投稿とはなりますが、最後の最後まで、どうかごゆっくりお愉しみ下さいませ♡。 §  壽屋(現サントリーホールディングス)PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第59号は、昭和38年9月発行。写真は福井鉄也、薄久夫。カットは深堀哲夫、松永謙一。この年の世相については、 前号(第58号) と被るので割愛する。   前号 では、ルイ・アームストロングの“ブラック・アンド・ブルー”を紹介しておきながら、この年の8月28日、アメリカのワシントンでおこなわれた、人種差別撤廃の大規模なデモ、いわゆる「ワシントン大行進」(March on Washington for Jobs and Freedom)についてあまり触れることができなかったのが少し残念。といっても今回も、特にそれに触れることはできないのだけれど、何かの機会にぜひ「ワシントン大行進」を取り上げてみたいと思っている。あの有名な、キング牧師の“I Have a Dream”の演説がワシントン記念塔広場でおこなわれたのが、まさにこの日の大規模デモだったわけだ。著名なアーティストやミュージシャンを含め、約20万人が行進に参加したという。 【いいだもも氏の「モンタージュ世相史(2)」】  さて、第59号。冒頭の随筆は、 前号の第58号 から連載が始まった、作家いいだもも氏の「モンタージュ世相史(2)」。ちなみにその右頁の、真珠の首飾りをして色っぽい女性はどなたなのだろう。 《人は彼女を「淑女」と呼ぶ》 とフレーズが添えられており、謎めいている。ドレスがはだけ、乳房が顕わになったほろ酔い女性が「淑女」――であるのはこれいかに。キャッチーなコピーもさることながら、今の時代、この艶やかな大人のムードは到底出せそうもない。  「モンタージュ世相史(2)」は初回にならってやはり、“少々古風で含蓄ある随筆”なのである。風俗とはそれ自体が政治のパロディだ――といいだ氏は最初に釘を打ち、明治23年の10月に教育勅語を宮中にて賜った文部大臣・芳