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12月, 2020の投稿を表示しています

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消えゆく写真

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【FUJIFILM X-T3で試し撮り。被写体はLEICA IIIc】  元日の午後、手持ちのカメラ(FUJIFILM X-T3、レンズはFUJINON XF18-55mm F2.8-4.0 R LM OIS)でアンティークと化したLEICA IIIc(レンズはCanon SERENAR 50mm F1.9)を被写体に試し撮りをおこなった。ここ数日間続いた日本海側の寒波の煽りで、関東地方は異常なほど冷え込み、ただただ日光が神々しく、温かく、優しさをも醸し出しているかのようで、直接光と間接光に包まれたアンティークの被写体は何か、その機械的な佇まいの中に、微睡んでいるようにも見えた。  しかし一方で、いずれ消えゆくかも知れないアンティークの宿命の儚さもまた、写真という風雅の物悲しさを表している。《所有》とは、実に悲しげな行為なのである。ともあれ、個人的なクラシック・カメラの思い出は尽きることがない。私の記憶は、およそ20年前のウェブへといざなわれる――。 ➤写真とカメラを教示したmas氏  20年前のインターネットがきわめて遠い事象となりつつある、コロナ禍を経た時代の流れ。世相流行の移ろいはともかく、社会生活全般の隔世を感じるのは、私だけであろうか。今こうしてブログに文章を書いていることも、自身のウェブサイトをいくつか構築し、音楽や映像や写真などのポートフォリオを細々と展開しているのも、およそ20年前より私淑していた、mas氏のウェブサイトをお手本にしたものなのである。インターネットとのかかわり方、その作法や流儀について、詫び寂の何たるかまでも教示されたように思える。  20年前、彼に倣ってクラシック・カメラ遍歴(別の鋭い言い方では「クラシック・カメラ・ウイルス」とも言う)にどっぷりと浸かり、写真とカメラによる悦楽の日々を送っていたあの頃が、ひどく懐かしい。  mas氏に関しては、昨年の 「思い出のmas氏―池袋のお馬さん」 やそれ以前に多くテクストを書き連ねているので、ここでは詳しく書かない。  今はネット上に現存していない、彼の旧ウェブサイト[mas camera classica]では、洒脱な文章でカメラや写真についてとくと語られていて、その内容に私も感心したのだった。一部をコピーしてテクストファイルとして記録していたのもとうに忘れ、それをPCのハードディスク内か

ヴイックス・ヴェポラッブの匂い

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【カゼの緩和の軟膏剤であるヴイックス・ヴェポラッブの匂いとは?】  ある匂いと過去の記憶とが潜在的に結び付いている時、その匂いを嗅ぐと、不意に過去の記憶が呼び起こされる――という現象を、「プルースト現象」というらしい。フランスの小説家マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の小説の中で、主人公が、紅茶に浸したマドレーヌの薫りを嗅ぐと幼少期を想い出す――という挿話からつけられた現象とのこと。さらには、香水の匂いを嗅いで、過去の恋人の記憶を想い出してしまう、シンガーソングライターの瑛人さんの曲「香水」の歌詞における主人公の体験も、「プルースト現象」であると、2020年12月22日付朝日新聞朝刊の記事「古い記憶 呼び起こす引き金」で、心理学者・山本晃輔氏の“匂いと記憶”に関する考察を、私は読んだ。  この記事の中で喩えられているある事柄が、はっとなって、私自身の過去の記憶を思い出すきっかけとなったのである。記事にこうある。 《「懐かしい記憶」を引き出す実験でどの匂いを使えばいいか。オランダでは「ヴイックス・ヴェポラッブ」という塗り薬の匂いが最適とされます》 (2020年12月22日付朝日新聞朝刊「古い記憶 呼び起こす引き金」より引用)  嗅覚(sense of smell)によって過去の記憶を呼び起こす実験――。なんともエキセントリックなサイエンスの話であるが、国によって実験に差異があってはならないので、どの匂いを使えばいいかという観点で、オランダでは、「ヴイックス・ヴェポラッブ」が最適なのだという話を、山本氏は指摘する。  “ヴイックス・ヴェポラッブ”と聞いて私は、子供時代のある鮮烈なる記憶を思い出した。それは、その頃テレビで見た、「ヴイックス・ヴェポラッブ」のコマーシャル(厳密に言うとCF。当時はコマーシャル・フィルム)である。幼児がベッド上で露骨に胸元をさらけ出され、母親の指先によってこの塗り薬が塗られていく、短い1ショットなのだが、その1ショットを見た私は、とてつもなくエロティックな感覚を抱いたのであった――。 § 【2020年12月22日付朝日新聞朝刊「古い記憶 呼び起こす引き金」】  「ヴイックス・ヴェポラッブ」(Vicks VapoRub)は、 《鼻づまり、くしゃみ等のかぜに伴う諸症状の緩和》 の効能・効果のある軟膏剤である。胸や喉、背中にこれを塗ると、

ホイットニーの「ブロークン・ハーツ」

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【8インチシングルのバイナルのホイットニー・ヒューストン「ブロークン・ハーツ」】  コロナ禍で迷走を続けている最中――。そんなこととはまったく無縁だった80年代の、自身の“ありふれた日常”の想い出に、心がときめく。  かつてホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)がビートルズの記録を塗り替え、米ビルボード誌における“7曲連続全米シングルチャート1位”の偉業を打ち立てたシングル「ブロークン・ハーツ」(“Where Do Broken Hearts Go”)のバイナルを手にした頃の話――。それは、私が中学を卒業する前後まもなくの頃。前年の1987年、自室に設置されていた真新しいCDプレーヤーで数え切れないほど、彼女のアルバム『WHITNEY II』(“WHITNEY”)をむさぼり聴いており、そのうちの10曲目の「ブロークン・ハーツ」も既に何度も聴いていた。しかし、春の兆しが見え隠れしていたその時期、敢えて「ブロークン・ハーツ」のバイナルを買うだけの理由が、果たしてあったか――と言えば、あったのである。 §  いま想い出せば、自分自身の中学校での3年間の生活など、実にあっけない淡泊なものであった。  演劇部の部長への仄かな恋心を燃やしていた中学1年の、数ヵ月足らずの“微熱少年”たる出来事(当ブログ 「早熟だったブルージン・ピエロ」 参照)は、その当時3年生であった部長が卒業してしまい、学校から姿が消えて居なくなったことで沈着した。それからの私の2年間というのは、中学生として、あるいは個人の人格として、多くを喪失してしまったことによる空疎な学校生活だったのである。  そう、その2年間、関心のある演技や演劇的なこと、ひたすら夢中になって音楽を聴くことだけが、喪失した人格の唯一の陰影なのであった。したがって、新しい恋などは生まれなかった。生まれようがなかった――。かろうじて救いであったのは、幾人かの友人が私の周囲にいてくれたことであり、生涯このことが感謝の念の対象となっている。むろん、この中に部長の弟のTも含まれている。  落ちた枯れ葉が風のなすままに、ただ道端で地面や地上をさまよっているだけの、力学の法則運動に過ぎなかった中学校生活が終わりを迎え、この幾人かの友人らと離別することと、これからの新たな高校生活への期待と不安の、そうした雑然たる心理状態が交錯し

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