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アイリッシュ・ウイスキーとジョイスの話

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【世界最古の蒸留所が誇るアイリッシュ・ウイスキー「キルベガン」】  朝日新聞が毎月第1日曜日に発行する特別紙面[朝日新聞グローブ](GLOBE)のNo.245は、興味深いウイスキー特集だった。その紙面のトップページにあった写真に、思わず私は眼を奪われたのだ。それは、ウイスキー・グラスに注がれた琥珀色の液体が、揚々たる深い海と化し、そこに突き出た南極大陸の氷山を思わせる氷の塊の、なんとも美しい風景――。  この世に存在する桃源郷とは、そのようなものなのだろうか。写真の下に、それとなく村上春樹氏の言葉が添えられていた。 《あらゆる酒の中ではウィスキーのオン・ザ・ロックが視覚的にいちばん美しい》 (『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』新潮文庫)。  私はしたたかにこのウイスキー特集を読んでから、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の本を開いた。ウイスキーのオン・ザ・ロックがこの世で最も美しい酒の姿であるとするならば、ジョイスの小説は、男にとっても女にとっても、破廉恥で最も穢らわしい毛皮をはいだ自己の内面の姿を、目の前の鏡の中に見出す瞬間を与えてくれるものであり、その傍らに寄り添うウイスキーは、みすぼらしい本当の《私自身》と“親しい友”でいてくれる、最良の飲み物なのである。  ゆえに私は、心からウイスキーを愛している。 【[朝日新聞グローブ]No.245「ウイスキーの時間」】 ➤GLOBEの「ウイスキーの時間」  特別紙面のウイスキー特集のメインテーマは、「ウイスキーの時間」。コロナ禍で「家飲み」が増えたという。どの国においても、家族や友人知人と共にバーやレストランなどで酒を飲み交わす機会が減ったというわけだ。そんなご時世でも尚、ウイスキーは世界的なブームだそうである。むしろビールやワインとは違い、ウイスキーはもともと孤独を愛する人々が嗜む酒の代名詞であったから、「家飲み」の需要が底上げしたのかも知れない。  とは言いつつも、ウイスキーは近頃、ハイボールという飲み方でもたいへん愛されてきているから、女性が好んで“軽くウイスキーを飲む”という機会が増えているせいなのだろう。  紙面全体の内容を大雑把に要約すれば、スコッチの生まれ故郷以外の国でも――勿論日本も含まれる――新しいウイスキーが次々と誕生しているという。  ここでいう新しいウイスキーとは、伝

アイリッシュ・ウイスキーとジョイスの話

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【世界最古の蒸留所が誇るアイリッシュ・ウイスキー「キルベガン」】  朝日新聞が毎月第1日曜日に発行する特別紙面[朝日新聞グローブ](GLOBE)のNo.245は、興味深いウイスキー特集だった。その紙面のトップページにあった写真に、思わず私は眼を奪われたのだ。それは、ウイスキー・グラスに注がれた琥珀色の液体が、揚々たる深い海と化し、そこに突き出た南極大陸の氷山を思わせる氷の塊の、なんとも美しい風景――。  この世に存在する桃源郷とは、そのようなものなのだろうか。写真の下に、それとなく村上春樹氏の言葉が添えられていた。 《あらゆる酒の中ではウィスキーのオン・ザ・ロックが視覚的にいちばん美しい》 (『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』新潮文庫)。  私はしたたかにこのウイスキー特集を読んでから、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の本を開いた。ウイスキーのオン・ザ・ロックがこの世で最も美しい酒の姿であるとするならば、ジョイスの小説は、男にとっても女にとっても、破廉恥で最も穢らわしい毛皮をはいだ自己の内面の姿を、目の前の鏡の中に見出す瞬間を与えてくれるものであり、その傍らに寄り添うウイスキーは、みすぼらしい本当の《私自身》と“親しい友”でいてくれる、最良の飲み物なのである。  ゆえに私は、心からウイスキーを愛している。 【[朝日新聞グローブ]No.245「ウイスキーの時間」】 ➤GLOBEの「ウイスキーの時間」  特別紙面のウイスキー特集のメインテーマは、「ウイスキーの時間」。コロナ禍で「家飲み」が増えたという。どの国においても、家族や友人知人と共にバーやレストランなどで酒を飲み交わす機会が減ったというわけだ。そんなご時世でも尚、ウイスキーは世界的なブームだそうである。むしろビールやワインとは違い、ウイスキーはもともと孤独を愛する人々が嗜む酒の代名詞であったから、「家飲み」の需要が底上げしたのかも知れない。  とは言いつつも、ウイスキーは近頃、ハイボールという飲み方でもたいへん愛されてきているから、女性が好んで“軽くウイスキーを飲む”という機会が増えているせいなのだろう。  紙面全体の内容を大雑把に要約すれば、スコッチの生まれ故郷以外の国でも――勿論日本も含まれる――新しいウイスキーが次々と誕生しているという。  ここでいう新しいウイスキーとは、伝

陳平さんのエロい『ユーモア・センス入門』

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【ついに手にしてしまった野末陳平著『ユーモア・センス入門 学校職場・家庭を笑わそう』】  その頃私は初代タイガーマスク(佐山聡)の大ファンで、新日本プロレスの試合を中継するテレビ番組「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系列)を毎週欠かさず観ていた。初代タイガーマスクがデビューしたのは1981年4月23日であるから、当時私は小学3年生になったばかりの頃ということになる。  その頃の新日本プロレスの試合をテレビで観ていると、リングサイドの椅子席に、眼鏡をかけた野末陳平氏が腰かけているのを、よく確認することがあった。プロレス愛好家の有名人――というファースト・インプレッションは次第に氷解していって、彼は歴とした政治家(当時は新自由クラブ所属の参議院議員)であるという認識を持つようになり、度々テレビやラジオで活躍する彼を見る機会があったのだ。  ところで野末氏については――それくらいの知識しかない。やはり、プロレス好きの有名タレントという印象が強く、あとは、個人的に本屋へ行くと、どういうわけか野末氏のヘンテコな著作本があちらこちらにあるなあ――といった謎めいた印象が付け加えられるだけで、好きとも嫌いともそういう感情を抱いたことは一度もなかった。  今、Wikipediaを参照すると、彼の本名は野末和彦といい、1932年生まれの静岡出身、早稲田の第一文学部東洋哲学科を卒業した後に、放送作家になられた云々が記してあって、つまり、政治家になる前はそういうことをしていたのだと、今さらながら初めて知ったわけである。  こうして私が小学生時代に入り浸っていた本屋さんでよく目にしていた、野末氏の数々のヘンテコな本を、いまとてつもなく読んでみたくなった――わけである。これは理屈を抜きにした、ちょっとした好奇心だ。あの頃は全く手に取って読むことさえなかった野末氏の本を、ちらりと今、ささやかに冒険してみたくなったのである。 ➤陳平さんのワニの本  その頃よく本屋さんで見わたしていたのが、KKベストセラーズの“ワニの本”シリーズであった。ここに今、シリーズ102の『ユーモア・センス入門 学校職場・家庭を笑わそう』がある。むろん著者は、野末陳平氏である。  初版が昭和43年ということで、意外も何も相当古いと思った。本の外見の体裁は実に慎ましやかに、しかも小綺麗なのである。当時私はまだ生まれていな

『アメリカン・グラフィティ』の夜

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【ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』】  つい先日、ロン・ハワード監督の1995年のアメリカ映画『アポロ13』(“Apollo 13”)を観たばかりであった。その精緻な演出――時代考証であったり人物描写であったり、アポロ13号のミッションで起きた諸々のアクシデントに係わる子細なやりとりを、実に丹念に描いていてお見事と思うのだけれど、ついついそのロン監督の面影が、“メルのドライブ・イン”(Mel's Drive-In)の店内なりネオンなりをバックにした、あるひと組のカップルの若き青年の姿にフラッシュバックしたりすると、もう一度“あの映画”が観たくなる――という衝動に駆られるのだった。  それはつまり、私自身が母校の高校の視聴覚室で『コクーン』(“Cocoon”)の映画を観た時の、〈え? あのスティーヴ青年がこの映画を作ったの?!〉という度肝を抜かれた衝撃は、同じようなフラッシュバックを伴うものであって、ご本人にはたいへん恐縮な話なのだけれど、私の中では今日においても、ロン・ハワード監督は「若き青年のまま」であり、“メルのドライブ・イン”でハンバーガーを食べているスティーヴ青年の印象しかないことは、いかに“あの映画”が強烈であったか、言うなれば、劇薬的なノスタルジーの仕業だとしか、思えないのである。  “あの映画”とは、1973年公開のジョージ・ルーカス監督のアメリカ映画『アメリカン・グラフィティ』(“American Graffiti”)のことである。ちなみにプロデューサーは、フランシス・フォード・コッポラ。製作費は当時にして78万ドルほどの低予算映画だった。 ➤ルーカスが描いた青春群像劇  むしろ今、日本人の若い人は、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の“メルズ・ドライブイン”のそれ――と思い出す人の方が多いかも知れない。いかにもアメリカンな、ベーコンチーズバーガーなどをほおばった後になってから、『アメリカン・グラフィティ』を知ったりするのではないか。  現代においてそういう疑似体験の中で、あの映画の世界を堪能できるとは、まことに羨ましい限りである。ちなみに私が、小学生の時分でこの映画を初めて観、〈これは“アメ車”の映画だ〉――という感想しか思い浮かばなかったのは、ちょっと致し方ないというのか、愚かしいというのか、やはり時代の差

円を描く随想

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【イラレで描いたルーローの三角形(中央部)】  先日、ある医院で新型コロナ(COVID-19)のワクチン接種をした際、看護師さんが私の左腕に貼り付けた絆創膏は、およそ1cm角の正方形に中央の丸い円の形をした不織布製パッドの付いたものであった。ごく普通の絆創膏である。その夜、私は思い出したかのように左腕に貼られていた絆創膏を眺め、程なくしてそれを剥がしたのだった――。  まるで小さな電子部品のボタンスイッチのような形をした絆創膏は、注射針が刺さった際の患部を平穏無事に保護してくれていたわけであり、なんとなくその誇らしげな絆創膏が視界から消えてしまったのを、私は心許なく寂しく思った。  絆創膏に見た、丸い円…。まことに唐突ながら、ここから円の話をしていきたい――。  円とは、言うまでもなく丸いこと、丸い形のものを指す。ちなみに三省堂の『新明解国語辞典』では、次のような理知的な表現で語意と解釈が記されていた。 《コンパスを使って描いた図形のように、どの部分も同一の曲がり具合だと認められる曲線》 。円について、少しばかりこのような数学的な世界に浸ってみたい。 ➤個人的な円にまつわる記憶  小学5年の算数で円周率を習い、6年で円の面積を習う。だがそれ以前に、私の中で、円に関する記憶というのがある。  最も遠い彼方にある円の記憶は、幼少の頃、小学生だった姉が所有していた、透明なプラスチック製のスピログラフ(Spirograph)である。スピログラフとは、曲線の幾何学模様を描くための定規で、紙切れだったかノートだったかは憶えていないが、このスピログラフの定規を使って姉が描き残したのだろう幾何学模様を眺めたのを、かすかに憶えている。それはたいへん美しいアートでもあった。  さらに円にまつわる印象深い記憶というのは、こんなところにもある。  かつてフジテレビ系列の歌番組で、『夜のヒットスタジオ』(司会は井上順、芳村真理)というのがあった。毎週多才なシンガーやグループが登場し、歌を歌い、和気藹々とした明るい雰囲気でポップスやロックや演歌の音楽世界が繰り広げられた。その番組のスタジオ・セット(背景、書き割り)となっていた、アクリル装飾の造形デザインが、黒と白の円のパターン・グラフィックなのであった。  このパターン・グラフィックのデザインは、日本人の美術スタッフの造形なのだけれど、どこと

『駅馬車』の酔いどれ医師と英会話

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【南雲堂の英会話カセットテープより映画『駅馬車』】  酒は映画を誘発し、映画は酒を誘発する――。今、私はジョン・フォード監督の1939年のアメリカ映画『駅馬車』(“Stagecoach”)を観終わったばかりだ。片手には、琥珀色のバーボンの入ったグラスが、ゆらゆらと指の中で踊りながら、室内の灰色の照明光を映し出している。映画の余韻が、この琥珀色の液体の中に、すっかり溶け込んでしまっている。  『駅馬車』。Stagecoach――。子どもの頃は只々、ニヒルなジョン・ウェイン(John Wayne)の格好良さだけに憧れたものである。駅馬車が目的地のローズバーグへ向かう途中、アパッチ族の襲撃に遭い、激走しながら騎馬の群れと壮絶な戦闘を繰り広げるシーンにたいそう興奮したのだった。アパッチのインディアンが撃たれると、激走する馬から転落するスタントがあまりにも見事だった。馬もまたたいへんよく訓練されていて、上手に美しく転げるのである。  今でもその激走シーンの興奮の度合いが劣ることはないが、むしろ今となれば、そうした迫力のシーンとは毛色の違う、大人の男と女の饒舌とつまずきと、そして人生への諦念、あるいは一つの例として、全く頼りがいのない男すなわち酔いどれ医師ブーンの、とうに干涸らびてしまったある種の純粋無垢な心持ちの困惑に――私は惹かれるのであった。そう、私は酔いどれ医師ブーンを、人間として愛してしまっているのだった。 ➤映画を音で愉しんだ少年時代  話をいったん私の少年時代に逆戻しする。  実はこの話は、11年前の当ブログ 「STAGECOACH」 で既に触れてしまっている。したがって、多少話が重複するけれども、小学校低学年の頃、私は、まだ観ぬジョン・フォード監督の『駅馬車』を、ちっぽけなカセットテープの音声で鑑賞していたのだった。  主人公リンゴ・キッドを演じるジョン・ウェインの声は、どうもか細く、しかもほとんど無口に近いので、聴き込んでいない時点では、なかなかジョン・ウェインの声がはっきりと聴き取れなかった。それよりも、馭者のバックを演じるアンディ・ディヴァイン(Andy Devine)の声がやかましく、こちらの声ははるかに通りがよくて聴き易かった。しかしながらあの頃、そのカセットテープを何度も聴いた。  ストーリーの軸となる駅馬車は、アリゾナ州のトントからニューメキシコ州

メーカーズマークのバーボン

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【メーカーズマークは誉れ高いケンタッキー・ストレート・バーボン・ウイスキー】  酒を飲み交わす友がいるのなら、たぶんそれは生涯にわたって最高の友である。酒場で自分自身の本心をさらけ出す必要はなく、ひとときの時間を、優雅に共有しうる友がいることこそが、大切なのである。もはやあなたはあなたであることを、友がよく知っているのだから――。  私は今、バーボン(Bourbon)を飲んでいる。バーボンについては、7年前の 「『洋酒天国』とバーボンの話」 以外にほとんど語っていないと記憶する。ではなぜ今、私はバーボンを飲み、それを語ろうとしているのか。  ピーター・フォーク主演のアメリカのテレビドラマ『刑事コロンボ』シリーズで、1976年の「死者のメッセージ」(“Try and Catch Me”)というのがある。老齢のミステリー作家アビゲイル・ミッチェルの役で女優のルース・ゴードン(Ruth Gordon)が出演している。ルース・ゴードンと言えば、個人的には、ロマン・ポランスキー監督の1968年の映画『ローズマリーの赤ちゃん』(“Rosemary's Baby”)のカスタベット夫人の役の印象が強烈である。「死者のメッセージ」には、俳優チャールズ・フランク(Charles Frank)が、アビゲイルの姪の夫役で出演しており、酒を飲むシーンがある。  このシーンが私にとって、ちょっとした香り立った酒の印象を残しているのだ。自分がまだ酒を飲む年頃ではない頃から――。さて、チャールズが飲んでいたのは、スコッチ・ウイスキーであろうか、バーボン・ウイスキーであろうか。  それがスコッチであろうが、バーボンであろうが、どちらでも全く構わないのだ。  しかしながら、アメリカ人男性が酒を飲むとすれば、スコッチかバーボンかのウイスキーである――ということを、海の向こうの映画などを見てさんざん学習してきたわけである。ごく最近のアメリカ映画では、なかなかこうはいかない。スコッチあるいはバーボンは、その強烈な刺激のある飲み物のせいか、“ジェントルマンの飲み物”としてかつては通用してきたし、もしも映画の中のシーンで、アメリカ人女性がバーボンを飲んだとすれば、それは明らかに女性は、“Heavy Drinker”であることを印象づけていることになる。  女優ルース・ゴードンが若い頃、エイブラハム・リン

思い出のmas氏―池袋のお馬さん

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【私淑するmas氏が撮った「池袋のお馬さん」の複製画像】  思いがけず、 《その出会いは、突然やってきた》 ――の書き出しで始まる文章をウェブで見たのは、もうかれこれ18年ほど前になるのだろう。そこで読み耽ったひとかたまりの秀逸な文章と、添えられていた白い“お馬さん”の写真(画像)=「池袋のお馬さん」を眺めた時から、私のクラシック・カメラ遍歴が始まったのだった。このことは忘れがたい思い出である。  私淑するmas氏(当ブログ 「中国茶とスイーツの主人」 参照)について語ることは、彼が好んだサブカルを追従することとなり、その旨味の源流を探し求める《悦楽》となる。ウェブ上の彼のテクストと写真を眺めていたあの頃のことを思い出すことは、私自身の美意識の再発見にもつながる。本当にそれは《悦楽》そのものなのだ。  彼の趣味は私自身に伝播した。ライカ、コンタックス、ソ連製カメラ…。その頃のコレクションは、今となってはほとんど別の所有者のものとなってしまったが、手元に残ったいくつかのカメラとレンズ(例えばLEICA IIIcにCanon SERENAR 50mm F1.9のレンズやRollei 35 LEDなど)を眺めれば、また再び銀塩という“原核生物”に依存する日が来るとも限らないのである。  私のクラシック・カメラ遍歴が始まった、その「池袋のお馬さん」の写真(画像)は、かつてmas氏が管理していたクラシック・カメラの個人サイト[mas camera classica]にあったエッセイ「第二の原点 戦前のぼろぼろエルマーとの出会い」の中に添えられていたのだった。 ➤mas氏のぼろぼろエルマーとの出会い  まことに残念なことに、その[mas camera classica]の痕跡は、もはやウェブ上に存在しないと思われる(かつてそこには、“ライカ・ウイルス保菌者の毒抜きページ”といったような文言が示してあったと記憶する)。ちなみにmas氏については、当ブログの 「お茶とサブ・カルチャーのアーティクル」 シリーズなどで何度となく紹介してきた。カメラや写真、中国茶、スイーツ、あるいはジャズなどの音楽でずっと私淑した人であり、彼の撮った写真を眺めるにあたっては、その都度想像を膨らまし、言説の一つ一つを味わってきたつもりである。  彼が撮影した白い“お馬さん”の写真(画像)――「池袋のお馬さ

灯台もと暗しインターネットの話

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【懐かしくなって入手した月刊誌『ヤフー・インターネット・ガイド』1999年1月号】  80年代以降、個人的に“パソコン通信”なるものに憧れ、90年代後半にはPDA(小型携帯通信端末)を使ってインターネット生活を始めた思い出話については、4年前の当ブログ 「おはようパソコン通信」 で綴った。“科学万博つくば‘85”を中学1年生で体験した世代としては、パーソナル・コンピューターを使って世界中とネットワークを結ぶ21世紀の新しい生活スタイルに、夢のような希望と感動を覚えたのだった――。  90年代の終末、ザウルスから切り替えて使っていたNECのモバイルギア(モバイルギアII MC/R450。OSはWindows CE)には、密かにポストペットのメールソフトがインストールされていた。そうしてインターネットを介し、国内外のペンパルとのやりとりに没頭していた20代後半の私は、言うなればまだ“若き青年”の範疇だったのである。 ➤YAHOO!インターネットガイドの時代  その“若き青年”は、ほんの少し前にフィルム式の一眼レフを初めて手にしたばかりであった。CanonのEOSカメラを片手に街を歩けば、カメラ好きのおじさんが声をかけてくれる――といった、その頃としてはごくありふれたシーンを体験することができたのだ。一般におけるインターネットの普及は急激に広まって、100万画素程度の安価なデジタルカメラがそろそろ家電量販店で目に付いた頃ではなかったか。  そうして2000年代に突入――。21世紀である。驚くべきことに、あれからもう20年の歳月が流れたことになる。そう、そうであった。その頃の時代で、私がすっかり忘れかけていたのは、月刊誌「ヤフー・インターネット・ガイド」(ソフトバンク)をむさぼり読んでいたということである。  「ヤフー・インターネット・ガイド」を読み始めてからというもの、いよいよそのインターネットに対する興味の熱情が、具体的にはPDAからデスクトップ・パソコンへと移り、モバイルギアを売却してソーテック(SOTEC)のパソコンを購入したのが、まさに2000年代に突入した直後のことであった。契約していたPHSによるインターネット通信を、今度は固定電話によるインターネット通信(インターネット利用料に通話料込みの定額+従量課金制)に切り替えたのが、まさにそうした時期である。  最初

トリュフォーの『大人は判ってくれない』

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【フランソワ・トリュフォー監督の映画『大人は判ってくれない』DVD】  映画狂の必須アイテムである、フランソワ・トリュフォー著『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)が、片田舎の地元の、しかも自宅から5分もかからない所にある小さな書店で手に入ったのは、私が高校生の時のことである。それは今から33年くらい前のことであり、1988年から90年のうちのいずれかの時期――ということになる。  ちょっとばかり大袈裟に述べれば、そういう新宿の紀伊國屋書店だとか東京・丸の内の丸善でしか買えないような映画関連の専門書が、とある地方の片田舎の、家からわずか5分ほど先の書店に陳列されていたことの驚きと《奇跡》の有り様は、あながちそれ自体の《奇跡》というよりも、言わばその時代の社会的背景として当然の帰結であった可能性の方が高く、片田舎でさえもその時代において、頑なに通念として遵守されていた日本国内のある種のliteracyが顕在化していたということなのかも知れない。  この表現はもう少し大袈裟になって、事実と相違が生じる恐れがあるけれども、今、我が町に“ヒッチコック”だとか“トリュフォー”といった映画人の名が、書店もしくは図書館で閲覧できるような教養的文化の片鱗は、一分も見当たらない――のではないか。これが日本で起きている終末的な現実であろう、精神的な貧困が物理的貧困を生み、その物理的貧困が精神的貧困に連鎖する。確かに物は溢れているが、文化的でないのである。相対的な文化の衰弱死という恐ろしい終末なのであり、大国化ではなく小国化へ向かっている現象なのだろう。 ➤トリュフォーを知った私  私が小学4年生か5年生の時に、りんたろう監督の映画 『幻魔大戦』 (1983年公開)を観ていなかったことは明らかな事実なので、高校生になるまで『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』を知らなかったことになる。どういうことかというのは、 『幻魔大戦』 をじっくり観れば分かる。  中学生の頃には、テレビ番組で「ヒッチコック劇場」というのをやっていて、それに伴ってヒッチコック監督の映画も好きであった。『サイコ』(“Psycho”)などは、もしかすると小学生の頃に観ていたかも知れない。それ以外では、『裏窓』(“Rear Window”)や『北北西に進路を取れ』(“North by Northwes

伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』と北京籠城

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【ニコラス・レイ監督の映画『北京の五十五日』】  映画『お葬式』や『マルサの女』で知られる監督・伊丹十三氏は、俳優でありデザイナーであり、根っからのエッセイストである。かつて壽屋(現サントリー)のPR誌 『洋酒天国』(昭和38年1月刊の第56号) に、山口瞳の心伝手でひょんとそのエッセイのひとかたまりが載っかったことで、いま私の手元にあるその名の『ヨーロッパ退屈日記』は、反響が反響を呼び、瞬く間に巷に知れ渡り、おそらく戦後随一と言っても過言ではないほどの高い批評を得た傑作エッセイ集として、今でも尚、ある世代の方々の記憶に焼き付いていると思われる。  蛇足――。個人的な話で恐縮だけれども、数年かけてなんとか 『洋酒天国』全号踏破 を果たした私は、その山を登り終えた充足感が忘れられない。そこで、もう一つ別の山を登ってみようと思い立ったわけである。それがこの、伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』だ。伊丹氏とこの本の来歴については、当ブログ 「伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』事始め」 で既に述べておいた。 ➤表紙の舶来品々  表紙が、まことに精緻でありながら、どことなくダンディズムを醸し出していて、おしゃれである。  私が手にしている新潮文庫版は、たいへん触り心地が良く、カバーのちょっとした荒目の質感に心がときめく。旅行のお供に――と考えると、際立って存在感が増す。カバーの装画は、伊丹氏本人の筆である。著書の解説文を書き下ろした関川夏央氏が、この表紙について少し述べている。付随して、伊丹氏のある種の性癖にも触れられていて、なかなか的確だと思った。 《「ブリッグの蝙蝠傘、ハリーのくれたスフィンクス(置時計の一部分)、ダンヒルのオイル・ライター、マジョルカで買ったピストル、ドッグ・シューズ、運転用手袋、ペタンクの球」――伊丹十三は言葉と文字を気にする人だった。表紙カバーはカヴァである。タキシードはタクシードでなければならず、ヴェニスのハリーズ・バーをベニスのハリーズ・バーと書くことを「愧」じ、コーモリ傘は蝙蝠傘でなければ「赦」さなかった。赤いのアカを、赤い、朱い、紅い、赫い、丹い、緋いと使いわけないと気分が「淪」んだ》 (伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』、関川夏央「解説―文学に『退屈』する作家」より引用)  その昔、舶来品と言えば、アメリカかヨーロッパの物と相場が決まっていた。ほと

小栗康平の『泥の河』と映像の文体

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【『映画を見る眼~映像の文体を考える』より映画『泥の河』のカット割りされたショット】  私の10代から30代にかけての小栗監督に対する“恥ずべき誤認”については、 前回 書き述べた通りである。ここでは、小栗監督が講師を務めたNHK人間講座『映画を見る眼~映像の文体を考える』テクストにおいて、小栗監督の映画『泥の河』(1981年/製作:木村プロダクション/主演:田村高廣、藤田弓子、加賀まりこ、朝原靖貴/原作:宮本輝)がどのように解説されていたか、またその「映像における文体」とはいったい何を示しているかについて書いてみたい。 ➤NHK人間講座「映画を見る眼~映像の文体を考える」について  本題に入る前に、小栗康平氏のプロフィールをテクストから引用しておく。 《一九四五年生、映画監督。群馬県前橋市生まれ。早稲田大学第二文学部演劇専修卒業後フリーの助監督になり、篠田正浩監督「心中天網島」、浦山桐郎監督「青春の門」などに参加。監督第一回作品は一九八一年の「泥の河」。自主上映され、やがて全国公開。キネマ旬報・ベストテン第一位、モスクワ映画祭銀賞など国内外で数々の賞を受賞した。以後、八四年「伽倻子のために」(ジョルジュ・サドゥール賞受賞)、九〇年「死の棘」(カンヌ国際映画祭グランプリ・カンヌ90、国際批評家連盟賞受賞)、九六年「眠る男」(モントリオール世界映画祭審査員特別大賞受賞)の四作品を発表。著書に「哀切と痛切」「見ること、在ること」(ともに平凡社)がある》 (NHK出版・NHK人間講座『映画を見る眼~映像の文体を考える』テクストより引用)  このNHK人間講座「映画を見る眼~映像の文体を考える」は、2003年6月2日から7月21日(再放送分は除く)にかけて8回に分けて教育テレビ(現Eテレ)で放送された。 前回 述べたように、当時30代だった私は、インディペンデントの映画を創ろうとしていたことと、小栗康平…泥の河…という中学生の時の思い出が懐かしく感じられたことがきっかけとなって、この番組をビデオ録画しながら観た――と記憶している。  全8回の講座は以下の通りである。  第1回「映像表現と文章表現」、第2回「サイズとアングル」、第3回「編集と時間」、第4回「場と光」、第5回「音声と言葉」、第6回「映像の『ナラティブ』」、第7回「実写とアニメーション」、第8回「映像の今日性」―

小栗康平の『映画を見る眼』

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【講師・小栗康平監督によるNHK人間講座『映画を見る眼』のテクスト本】  小栗康平監督の映画『泥の河』(1981年、主演は田村高廣、藤田弓子、加賀まりこ、朝原靖貴)を私が初めて観たのは、中学生の時(1985年から87年の間)だったと記憶している。映画館ではなく、テレビ放映で思いがけず鑑賞したのだった。たいへん暗い映画だ――という印象と、“浮舟”で暮らす母子の貧しさの悲しみがやや心に残ったという感じで、そのぼうっとしたイメージが刻まれたまま、この作品に対する淡い想念は、以後(少なくとも20代の頃までは)それ以上膨らみはしなかった。  時を同じくして87年に劇場公開された『螢川』(監督は須川栄三、主演は三國連太郎、十朱幸代、坂詰貴之)は、とても対照的に感動を覚えた。  原作者は「泥の河」と同じ宮本輝である。思春期を迎えた中学生が主人公で、ちょうど自分と同年代の少年が描かれており、感情移入しやすかったのだろう。こちらも決して明るい映画ではなかったが、目の前の青い炎をじっと見つめて退屈しないような、そういう芯の部分での充足があった。――それゆえ、余計に『泥の河』の印象は薄れた。どちらも宮本輝の原作ではあったが、『螢川』はどこか天に向かって湧き上がっていく上昇の映画であり、『泥の河』はまさに泥の中に沈んでいく下降の映画だったのである。 ➤「一杯のかけそば」に係わる誤認  私がさらに映画『泥の河』への心証を悪くしたのは、ある勘違いが原因であった。  ちょうど高校生の頃、1989年のことだが、“実話を元にした”童話「一杯のかけそば」が大ブームとなったのである。童話の作者は栗良平――。単純な話である。私はこの作者を小栗康平監督と勘違いしたのだ。“くりりょうへい”と“おぐりこうへい”。この浅はかな誤認は、以後十数年間続いた。  童話「一杯のかけそば」は、当初から胡散臭かった。子供じみた美談をそっくりそのまま絵に描いたような話だったからだ。作者本人曰く、“実話”という触れ込みだったのだが、日常生活の実際的な経済状況からかけ離れている箇所も目立ち、創作ではないかという疑いも投げかけられていた。  しかしながらこの栗氏の童話は、後に映画化された。1992年に劇場公開された映画『一杯のかけそば』である(主演は泉ピン子、鶴見辰吾、渡瀬恒彦)。監督は西河克己。  西河監督といえば、昭和時代の映画

伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』事始め

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【伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫版】  当ブログ2016年11月付の 「『洋酒天国』と活動屋放談」 で初めて、伊丹十三氏の『ヨーロッパ退屈日記』について触れている。といっても、ほとんど素通りであった。しかし、この本を革製のバッグに忍ばせておいて、ヨーロッパなどへ思索の旅をしてみたい――。そういう憧れを強く抱かせてくれる名著であるから、このままではいられない。  伊丹十三。個人的には、それまで何度となく彼の監督映画を観たつもりであったし、俳優としての出演作であった1983年の『家族ゲーム』(監督は森田芳光、主演は松田優作、宮川一朗太)における印象は、なかなか忘れ難く深く刻まれており、大雑把に解説すれば、中学生の主人公の父親役を演じて、情愛に欠けた潔癖性を見事に表現し、翌年の日本アカデミー賞の助演男優賞を受賞していたりする。個性派俳優としてのキャリアが円熟期を迎えた頃、伊丹氏は『お葬式』(1984年)で監督デビューし、芸能界におけるそのインパクトの余波は桁外れに大きかった。以後の連なる監督作品については、敢えて述べなくても、よく知られているとおりである。  しかしながら、ある年代の方々にとっては、伊丹氏と言えば、『ヨーロッパ退屈日記』なのだろう。俳優であり映画監督であり、その傍らに文学作品として佇立する名著『ヨーロッパ退屈日記』について、私の個人的な思い入れを込め、今後不定期でぽつりぽつりと触れていきたいと思っている。そういう決断を自らに課した。言わずもがな、これまでのあいだに、彼の文学作品に触れる機会がほとんどなかったからだ。  今回は――その第一の手始めとして――彼の軽妙なる来歴を含めたうえで、この名著のなんたるかについて、概略的に叙述していきたい。 ➤本の略歴と伊丹十三氏のプロフィール  俳優としては個性派俳優、あるいは技巧派で知られる伊丹氏の、壮年期に差し掛かる直前にしたためた文筆モノの代表作が、『ヨーロッパ退屈日記』である。このタイトルを付けたのは、『洋酒天国』の編集にも携わってきた、直木賞作家でエッセイストの山口瞳だ。  伊丹氏と山口氏が初めて出会ったのは、お互いにかなり若い頃であった――というのは間違いのない事実である。山口氏は昭和29年に國學院大學を卒業し、河出書房の雑誌『知性』の編集部に属していた。伊丹氏とはそこで出会ったらしいのだが、伊丹氏

国連切手―世界保健デーと世界人権宣言

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【2018年発行の国連切手「世界保健デー」6種】  切手に関する話である。私が小学4年生の時のクラブ活動で“切手クラブ”に所属していたことは、当ブログ 「美しき色彩―沖縄切手」 と 「見返り美人のこと」 で既に書いた。生前の父が若い頃に蒐集していた切手のスクラップ・ブックを譲り受け、クラブの仲間と切手について語り合ったり、見せ合ったりしていたのが懐かしい。残念ながら、そのスクラップ・ブックは――今はもう無い。  そうした“小さな絵画”とも言える切手を、愛おしく思う瞬間というのは、子どもの頃の記憶の名残か、大人になっても時折湧き上がってくるものである。それなりに学んだ切手の知識が基礎となって、日々の中で遭遇する切手の図案の美しさに惚れ惚れすることが、年に何度かあったりする。図案の中の世界が目眩く想像を掻き立て、この“小さな絵画”の何たる素晴らしさ!――と私は、茫然としてしまうのであった。 ➤現代的なモチーフの「世界保健デー」6種  ついこの前、国連発行の切手「世界保健デー」6種(2018年発行)について調べているうちに、欲しくなって買い求めてしまった。いま、手元にその実物がある。実に現代的なデザインというべきか、カラフルな色彩とイラストレーションに富んだ明るい趣であり、どこかしら力強さが感じられる。そう、迷いのないメッセージは実に力強いものなのだ。毎年4月7日はWHO(世界保健機関)が定めた「世界保健デー」(“World Health Day”)で、これはそのキャンペーンに準じた国連切手なのである。  補足するけれど、2021年の「世界保健デー」 のテーマは、“健康格差”(health inequality)である。特に新型コロナウイルス(COVID-19)のワクチンが公平に行き渡るよう、WHOが世界各国に働きかけている。そもそも、“健康格差”の原因は、経済的な貧困であったり、社会的な不平等がもたらすものだ。これらを是正することが、全ての人々の健康を維持し、子ども達の未来にもつながるという強い理念。このことを忘れてはならないし、様々な国連切手を眺めることで、それぞれのメッセージに込められた理念を思い起こすことができる。 ➤蒐集しやすい国連切手  私が子どもの頃に読んだ切手関連の本、小学館入門百科シリーズ16、今井修著『切手収集と楽しみ方入門』(小学館・昭和46年初版、

寺山修司が語る音楽とエロス

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【1983年刊、サントリー音楽叢書③『エロス in Music』】  個人的にここしばらく文学や演劇に関しては、寺山修司に着目し、その周縁の人々や作品に没頭していたいと思った。ごく最近知り得たのは、寺山修司がエロス(肉欲から通ずる愛。性愛)について述べた言説である。寺山と民族音楽の造詣が深い小泉文夫とが、“対談”という形式で、音楽に係るエロスについてのディスカッションを編纂した、ある書籍の企画があった。1983年刊のサントリー音楽叢書③『エロス in Music』(サントリー音楽財団・TBSブリタニカ)である。  はじめにざっくりと、この本のシリーズ――サントリー音楽叢書――について解説しておく。1982年1月に、最初のサントリー音楽叢書①『オペラ 新しい舞台空間の創造』が刊行された。この本の主なトピックスとしては、ドナルド・キーン、山田洋次、大木正興らによる鼎談「オペラへの招待」や、坂東玉三郎と畑中良輔による対談「オペラVS.歌舞伎」など。同年7月には、第2弾となるサントリー音楽叢書②『1919~1938 音楽沸騰』が出る。2つの世界大戦に挟まれた時代の現代音楽をテーマとし、武満徹、諸井誠、山口昌男らによる鼎談「もうひとつの音楽を求めて」、柴田南雄と高階秀爾の対談「現代への投影」といった内容が盛り込まれている。  ところで詳しい経緯は分からないが、いくら調べてみても、1983年刊のサントリー音楽叢書③以降のシリーズは、見当たらないのである。どうもこのシリーズは、わずか2年の間のたった3冊の出版で打ち切りとなったようだ。  この事情を当て推量するならば、3冊目の『エロス in Music』の内容が、当時にしてはあまりにも、強烈かつ斬新すぎたのではないか――。しかし、その内容が決して的外れなものではなく、かなりエロスの本質に踏み込んだ、音楽との係わり合いについて多様な論客を結集した内容であったことは、言うまでもない。ちなみにこの本の表紙の画は、池田満寿夫氏の作品である。本中にも池田満寿夫と佐藤陽子の二人が、「音楽・絵画・エロス」と題し、随筆を寄稿している。 【本の巻頭を飾る対談「エロス in Music」の寺山修司】 ➽寺山修司とは何者か  では、サントリー音楽叢書③『エロス in Music』における寺山修司と小泉文夫の対談――“音楽の中のエロス”――に話を絞ろう。