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8月, 2021の投稿を表示しています

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消えゆく写真

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【FUJIFILM X-T3で試し撮り。被写体はLEICA IIIc】  元日の午後、手持ちのカメラ(FUJIFILM X-T3、レンズはFUJINON XF18-55mm F2.8-4.0 R LM OIS)でアンティークと化したLEICA IIIc(レンズはCanon SERENAR 50mm F1.9)を被写体に試し撮りをおこなった。ここ数日間続いた日本海側の寒波の煽りで、関東地方は異常なほど冷え込み、ただただ日光が神々しく、温かく、優しさをも醸し出しているかのようで、直接光と間接光に包まれたアンティークの被写体は何か、その機械的な佇まいの中に、微睡んでいるようにも見えた。  しかし一方で、いずれ消えゆくかも知れないアンティークの宿命の儚さもまた、写真という風雅の物悲しさを表している。《所有》とは、実に悲しげな行為なのである。ともあれ、個人的なクラシック・カメラの思い出は尽きることがない。私の記憶は、およそ20年前のウェブへといざなわれる――。 ➤写真とカメラを教示したmas氏  20年前のインターネットがきわめて遠い事象となりつつある、コロナ禍を経た時代の流れ。世相流行の移ろいはともかく、社会生活全般の隔世を感じるのは、私だけであろうか。今こうしてブログに文章を書いていることも、自身のウェブサイトをいくつか構築し、音楽や映像や写真などのポートフォリオを細々と展開しているのも、およそ20年前より私淑していた、mas氏のウェブサイトをお手本にしたものなのである。インターネットとのかかわり方、その作法や流儀について、詫び寂の何たるかまでも教示されたように思える。  20年前、彼に倣ってクラシック・カメラ遍歴(別の鋭い言い方では「クラシック・カメラ・ウイルス」とも言う)にどっぷりと浸かり、写真とカメラによる悦楽の日々を送っていたあの頃が、ひどく懐かしい。  mas氏に関しては、昨年の 「思い出のmas氏―池袋のお馬さん」 やそれ以前に多くテクストを書き連ねているので、ここでは詳しく書かない。  今はネット上に現存していない、彼の旧ウェブサイト[mas camera classica]では、洒脱な文章でカメラや写真についてとくと語られていて、その内容に私も感心したのだった。一部をコピーしてテクストファイルとして記録していたのもとうに忘れ、それをPCのハードディスク内か

『アメリカン・グラフィティ』の夜

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【ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』】  つい先日、ロン・ハワード監督の1995年のアメリカ映画『アポロ13』(“Apollo 13”)を観たばかりであった。その精緻な演出――時代考証であったり人物描写であったり、アポロ13号のミッションで起きた諸々のアクシデントに係わる子細なやりとりを、実に丹念に描いていてお見事と思うのだけれど、ついついそのロン監督の面影が、“メルのドライブ・イン”(Mel's Drive-In)の店内なりネオンなりをバックにした、あるひと組のカップルの若き青年の姿にフラッシュバックしたりすると、もう一度“あの映画”が観たくなる――という衝動に駆られるのだった。  それはつまり、私自身が母校の高校の視聴覚室で『コクーン』(“Cocoon”)の映画を観た時の、〈え? あのスティーヴ青年がこの映画を作ったの?!〉という度肝を抜かれた衝撃は、同じようなフラッシュバックを伴うものであって、ご本人にはたいへん恐縮な話なのだけれど、私の中では今日においても、ロン・ハワード監督は「若き青年のまま」であり、“メルのドライブ・イン”でハンバーガーを食べているスティーヴ青年の印象しかないことは、いかに“あの映画”が強烈であったか、言うなれば、劇薬的なノスタルジーの仕業だとしか、思えないのである。  “あの映画”とは、1973年公開のジョージ・ルーカス監督のアメリカ映画『アメリカン・グラフィティ』(“American Graffiti”)のことである。ちなみにプロデューサーは、フランシス・フォード・コッポラ。製作費は当時にして78万ドルほどの低予算映画だった。 ➤ルーカスが描いた青春群像劇  むしろ今、日本人の若い人は、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の“メルズ・ドライブイン”のそれ――と思い出す人の方が多いかも知れない。いかにもアメリカンな、ベーコンチーズバーガーなどをほおばった後になってから、『アメリカン・グラフィティ』を知ったりするのではないか。  現代においてそういう疑似体験の中で、あの映画の世界を堪能できるとは、まことに羨ましい限りである。ちなみに私が、小学生の時分でこの映画を初めて観、〈これは“アメ車”の映画だ〉――という感想しか思い浮かばなかったのは、ちょっと致し方ないというのか、愚かしいというのか、やはり時代の差

円を描く随想

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【イラレで描いたルーローの三角形(中央部)】  先日、ある医院で新型コロナ(COVID-19)のワクチン接種をした際、看護師さんが私の左腕に貼り付けた絆創膏は、およそ1cm角の正方形に中央の丸い円の形をした不織布製パッドの付いたものであった。ごく普通の絆創膏である。その夜、私は思い出したかのように左腕に貼られていた絆創膏を眺め、程なくしてそれを剥がしたのだった――。  まるで小さな電子部品のボタンスイッチのような形をした絆創膏は、注射針が刺さった際の患部を平穏無事に保護してくれていたわけであり、なんとなくその誇らしげな絆創膏が視界から消えてしまったのを、私は心許なく寂しく思った。  絆創膏に見た、丸い円…。まことに唐突ながら、ここから円の話をしていきたい――。  円とは、言うまでもなく丸いこと、丸い形のものを指す。ちなみに三省堂の『新明解国語辞典』では、次のような理知的な表現で語意と解釈が記されていた。 《コンパスを使って描いた図形のように、どの部分も同一の曲がり具合だと認められる曲線》 。円について、少しばかりこのような数学的な世界に浸ってみたい。 ➤個人的な円にまつわる記憶  小学5年の算数で円周率を習い、6年で円の面積を習う。だがそれ以前に、私の中で、円に関する記憶というのがある。  最も遠い彼方にある円の記憶は、幼少の頃、小学生だった姉が所有していた、透明なプラスチック製のスピログラフ(Spirograph)である。スピログラフとは、曲線の幾何学模様を描くための定規で、紙切れだったかノートだったかは憶えていないが、このスピログラフの定規を使って姉が描き残したのだろう幾何学模様を眺めたのを、かすかに憶えている。それはたいへん美しいアートでもあった。  さらに円にまつわる印象深い記憶というのは、こんなところにもある。  かつてフジテレビ系列の歌番組で、『夜のヒットスタジオ』(司会は井上順、芳村真理)というのがあった。毎週多才なシンガーやグループが登場し、歌を歌い、和気藹々とした明るい雰囲気でポップスやロックや演歌の音楽世界が繰り広げられた。その番組のスタジオ・セット(背景、書き割り)となっていた、アクリル装飾の造形デザインが、黒と白の円のパターン・グラフィックなのであった。  このパターン・グラフィックのデザインは、日本人の美術スタッフの造形なのだけれど、どこと

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